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なぜ失言大王よりも当事者になった上川陽子の対応に波紋が広がるのか?

 なぜ失言大王よりも当事者になった上川陽子外相の対応に波紋が広がるのか?
 麻生太郎副総裁のルッキング発言から端を発し、当人の上川氏の対応を巡って、「大人の対応」、「抗議すべき」と意見が割れてしまうこと自体に相当根深いものがあると思う。

「なぜ抗議をしないのか?」、「毅然とした対応をして欲しかった」
確かに上川氏のようにかわしたり受け流したりすることがベストな選択ではないことぐらいは分かるが、非難が当人に向かってしまうのには釈然としないものがある。
 「自分が我慢したことで次世代の女性にそれを引き継いでしまい後悔している」というような発言は近年よく見聞きする。大変立派だが理想論でもあるし、そのほとんどは発言の場がある人からの発信である。筆者にも覚えがある。自分が少数であるときに多数におもねてしまい同じ立場の少数者への意見を遮ってしまったことは幾度かある。当然自分の保身のためだ。そのときに少数者の代表者となって多数に立ち向かったことで苦しい立場に追い込まれても誰も助けてくれないからである。しかも自分が嫌なことを我慢すると、同じ思いを次世代に引継ぎたい、明らかに理不尽であっても、自分が我慢したことを次世代が我慢しないことには許せないと考える人が少なくないのである。
 もっとも上川氏は一般の人に比べれば、万全の立場(ここで耐えないと総理大臣になれない立場ではあるが)であろうから、批判する気持ちも分かる。それに失言大王である麻生氏への期待値は一切ないだろうが、上川氏への期待値もあって激励も入っているという気持ちもまあ分かる。むしろ上川氏ほどの立場の人でも毅然とした対応を取れば取るほど地位は保てないと示されたことで、ジェンダー平等は未だ遠いと思い知らされるわけである。

 「前にも後ろにもたくさんの女性たちがいることを意識して発言して欲しい」と上川氏に注文をつけながら「渦中にある当人は自分の思いを言語化しにくい。周りの自民党議員が、代わりに批判して支えて欲しい」と願う谷口真由美氏(「全国おばちゃん党」を立ち上げたことがある法学者)には同意する。が、「代わりに批判して支えて欲しい」と言うのならそれこそそういうことは党とは関係なく共闘すべきだと思うのだが。

 そうでないと誰にも助けてもらえなかった”当人”は、次世代のセクハラパワハラの当事者を助けることなく「かわし方」を全国民に伝授してしまうのだ。

 正直なところを言うと、筆者は総理大臣になるとすれば高市早苗経済安保担当相よりは上川の方がマシだと思っているところがあるので、いささか擁護になってしまうのかもしれない。高市氏が総理大臣になると戦争に突入しそうな感じがあるからである。

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