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スーツの山

箱入りのスーツ

実家の押し入れにはスーツが納められた箱の山がある。

「山」と言うと大袈裟かもしれないけれど、実際結構な数の箱が積まれている。

最近はスーツを買うとスーツカバーに入れて渡されるけれど、かつては箱が普通だったような。

吊るしのスーツばかり買ってるからかな?オーダーメイドとかブランド品だったら違うのだろうか?

残念ながら、その嗜好はないので分からない。

ただ、ネットで検索するとスーツ用の箱は販売されている。

需要があるのだ。自分が知らないだけだ。

それはそれとして、かつてはスーツは箱に納められるものだったということだろう。

押し入れを開けると、その箱が幾つも積み重ねられている。

箱を順に開けてみる。

クリーニングから帰って来たスーツが、防虫剤とともに納められている。

勿論、防虫剤の袋は空っぽになっているけれど。

年代は様々だ。そこそこ古いものもあれば、比較的最近のものもある。

共通して言えることは、既に我が家の誰にも着れないサイズだということ。

我が家の男衆は皆、亡き父より大柄なのだ。父は決して小柄ではなかったけれど。

なので、少なからず後ろ髪を引かれはするけれど、ここは何らかの形で処分せざるを得ないということだろう。


スーツの行く末

衣類については、既にある程度の量を処分した。

シャツやセーター、カジュアルな上着といったものたちは、洗濯済みの綺麗なものは資源ゴミとして、シミや汚れのあるものは可燃ゴミとして、既に殆どは処分して来た。

ただ、スーツ類は殆ど手を付けていなかった。

どのように処分すれば良いのだろう?

和服は買い取りがあると聞いている。洋服にリメイクする人もいるようだ。

ネクタイだって手芸品の材料として活用し、バッグとか全くの別物にリメイク出来る。

ただ、スーツとなると少しばかり事情が違って来る。

スーツとして、あるいは使用されている生地として、有名ブランドのものであれば専門業者による買い取りの対象になるようだけれど、廉価品やノーブランドのものは結構厳しいようだ。

更に、内ポケットのところにネームが刺繍されていると、引き取って貰えない場合が多いと言う。

折角買うスーツ、当然の如く皆ネーム入りだ。と言うか、自分はそういう感覚だ。

引き取りは条件的に厳しいと思う。

手間を掛けても報われないのであれば、資源ゴミとして回収して貰うべきなのかもしれない。

我が自治体では、スーツは洗濯して綺麗なものであれば資源ゴミ扱いであることは確認済みだ。

丁寧に保管されてきたものばかりなので、少なくとも箱に納められているものは全てクリーニングされている。

その後は着ていないことは、クリーニング店のビニール袋に入ったままということで想像できる。

一部、まだ整理前の箪笥の中でハンガーに掛かっているものは、恐らくクリーニング前だと思うけれど、箱に入っているものは例外なくクリーニング済なのだ。

数は少ないけれど、亡き母のスーツもある。これも最早着れる者は我が家には居ない。

なので一緒に整理する。

思い切りが必要なのだろう。

両親が生前愛用していたものを、それも身に着けていた衣類というものを、仮令資源化するとしてもゴミ扱いすることへの抵抗感。

それはある。十分にある。

しかし、仮令業者に買い取って貰えたとしても、スーツたちの行く末は大同小異。どこかの誰かが着てくれたとしても、「処分」してしまうことに違いはないのだ。

だから

資源ゴミ(布類)の日に、市の回収に任せることにした。

いずれは自分のスーツ類も同じ道を辿ることになるだろう。

子どもたちは父親の体格を疾の昔に凌駕していて、引き継いでもらうどころか、逆に最近は子どものお下がりを父親が着ている始末だ。

そう遠くない将来、自分のスーツも処分しなければならない。子どもたちに処分させたくない。

ただ、両親のものを処分することより、もしかしたらずっと気が楽かも知れない。