意味のない流行り語

言葉とは、意味があってこその言葉であるべきだと、ふと思った。

七月末、エアコンの下以外では汗でびしょびしょになりながら、日々を過ごしていて、不意に頭をよぎった考えがある。

それが、「やばい」って結局どういう意味なの?

という疑問である。

もう何年も前のこと、「やばい」が流行し始めたころの話題を掘り返すようで申し訳ない。こんな話題はもうとっくに腐ってると思う方は読まなくて結構だが、私はむしろ熟成されていると思っている。


さて本題だが、流行語というのは基本的には漫画やドラマで使用されているセリフや表現であることが多い。半沢直樹が流行っていた頃は、誰もかれもが倍返ししていた。最近は東京卍リベンジャーズが流行っており、「ひよってるやついる?」という言葉や、youtuberが言った「大丈夫そ?」という言葉がよく使われている。

そして、そういった流行したものに連れて流行した言葉ではなく、「おけまる水産」やら「マジ卍」などといった、ほとんどダジャレというか語感で流行している言葉がある。

「やばい」は急に流行った謎の言語であるが、これも語感というか、言いやすさというか、意味がはっきりしない分使い勝手が良かったので流行した感じがする。

「やばい」とは、物事のある側面が特出していることを差す言葉だと思っている。たぶん、そうやって使われているよね。

暑いとか寒い、物の大小、感情の起伏、すべてヤバいで言い表せる。

非常に便利な言葉である。

しかし、私はこれを言葉とは認めたくないなと、思い立ったのだ。


言葉には意味があるべきだ。やばいは意味がない。意味は100%文脈に依存している。

文章や会話の流れから意味を絞っていかねばならない。

文脈に意味が依存しているのならば、わざわざ「やばい」という単語を使う意味がないのではないか

例えば、

最近の大谷選手はホームランを何本も打っていて、メジャーでも大活躍だ。という会話の中で、

「やばいよね」という相槌をいれる意味があるのか

という話なのだ。

肯定的な相槌なら「確かに」や「すごいよね」が、否定的なら「そうでもない」が、言葉としてすでにある中で、新たに「やばい」という賛否のどちらともとれるような返答をすることはないのではないか。

それって、ただ赤ちゃんが意味のない言葉を発して、周りの大人が意味や感情を読み取るのと同じことじゃない?


これって気にし過ぎなのだろうか。

例で挙げた大谷選手の活躍に対しての返事で「やばい」という返事をすると、「活躍具合がやばい」「活躍している割に年俸が低いのがやばい」「自分は野球に詳しくなくて付いていけないのやばい」なのか、考えれば無限の選択肢が生まれる気がしてならないのだ。


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