最近考えの足が止まった場所いくつか
この記事はあなたを否定するために書かれていない。
*『チェヴェングール』が気になった方へ
まだ買っていない人には、ぜひ応援したい本屋さんで買ってほしい。ヒントとして、「書名+通販」で独立系書店の通販サイトに行き着くことがたいていできます[例:①、②など]。それから、これから読む人には急がないでほしいです。あなたの頭の中にしかない想像上の“チェヴェングール”との時間はとても大切だと思う。統計的な量として「読破」を目指す必要はないです。
買わなくてもかまわないです。本を読むということが、消費にしか繋がらないことは窮屈だと思います。図書館にリクエストを出す仕組みがどの図書館にもあるので、地元や所属先の図書館にリクエストしてもらえると、あなただけでなく、他の人も助かります。
それから例えば、目安として30歳未満の学生さんやその他の方で、ぜひ買いたいんだけどお金がどうにもならないという方がいらっしゃれば何とかできるので、ブログのフォームからご一報ください、どうかご遠慮なく。→[Contact]
感想やその他メッセージについても、上記Contactから寄せていただけるとすごく嬉しいです。
*情動を動かす/されることへの抵抗
「受賞スピーチ」の文章が(自分比)少し多めに拡散されていたのですが、多くの人の情動を強く動かし(てしまっ)たらしいことについては申し訳なく思っています。情動を動かされることは支配につながると思うからです。
わたしは例えば池辺葵さんの漫画に触れることが比較的よくあって、池辺さんの作品はどれも読む時、わたしは必ずどこかで泣かされてしまうのですが、そうした表現の強さ・切実さには感嘆しつつ、しかし強く情動を動かされることには警戒心があります。
なにがどう働いてわたしは泣いているのか。感動によって何かをごまかされていないか。そういうことは立ち止まって精査する時間を確保したい、わたしもそのような余裕のある文章を書きたいと思いました。一つの理想として、考え事に読者を巻き込むような立岩真也さんの文章があります。プラトーノフの文章もその類いであると思います。
*スチヒーヤでなく
本が「出る」とか機運が「出る」とか言われますけれども、本を「出す」のだし、機運を「作って」いるわけです。そこには人間の労働と努力が(も)あります。
*スチヒーヤである
「スチヒーヤ」は難しい、かもしれないけれども、でも本当は直感的にわかることだと思ってます。
例えばモーニング娘。の「恋愛ハンター」という曲に「自然の法則に逆らうな/この口づけも 自然の力」という歌詞があり、スチヒーヤの理解に役立ちえます。
仮に歌詞の主体が女性であるとして、「口づけ」もまた「自然の力」としてやってくると位置づけられるところに、プラトーノフの女性観の限界も端的に表現されていると思います。要するにプラトーノフにとって女性は「作為」「自然」の対立で捉えるばあいの「自然」の側の存在であり、男=人間が「作為」でもって働きかけ、改造し、征服する対象として捉えられつつ、また他方で「作為」によってはついに改造しえず、征服しえず、時に逆襲してきさえするものとして捉えられるというわけです。
ただ、このあたりのこと、近々刊行されるという池田嘉郎さん訳の『幸福なモスクワ』を読みながら考えると非常に面白いと思います。ご期待ください(『幸福なモスクワ』についてはなにも関わっていないのですが)。
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