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古い紙切れ

 特に万人受けするような話ではないし、ひっそりとあの部屋の隅っこにあるちいさなテーブルで、古い紙切れに書きつけて、その小さなテーブルの簡素な引き出しの一番奥のほうにしまっておくつもりでこれを書いておくよ。

 これは要するに、僕と、フィクションと、その両者のあいだにあるものについてのおはなしなんだ。本当は誰のそばにでもあるおはなしで、それに気付いたり、気づかなかったり、見え方が違ったりするだけのおはなしなんだ。僕は長い間ずっとこのことについて考えてきたし、かといって大した答えが得られたわけでもないんだけれど、このおはなしにおいて重要なのは、子供と、大人と、その両者のあいだにあるものについてのことであるから、二十四にもなった僕がやっておくべき、大人として最初の仕事で、子供として最後の宿題なんだ。

 本当は君も知っているはずなんだ。倒れ込んだ背中に触れるものが何もなかった時のような、唐突で、我慢ならない孤独を。親を疑ったあの日から始まる、際限ない不信と過信の暗い波を。

 とにかくだ。他者を呪い、世界を呪い、自分自身さえを呪うことを永遠に、永遠に繰り返して、その輪廻の途中の古びた戸棚の埃まみれの小さな隙間の内でのみ、人はいきをしているにすぎない。繰り返すことでその小休止が上手くなっているだけなんだ。痛みを忘れてしまった人たちへの侮蔑があるだろう。盲目に振る舞う人たちへの憎悪もあるだろう。だが、誰も彼もが、それを経て、また、生き延びようと足掻くんだ。だから君は社会に響く、踠きの共鳴にこそ、耳を澄まさなければならない。

 いや、何も説教をしたいわけじゃないんだ。十四には十四の、十七には十七の悩みがあるものだし、その日その時の自分にとっては、何よりも切実な身悶えるほどの苦しみなんだから。むしろあの時の痛みを、悲しみを全部、その身に焼き付けることが、自身の生に対する唯一の忠誠であり叛逆であるはずなんだ。

 ただ、どんな立派な人の精神であっても、あの際限ない不安の大渦と一緒に心中仕切ってしまえるほどの強靭さは持ち合わせていない。渦の中に顔を突っ込んだり、離してみたり、外れたり、戻ってみたり。途中で怖くなって顔を背けてしまう。それは死ぬことよりも恐ろしい。ぐるぐるする中で、自分の中身まで撹拌されてしまって、蛹みたいに身体と噛み合わない精神を、綺麗な蝶になりたいと願いながら暴れている。でもきっと、それは楽になりたいと感じているわけじゃない。そこで得た抉れ傷を見て、その肌色の間から覗く自分の真の色を、赤黒くてドロドロした、そこにあるのに深淵で、自分自身の可能性と確かな存在を確認したいと感じているだけなんだ。

 人はだんだん見たり、見なかったりすることが上手になっていく。無意識のうちに忘れて、蓋をして、自分自身の生きやすい世界に塗り替えていく。誰だってそうだ。それがいいことだとか、わるいことだとか、そう言いながら、そう在ることへ収斂していく。ただそう在る。愛というフィクション、大掛かりなフィクション。偉大なフィクション。たとえ宗教を持たずとも私自身の宗教、君自身の宗教は生まれ出でる。その鐘の音は何色か。

 あの時の自分を救う。あったかもしれない自分を救う。それを探すために人は目を凝らし、耳を澄ます。ほんとうのわたしを信じたいから。

 もう一度、戻っていく。自分自身へ。もう一度、戻っていく。開かれた世界へ。

 もう一度、みる。もう一度。あの部屋の隅っこにある、ちいさなテーブルの簡素な引き出しの一番奥のほうへ戻っていく。

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