体を売り続ける女の話し4

私は、お店に年齢がバレてしまったことを、石沢さん達の居る横浜のマンションに電話をかけ知らせました。
叱られると思ったが、そうでもなかったように記憶しています。
だか、遊んでるわけにはいかないので、マンションに帰って数日して、石沢さんに連れられ、東京の吉原(ソープランド街)の近くにある喫茶店でスポーツ新聞を観たのか、雑誌を観たのかは覚えてないが、ソープランドの広告を見せられ、どこに行こうかと相談されました。

吉原や岐阜などにもある、有名なお店に面接に行くことになりました。
金額は前の店のように高くは無く
総額で90分3万5千円だったと思います。
面接に使った住民票は、前に使わせてもらった、顔も知らない京都の21歳の女性の住民票でした。
面接は合格、即入店可能でした。

その頃、神戸の福原(ソープランド)でAIDSの感染者が出たと噂が広まり
あの当時は今と違って、生(コンドーム無し)が当たり前の時代で、AIDS感染者がソープランドで出たという噂は、お客様の足をソープ街から遠退けました。

前の川崎のお店では、一日行ったら10万円そこそこの金額を持って帰るのが当たり前だったが、吉原に移ってからは日に3万円くらい持って帰るのが、日常でした。
私が知る限りでは、ソープランドは3日出て1日休みだったと思います。

吉原のソープランドに勤め、沢山のソープ嬢のお姉さんと仲良くなりました。
お姉さん方は、色々な地方から出てきていました。
庶民的な優しい人ばかりで、仕事の帰りにはソープ街の中の飲食店で、みんなでイクラ丼を食べて帰ったのをよく覚えています。

住まいは、お店に歩いていける距離の所にウイークリーマンションを借りいました。
そこには、石沢さんも泊まっていくようになり、私としては、新婚のような気分でとても楽しかったです。

吉原に移って数ヶ月して、新年を迎えました。
東京の冬は、大阪に比べ、とても風が冷たかったのを覚えています。
一緒に浅草の雷門へお詣りに行き、とても幸せでした。

その頃、私は、女性器のバルトリン線という箇所に雑菌が入り、膿が溜まる病気になっていて、手術で膿を取り除かなければ仕事が出来ない状態まで腫れ上がっていて、仕事を休んでいました。

そんな時、横浜のヤクザの親分やみんなで、
山形県の蔵王温泉にスキーに行くことになり、私も連れて行ってもらえることになりました。
蔵王温泉ではスキーを楽しみ、温泉に入り、温泉の効能には、女性器疾患と書いてあったので、しっかりお湯の中に患部を浸しました。
その夜、石沢さんとセックスをしようと思ったのですが、石沢さんがやる気にならないと…
しんどくて、堪らないと…
次の朝、みんなが石沢さんの顔を見るなり
『どうしたんだ?顔が真黄色だぞ』と

蔵王温泉から、私は東京へ、石沢さん達は、横浜のマンションへ
横浜へ帰った石沢さんは、病院へ行ったそうです。
病名は、急性肝炎!
去年の秋、横浜に来てから、石沢さんや宇野さん達は、背中に入れ墨を入れていました。
それが原因で肝臓に負担がかかったのでは無いかとのことで。
急性肝炎で全身に黄疸が出ていたようです。
状況はあまり良くなかったようです。
私は、知らなかったのですが、住民票も保険証も無かったようで、急遽宇野さんが石沢さんの実家に連絡し、住民票を移し保険証を作ったようです。
私は、石沢さんの病院代を作らなければいけないので、吉原で仕事をしながら、横浜の病院に着替えや洗濯物を持って行ったりで、
近くに居ないことに不便を感じるようになりました。
入院は長くなり、3ヶ月が過ぎた頃、横浜のヤクザの親分に、また川崎のお店を紹介してもらえないかと相談しました。

前の川崎のお店は、総額で6万円
今回は総額で3万5千円のお店でした。

前のお店とも、関係、関連があるそうだったので、前の住民票は使えないので、私の姉の住民票を使うことにしました。
姉は年子だが学年は2つ上だったので、19歳。
住民票をお借りしました。
面接は済み、初出勤の前に性病の検査に行ったら、少し雑菌が出てるみたいなので、2週間くらいたってから初出勤することになり、
初出勤の前日に明日から出勤しますと連絡を入れました。

次の朝、お店に出勤したら、お店のスタッフに
応接室に通されました。
そこには数人の男の人が。
その中の一人が、『川崎警察の生活安全科の○○です。
ちょっと、お話聞かせてもらいますね』

私の心臓は、飛び出しそうにドクドク音を鳴らしていました。


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