将棋系実況者アユム氏のソフト指し疑惑について
普段、将棋の話とかほとんどしないのですが、個人的に色々思うところがあったのでこの騒動を知らない人向けの意味も込めてまとめ。
先に明言しておきますが、自分が一番言いたいことは「推定有罪に基づく私刑には一切正当性が無い」ということです。
1.事実関係
最初に何が起こっているのか、事実関係を時系列で示します。
---2年前のアユム氏への疑惑---
2019年08月(27日頃?)
Q氏(twitterアカウント@sq_17_)により、『自称元奨アユムがソフト指しである動かぬ証拠』との投稿がなされる。
投稿内容は、将棋系youtuberのショーダン氏と、同じく将棋系youtuberのアユム氏が、2016年11月頃に対局した際の棋譜。
(※Q氏のアカウントは既に削除済み)
2019年08月(28日頃?)
ショーダン氏が、配信にてQ氏の投稿に言及。
アユム氏の他の棋譜や時間の使い方にも触れ、『自分の棋力なら違和感感じたら大体ソフト』(転載動画の19分09秒付近)。
明言を避けつつも、アユム氏のソフト指し疑惑を強く示唆する。
(※当該動画は既に削除済み)
(※転載動画:https://www.youtube.com/watch?v=qSNoWX7S6eY)
2019年08月29日
アユム氏が疑惑を否定。手元配信を行う。
(https://www.youtube.com/watch?v=twiv1BNLj9o)
---ほっしー垢BAN事件---
2021年10月26日
将棋系youtuberのほっしー氏が「ソフト指し」を理由に、将棋ウォーズのアカウントを運営からBANされる。
2021年10月29日
ほっしー氏が「ソフト指し」を認める。
2021年11月01日
将棋ウォーズ公式から『ソフト指しに対する対応について』との文章が出される。
(https://shogiwars.heroz.jp/topics/617fa030d170da0ad0b4d9ae)
ソフト指しに厳しく対応する方針と、違反者の再登録を認めないことが示される。
---アユム氏への疑惑再燃---
2021年11月04日
アユム氏がアンチからの嫌がらせが多いことを理由に将棋ウォーズのアカウントを削除。
これが強く疑念を招くものとなり、アユム氏へのソフト指し疑惑が再燃。
2021年11月10日
ショーダン氏が『例のソフト指し疑惑について改めてしっかり話します。20211110』と題した動画を投稿。
(https://www.youtube.com/watch?v=EHGens2pa34)
アユム氏のソフト指し疑惑について論じ、アユム氏に『証明責任がある』として『しっかりと対応』することを求める。
2.問題点
この一連の出来事で、自分が最も問題視しているのは、アユム氏を黒と決めつけた中傷が数多く見られることです。
これは3つの理由で、正当性を欠いています。
3つの理由とは「推定無罪の原則に反する」「私刑は正当化されない」「そもそも黒とする根拠が薄い」の3つです。
合わせて、2016年に起こった三浦弘行九段の冤罪事件と構図が非常に似ているにも関わらず、将棋クラスタが過去の出来事からの教訓をまるで生かしていないことに憤りを感じています。
・推定無罪の原則
世界人権宣言や国際人権規約でも定められている近代法の基本原則として、『有罪が確定するまでは無罪として扱わなければならない』というものがあります。
これは「疑わしきは罰せず」という表現でも知られています。
・私刑
アユム氏に対しては、2年前の騒動の時から誹謗中傷や殺害予告などの、疑惑追及や批判を逸脱した個人攻撃がなされています。
仮にアユム氏が黒だったとしても、これらの「ネット私刑」は正当化されるものではありません。
・根拠
アユム氏のソフト指し疑惑の根拠は、ほとんどショーダン氏の指摘のみに依拠しており、根拠としては相当薄いです。
(※詳しくは後述)
3.ショーダン氏が挙げた3つの手
ショーダン氏が疑惑の根拠として挙げている手は実質3つのみです。
さらにそれらを疑う理由も主観による部分が大きく、数と質の両面で根拠としては乏しいと言えます。
・6二角
『AIに対する有名なハメ手で、嵌められたAIが指す悪手と一致している』という手。
これについては、2015年の「電王戦」で阿久津主税八段が将棋ソフト「AWAKE」に対して『打たせた』手とも酷似しており、疑惑の根拠として一定の説得力があるものです。
しかしながら、人間でもうっかりミスで指しうる手であり、プロやそれに相当する実力者でもうっかりミスは起こり得るものであるため、確たる証拠とはなりえません。
・4六歩~5二銀
これについては『どういう理由でこの手が指せるのか意味がわからない』という主観的な理由しか示されていません。
『ショーダン氏に理解できない手だからソフト指し』と言っているのと同じで、根拠になっていません。
・2四歩からの二枚替え
『この攻めをまともにくらうのは不自然』という理由ですが、これもショーダン氏の見解のみに依拠したものとなっています。
さらにショーダン氏の見解に沿って考えても、6二角同様にうっかりミスの可能性を十二分に追えるものと言えます。
