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救いの色

骨が折れること、もしくはアキレス腱が切れることを切に願いながらトンカチで骨と腱をひたすら全力で叩いていた中学一年生、ストレス解消法は口の中の皮を剥ぐ事で口の中はいつも血の味がした。トンカチで自分を叩いた分だけ、口の皮を剥いだ分だけ私は生きることが苦手になったと思う。
太陽に近い、校舎の三階につくられた体育館は夏になると、どれだけ窓を開けようと人間がとても生きていける温度ではないほどに気温が上昇した。私にとっては、あの閉鎖的でほこりくさい体育倉庫だけが居場所だった。ボールの弾む音、バッシュと床の擦れる音、怒号と罵声、むせかえってしまうような汗と制汗剤の混ざった匂いが大嫌いで、下校のチャイムと一人夕暮れに向かって歩く帰り道が私の救いだった。

辛い時は頼っていいんだよ、逃げても大丈夫と言う人達が大勢いる中で、実際に誰かを頼り、逃げられた人がどれだけいるだろう。
辛い時に頼るべき人がどこにいるのか、逃げる場所がどこにあるのか私には分からなかった。仮に誰かを頼れても逃げた後のことはどうするのか、そんなことばかり考えていた。いつも人がくれるのは救いにならない無責任な言葉だけだ。
上手く人を頼れず、何とか自力で逃げた先は、穏やかなものであったけれど周りはいつも棘だらけで、身動きの取れないような窮屈で退屈な二年間を過ごすことになった。あのとき上手く人を頼れていたら何か変わっていたかなと思うけれど、あのときは頼るべき人も、逃げる場所も存在しなかったし、何も変わらなかったと思う。

汚い大人が、一年早く生まれたくらいで体育館を世界のように支配する年上が、集団心理に逆うことができず、平気で少数派を除け者にできる同級生のことが憎かった。

月日が経てば全てなかったことになる手品なんてものはこの世に存在しない。仕方ないの五文字で事を済ませたくない気持ちもあるが、仕方ないの五文字で簡単に事を済ませてしまう力がついた。私にとっての悪人は誰かにとっての善人であり、彼や彼女らなりの正義があったのだろう。今でも同じような容姿や声質の人とすれ違うと鼓動がはやくなるし、反射的に下を向いてしまう。


未来が晴れやかなものになれば私の過去も救われる日が来るのではないかと、温かいオレンジの光に向かって今日も歩き続ける。
大嫌いだった同級生からのインスタグラムのフォローリクエストを承認した、大学一年生の冬。

私はきっと、ちゃんと前に進めている。


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