制作者の心の成長

こないだ先輩と呑んでて、ふとチバユウスケの話になった。
過去にチバユウスケがボーカルを務めていたミッシェル・ガン・エレファントは自分が中3くらいにラジオで聴いて、TSUTAYAで CDを借りようにも、ラジオで聴いたアーティスト名。
ラジオでなんちゃらエレファントと言ってたのはわかるけど、音だけで記憶することは難しく、TSUTAYAのCDのコーナーで悩みに悩み、脳内のポンコツ電卓で弾き出した名前が「ミスチル・ガン・エレファント」
そんなわけない。
別のバンド名の略称がアーティスト名に入っているわけがない。
それでも、当時は「これや!!!」となってマ行から存在しないミスチル・ガン・エレファントを探す。
もちろんミスチル・ガン・エレファントは見つからなかったけど、その並びでミッシェル・ガン・エレファントを発見する。
その時はじめて、「そっか!名前にミスチルが入るわけがない!!」と一人で赤面した。
話は戻って先輩との会話。
「ミッシェルは聴いてて、バースデー(The  Birthday、ミッシェル解散後に結成したチバユウスケがボーカルのバンド、一応補足)はあんまり追ってなかってんな〜、で改めて聴いたら結構愛を歌う曲が多くて〜」と話を続けた。
確かにそんな気がした。

中学・高校の頃は、刺激が欲しくて、何もできないし何もわからないけど、衝動と勢いで色んな頃ができた。
『かっこいい』に説明なんて必要なかった。
どこがかっこいいの?なんて返答は野暮。
かっこいいんだから、かっこいい。
評論家やないねんから、言葉で説明する必要なんてなかったし、自分がとにかく良いと思うものが最強だった。
そんな自分もだんだん歳を取る。
いろんなことを知るし、結婚式も葬式も行く機会が増えた。
愛とはなんだの。生きるとはなんだの。
考える瞬間が増えた。
この考え方が合っているかはわからないが、音楽や映画や、漫画アニメもそうだけど、作った人の心の年齢が、観客への影響が関わっているような気がした。
音楽も映画も漫画もアニメも作る人は歳を取る。
技術面や流行は更新される。
となると昔ながらの作り方をする人は古く扱われる。
かといって、そこはアップデートされる。
昔は原稿用紙にネタを書いていた人でも今ではキーボードをカタカタする。
技術は更新されているのに古臭い。
それは古臭いんじゃなくて、作り手が経験を積んで、伝えたいメッセージが変化したことにあると思う。
以前はコントを書いていた。
登場人物が死ぬコントも書いた。
その時は20代だった。
死を題材に扱うのは、当時の自分が若く、死を間近に感じていなかったからだと思う。
今はそう簡単に扱いたくない。
使うにしても工夫したい。
作り手はその時その時によって関心や興味、物事捉え方は変化する。
それが観客と多少なりとも合致しているから、生業になるのだと思った。

今、この年齢になったから面白く感じれるものもあるだろうし
昔面白いと思っていたものを今見たら別の感じ方をするのだろう

若いから残酷であって
歳を取ったから愛を語る

これも必然なのかもしれない





はあ?

夏ですね スイカでも食いたいもんですわね