ーーー【2021年11月22日追記】ーーー
この2四歩からの二枚替えについては、そもそもショーダン氏の説明自体が事実と異なるとの指摘がなされているようです。
以下、https://www.youtube.com/watch?v=qSNoWX7S6eYのコメント欄より引用。
平沼銑次
7 日前
激指14で分析(3局目)
・そもそも、ショーダンさんの新しい動画に出てくる「角銀の2枚替えをアユムさんは食っていない」
(下記動画の4時間10分あたり、86歩同歩同角の次のアユムさんの手は54歩なので、印象操作としか思えない。 https://www.youtube.com/watch?v=gE4rcjtn2AM&t=15930s)
・動画の局面はアユムさんの55歩の直後であり、激指によると86歩に54歩と応じておけば、ほぼ互角だったので、55歩の仕掛け自体は成立していて、86同歩としてしまった手順前後が問題
・最終盤の飛車の王手に対して、アユムさんがノータイムで49香車で合い駒し、詰んでしまうが39香車なら不詰み(やや不利だがー500点程度)
(感想)動画見る限り、「普通は知ってる2枚替えの不利を知らずに食ってしまうアユムさん(ソフト指しでは?)」とも受けとれる作りになっているが、そもそも2枚替え食ってないので、その論理は全く成り立たない。この件から、せいぜい言えることは、アユムさんの序盤作戦はやや粗いというくらいのことだろう。単に棋風の問題に思える。その何倍も重大なのが49香車の方だ(激指は数手前から王手に対する合い駒の候補手は39香車だけを明示した)。これはいわば、『「ソフトには指せない手」をアユムさんはノータイムで指した(その結果負けた)』ということだ。この手を見ても、理屈の上では『部分指しでは?』などと、まだ疑うことが可能なんだろうけど、少なくとも3局目に関していえば、「あやしいからあやしい」「疑いたいから疑う」と言ってるのに等しいと思う。
この指摘は、ショーダン氏の主張がショーダン氏自身によって前提から歪められていることを示しています。
さらに、同一対局での終盤の指し手に着目し、ソフトであれば明確に詰みを回避するであろう場面で、アユム氏が敗着手となる「ソフトなら指さない手」を指していることを併せて指摘しています。
ーーー【2021年11月22日追記ここまで】ーーー
4.ショーダン氏の主張の不備
ショーダン氏が疑惑の根拠として挙げているのは上記の3つのみです。
問題の棋譜が2016年のもので、2021年現在に至るまでの5年間で3つしかソフト指しを疑える手を示していないことになります。
客観的に見れば、これは根拠としては相当に薄いと見るのが自然でしょう。
また、ショーダン氏は『疑われたら証明責任がある』と主張していますが、そんなものはありません。
ソフト指し疑惑に対する無実の証明は、現実的にはほとんど不可能であり、いわゆる「悪魔の証明」です。
勝手に疑惑をふっかけて相手に「悪魔の証明」を求めるのは暴論でしかありません。
また、youtubeコメント欄などで『アユム氏は本名などの個人情報を公開するべき』との主張が多数見受けられますが、これも不当な要求以外の何物でもありません。
ショーダン氏は自身の行為を『誹謗中傷ではない』と正当化しており、その主張は一応正しいと言えます。
しかし、アユム氏への誹謗中傷や殺害予告が生じていることは当然把握しているでしょうし、ご自身が事実上の扇動者となっている自覚もあるはずでしょう。
それらの状況を踏まえれば、単に自身の行為を正当な疑い、あるいは批判であるとして正当化するだけでなく、度を越えた個人攻撃を行わないように呼び掛けるべき立場にあるのではないでしょうか。
その点についての言及が一切無いことは、すなわち個人攻撃の黙認をしていることに等しく、非常に残念なことに思われます。
5.アユム氏の「悪手」
ショーダン氏の主張の根拠が乏しいにも関わらず「疑惑」が勢いを得ているのは、アユム氏のアカウント削除が「証拠の隠滅」と受け取られるような強く疑念を抱かせるものだったからでしょう。
『アユム氏が白であるならば、身の潔白を主張し続けるべきであり、アカウントの削除などという余計なことを行うべきではなかった』
と考えるのは自然な考えですし、裏を返せば『アカウントを削除したのはソフト指しをしているからだ』という疑いが生じてしまうことも至極自然なことです。
この点でアユム氏は大悪手を犯していると言えます。
しかしながら、アユム氏は2年前からバッシングを受け続けている状況で、精神的にかなりまいっていたことが動画からも伺えます。
不当な疑いをかけられた時に徹底抗戦するべきと考える人が多いと思いますが、抗戦ではなく逃避を選択する人もいるということを理解するべきです。
それが精神的に疲弊している時であればなおさらのことでしょう。
今回のケースについて言えば、疑惑を払拭するための負担は大きい一方で、無実の証明は極めて困難である、という状況です。
疑惑を払拭するために多大な労力をかけても、疑惑の払拭という結果は得られにくい。
この「わりに合わない」作業に労力を割くことを放棄するというのは、決して不可解な選択ではありません。
6.三浦弘行九段の冤罪事件との比較
