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思い出の品々 その14

終活してたら随分と懐かしいものが出て来た。もっとも、出て来るものは懐かしいものばかりではあるけれど。

ベニヤ板の手作り将棋盤。両面使いになっていて、片面は普通に将棋盤、もう片面は軍人将棋の将棋盤だ。

将棋盤
軍人将棋盤

製作日は画像にある通り将棋盤は昭和40年11月13日土曜日、軍人将棋は昭和42年8月31日木曜日。小学生の頃のものだ。

先に将棋盤として作って使っていて、後に軍人将棋も紙よりベニヤの方が良いということで追加したのだろう。

誰に習ったわけでもないけれど、幼い頃から将棋は好きだった。付随して、軍人将棋やチェス、チェッカー、さらにはバンカースなどのボードゲームも好きだった。

それなりの将棋盤を持っていたわけではないので、当初は駒に付いていた紙の将棋盤を使っていたのだと思う。けれども、それじゃ何だからという感じでベニヤ板でこしらえた気がする。

文字の部分は当時の自分の字のように見える。今もさして上達してはいないけれど、まあ小学生らしい字だ。

対戦相手は殆どの場合が兄だったと思う。3人以上でプレイするボードゲームの場合には誰に参加してもらっていたのか。最早忘却の彼方だ。

将棋については、社会人になってからも職場の昼休みに上司や同僚に遊んでもらっていた。決して上達することはなかったけれど。

職場では五目並べもよくやった。大切なコミュニケーション・ツールだった。麻雀より手軽にいつでも、職場でも出来るツールだし。

話を子ども時代に戻すと、将棋盤ではハサミ将棋もよくやった。本将棋とはひと味違った楽しさがあった。シンプルだけれど作戦なしには勝てないものだ。

そして軍人将棋。今にして思えばなかなかのネーミングだ。最弱にして最強の「スパイ」の駒には、多くの場合「👁」の絵が描いてあったので「メパイ」と呼んでいたっけ。誰にでも通じるとは思わないけれど。

今の子どもたちは、このシンプルなシミュレーションゲームを知っているのだろうか?

関係ないけれど、「シミュレーション」はついつい「シュミレーション」と言ってしまう。かつては「コミュニティー」を「コミニュティー」と言い間違えたりしていた。日本語入力システムは、間違ってると変換してくれないので助かる。

そう言えば、今気付いたのだけれど軍人将棋には審判が必要だった。駒を裏返して相手の駒が何なのか分からない中で勝負するのだから当然だ。アメリカンゲーム(タカラ社)の魚雷戦ゲームみたいに物理的に結果が出るのであれば審判は不要だけれど、軍人将棋はそうはいかない。

兄と軍人将棋をしていたとき、一体誰が審判だったのだろう?