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大切にしたいこと

2022/7/22

昨日いい知らせがあって、本当に努力の背中を見せてもらえてまた一歩前進できた。自分の人生は自分で切り拓ければだめだと思ったし、子どもがいようが、パートナーと共に歩もうが、どこに行こうか舵を取るのは、人任せではいけない。2本脚を動かせるのは私しかいないって、私も頑張ろうと背中を押してもらった。

前にサマリー版を読んでずっと読みたかった『7つの習慣』を、今必要な気がして読んでみた。結果、すごく良くて特にミッションステートメントまで作れたのが整理できたので、記録用。

インサイドアウト
ここ数年の動きが激しかったせいか、どうしても、外界に刺激を求めてしまう自分に気づいた。特に場所であるとか環境に大きく変えてもらった体験があるので、それを踏襲しようとしてしまう。何もそれ自体が悪いわけではないのだけど、7つの習慣でいうと1・2・3の習慣をつけて自立を出来た人は、他に関わって飛び出した方がいいけど、私はもう少し、今ある場所で自分の軸を固めないと、場所を変えたところで自信がないゆえに他者に傷つけられたり、傷つけたりしてしまうと気づいた。

等身大の靴をはく
正しい道に向かうには、それに見合った靴を履かなければいけない。
立ち止まってみたら、あちらこちらに靴ズレができていた。これまでの靴は、少し大きかったみたい。
だから、自分に見合ったサイズの靴を履く。等身大にダウンサイズして、見た目はすこし地味でもよかった。そのほうが、きらびやかな靴よりも今の私らしいと思った。

原点:家族
いま手にしている環境の多くが、2年前に家族と向き合おうと決めた頃から始まった気がする。(たぶん当時周りにいた人たちのおかげで)なんとなく”今しかない”と思えて、8年会っていなかった父の連絡先を探し出して電話し、その秋には再会した。そこから自分も子どもを授かり、多くのことが変わった。
子どもができて、自分の家族・小さい頃について考えることがすごく増えた。母ともそれまでになく話した。私は幼稚園から高校までエスカレーターの私立に通い、習い事ややりたいといったことに関して、お金の制約を受けたことは少なくとも記憶のなかではなかった(尤も塾や習い事も殆ど行かなかったけれど)。一方父は仕事のためにほとんど家にいない時期があったし、父母がそろって4人で出かけた思い出も実は少ない。あの頃にはわからなかったあの恵まれた環境の偉大さと・同時にもっと格好悪くても一緒にいたかったよ、とか色んなまとまらない思いが、おしくらまんじゅうする。
2年前に家族と向き合い始めてから、心の核のところを安定させてもらった気がする。「理想」の家族を頭で描くことはいくらでもできるけれど、自分の家族の「実績」は生まれ落ちた自分の家族との関係でしかなくて、そこをないがしろにして新しい関係をいくら築いたところで、そこの関係が不安定なまま進んでいる気持ちがどこかであったと思う。特に、私の場合は本当に家族からの愛情を感じていたはずなのに、どこかで対話が足りないことが積もって、話せない関係になっていただけだったと思うから。1番身近でいつでも話せると思っていたうちに、1番遠い存在になっていた。娘のおかげで、私と実母・父・姉とのあいだのゼロだった家族の時間を動かしてもらった。それを、あとどれくらい動かせるだろうか。

ニジュウマルを作る
中学生くらいから、自分のなかで『二重丸』のイメージがあって、人間関係や趣味・事象のバランス感覚として意識している。ーー自分を中心とした丸があったとして、内側の小さい丸には自分にとって大切な存在:家族やひとにぎりの友人・パートナーなどが入り、私にとって出来る限り動いてほしくない固定的(あり方は変わっていいんだけど)な人たちが入る。一方で外側の丸には、もっと流動的(広く浅くともいえるかもしれない)な人たちが入る。ー-もちろん内側の丸が重要なんだけれど、そこだけに焦点を当ててもいつか煮詰まってしまう。だから、外側の丸も意識を保つことで初めて、刺激を得られたり少しでも視野広くいられると思う。(本当はもっとグラデーションだけど、イメージとして。有名なマヨネーズジャーの話にも似ているかも。)

東京に帰って、家族や親友・高校時代の繋がりを少しずつたどって、恩師にはお礼をいったり、親友たわいもなく話す時間を取り戻したりするうちに、内側の丸を厚くしてもらっている感覚があった。さらに今は、中心である家族を築き、明確に守りたいものが決まったことで心地よいバランスが取れているきがする。

安心vs挑戦
ここ数年の私は、「挑戦」することをすごく大切にしてきたし、楽しんでもきたと思う。でも、自分の未熟さや自信のなさがよぎるとき、その挑戦が不安になって自分を苦しめたり、余裕のなさで周りの人を傷つけることもあった。(ごめんなさいmm)
旦那さんと会ってから、「安心」という言葉がよくでるようになった。本人がそれを大切にしていることもあって、退職・出産・引っ越しという随分と変化のある時期のなかで、「安心」できる環境の大切さをすごく実感した。すごく安心させてもらったおかげで乗り越えられたし、島での高校生との関わり方で反省したりもした。二項対立ではないから、2点を揺れながら、バランスをとっていく。

指標:”shining eye”があるか
一番好きなTEDの動画。TEDの動画は昔よく何度も何度も繰り返しみていて、中でもスピーカーの温かい雰囲気がなんだか元気がでて、ダントツで見ていた。その中の成功の定義が今の自分の目指したい軸を言語化してくれている。

I have a definition of success. For me, it's very simple. It's not about wealth and fame and power. It's about how many shining eyes I have around me.
TED speech by Benjamin Zender
if the eyes are shining, you know you're doing it. If the eyes are not shining, you get to ask a question. And this is the question: who am I being that my players' eyes are not shining? We can do that with our children, too. Who am I being, that my children's eyes are not shining? That's a totally different world.
TED speech by Benjamin Zender

毎日に栞をはさむ
しばらくの間、「自分のストーリーを生きる」ということを大切にしてきた。一度の人生で、多少無茶をしようが肩がぶつかろうが、自分が主人公になった気持ちで早歩きしてきた。だけど、チャプターが変わった。
自分の物語だったはずだけど、家族がきてくれて、たくさん助けてもらった。もう自分が主人公でいる必要なんてなくなって、ただただ、3人の物語をハッピーにしたいなあと思う。今までみたいに、色んなできごとを起こさなくても、見かけでは目立たないような地味~な1日でも大切な1ページだから、毎日に栞をはさむ。自分の記憶に忘れないように、1ページ1ページちゃんと胸にしまえるようにしたい。

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