将棋界では2016年に三浦弘行九段がソフト指しを疑われるという事件がありました。
詳しい方には説明不要かと思われますが、この事件についても簡単に説明し、今回の件と比較したいと思います。
この事件では、次の2つの理由で、三浦弘行九段がソフト指しを疑われました。
・久保利明九段による『対局中に三浦弘行九段が30分以上の離席を行った』とする指摘。
・渡辺明九段による『将棋ソフト「技巧」と三浦弘行九段の指し手の類似性』の指摘。
しかし、その後の第三者委員会による調査の結果、三浦弘行九段がソフト指しを行った事実は無いと結論付けられました。
(調査報告書:https://www.shogi.or.jp/news/investigative_report_1.pdf)
一般的に否定的事実の証明というのは困難なものですが、調査報告書では以下のような調査結果が示されています。
・対局時の映像を確認した結果、「30分以上の離席」がそもそも存在しなかった。
(久保利明九段の勘違いであったと考えられている。)
・三浦弘行九段のスマホやPC等の電子機器を解析した結果、対局時に使用した形跡自体が確認できなかった。
(なお、この調査では三浦弘行九段の配偶者や母の所有する電子機器まで併せて調べられている。)
・ソフト指しとされた指し手は、三浦弘行九段が三枚堂達也七段と事前に研究を行っていた手であり、それを裏付けるキャリアメールが確認された。
・「技巧」の示す最善手は、同一条件下でも毎回同じとは限らないため、分析のたびに一致率は大きくばらついてしまう。
→このため、一致率を不正の根拠とすること自体にそもそも無理がある。
・疑惑を持たれた対局での「技巧」と三浦弘行九段の指し手の一致率は確かに高かったが、「技巧」公開以前の対局でもやはり一致率が高いものが複数確認された。
さらに、三浦弘行九段以外の他のプロ棋士の対局でも同程度に一致率が高いものが数多く散見された。
→三浦弘行九段に限らず、プロ棋士の対局には「技巧」の指し手との一致率が高くなるものが少なくないと判断できる。
これらの調査結果は説得力のあるものであり、三浦弘行九段に向けられたソフト指し疑惑は完全に冤罪であったと言い切れると思われます。
7.「プロなら分かる」という誤謬
三浦弘行九段の冤罪事件の際に多く見られた言説に『プロ棋士(あるいはそれに匹敵するような実力者)であればソフト指しは見抜ける』というものがあります。
渡辺明九段が『一致率や離席のタイミングなどを見れば、プロなら(カンニングは)分かるんです。』と述べていたことが代表的なわかりやすい具体例です。
しかし、実際にはこれは完全に誤謬であることがはっきりしています。
事実上の告発者でもある渡辺明九段は、三浦弘行九段のソフト指しをほぼ確信していました。
また、橋本崇載八段もtwitterで『1億%クロ』と発言するなど、やはり三浦弘行九段のソフト指しをほぼ確信していました。
お二方とも、その棋力には疑う余地の無い実力者ですが、この「読み」は完全に間違っていたわけです。
そして現在、アユム氏へのソフト指し疑惑でも同じような言説が多々見られます。
他ならぬショーダン氏自身が『自分の棋力なら違和感感じたら大体ソフト』と発言していますし、youtubeやtwitter等でも『棋力がある人ならアユムが黒だとわかる』『アユムを白だと思うのは将棋を指さない人だけ』等の発言が多々見受けられます。
これらはどれも「プロなら分かる」という当時の誤謬と同じ誤謬に迷い込んでしまっています。
棋力の高い人の将棋の局面に対する「読み」は本当に優れたもので、「おそらく詰む」「たぶん詰まない」といった直感がよく当たっていることは、将棋が好きな方であればよく知っていることと思います。
しかし、棋力の高い人の『ソフト指しか否か』という「読み」は、あまりアテにならないのです。
これは2016年の三浦弘行九段の冤罪事件の際に既にはっきりしていたことで、今また同じ過ちを繰り返していることは実に愚かと言うほかありません。
8.最後に
何かに対して疑いを持つことは「悪」では無いと思います。
しかし、疑念が決めつけになり、さらにそれに基づいた個人攻撃へと発展するのであれば、それは正当性を失い「悪」となります。
そしてそれが、論理的な根拠を欠いたものであれば、「悪」であるだけでなく「愚か」な行いとなるでしょう。
まして、教訓となる出来事があったにも関わらず、同じ過ちを繰り返すというのは二重に「愚か」な行いです。
そのような「愚か」な「悪」を実践してしまっている方々には、ぜひともまずは自覚をしていただきたいと切に願います。
9.おまけ
https://midorism64.hatenablog.com/entry/2019/08/30/003307
このブログ記事は2019年にアユム氏へのソフト指し疑惑が出ていた際に書かれたもので、三浦九段やアユム氏への疑惑の根拠と同じ論法を用いることで、天野宗歩(江戸時代の棋士)がソフト指しをしていたという結論を導けてしまう、という面白い内容になっています。
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