見出し画像

2019年の振り返り。

一年が終わろうとしています。
私のこの一年は「放牧」とか「仕切り直し」の年だったかなって。
いろんな教訓になる痛い目も見て、それ以上悪くはならないって意味では今年は可もなく不可もなく過ごせられました。

自分で言うのもなんだけど、私ってこう、めんどくさがりのくせに真面目なところがあって、何に対しても誠意を込めたい性格だからあんまりいい加減な心構えでいたくないタイプなのですが、逆に「もう頑張っていてもしょうがないや」とか「我慢してもなんにもならないや」とか、一回バッサリ諦めちゃうって事を覚えた事が、今年の大きな収穫だったかなと。

自分なりに頑張っている事とか守りたいポリシーとかが、自分の事を近くで見て応援してくれていたはずの人達にすら見えていなくて「もういいや、他人なんて!」って気持ちになっちゃって。こう言うと投げやりな感じだけど、人からの絶対的な理解みたいな物を求めるのをやめて、他人評価も承認欲求も取っ払って生活してみたら、なんかものすごく楽だったんですよね。

ちゃんと一人になるって凄く楽しい。自分が何を好きで、何をやり遂げたくて、何をしなくても、逆に誰もそこまでやらないよって事をとことんまでこだわってみるのもいいし、一日二回お風呂入っちゃってもいいし、真夜中にゲームやってもいいし、SNSに載せる載せないにこだわらずアニメや映画を鑑賞したりオシャレなカフェに行ったりして自己満足に浸っても良くて、自由で楽しい。誰にも立派に見られなくてもむちゃくちゃぐうたらに感性に任せて楽しんじゃおうって言う自分と「根っこは真面目でありたい」って言う性質とを、自分の中でやっとうまく折り合いつけられるようになって来たって感じです。

「私も少しは器用に自分を労わる事ができるようになって来たんじゃないですかね」ってフフッてしていると不思議と気疲れしている周りの誰かを労わりたくなっちゃったり、世の中の一部の人がキャッチしてくれるのが愛しくて「今この地点にいます」って進捗報告したくなったり、矛盾しているんだけど、人と距離を置いたら誰かを気に掛ける気持ちに厚みが増したような気がします。

自分と同じように一人の時間を満喫してる人とか、仕事とか目標とかに向かって突っ走っている人が好きです。心にゆとりがある時ほどそんな博愛が溢れてしまって「やぁみんな」ってしたくなるから、Twitterやめられなかったんだよ、本当に。この1年、実はずっとネットの使い方と向き合ってた。
全然スマートになれない。でも鈍足な自分が思う事も生む物も、全部大事だなって思ってる。
「頑張る」って気力も体力も掛かって荷が重くて苦手な言葉なんだけど、来年も泥臭く、より一層気持ちを込めて物事に向き合いたいです。

これを読んでくれている人は、きっとさっき話した“世の中の一部のキャッチしてくれる愛しき人たち”だと思うので。
なんかいつもほんとありがとうね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?