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「変わらぬ人」と「変わりゆく人」の狭間には

 久しぶりに惜しまれる人が2名も退場になった。範頼と大姫だ。最近は惜しまれない人の死ばかりが続いていて、どちらかというと惜しまれない人の方が共感出来るのだが、それをどう明文化していいかわからないので正直つらかった。
 もちろん惜しまれる人の退場はつらいことだ。

 「私の一存でやったことだ」
この一言は範頼(迫田孝也)が巻狩の襲撃で頼朝(大泉洋)生死不明の情報が飛び交う中、鎌倉殿を継承しようと、書状を朝廷に送った結果、謀叛の疑いがかけられたことへの答えだが、どうしてもあの16話の「私が叱られれば済むこと」を思い出す。
 義経(菅田将暉)が木曽の兵と小競り合いをしたときも「鎌倉殿には私が命じたことにしておきなさい」と庇い、思わず、ない眉をひそめていい顔をしなかった景時にも、笑顔でおさめた範頼の言葉だ。もうこの時点で、ああ、これ死亡フラグだなとみんな思っただろう。巻狩事件の責めを全て負うんだなと。
 これまでずっと凡将として軽視されていた範頼を初めて再評価したのは何を隠そう本作品『鎌倉殿の13人』であり、『草燃える』だって軽視していたし、筆者もそうだった。だが考えてみれば、一ノ谷壇ノ浦共に総大将は範頼であり、その総大将が義経の策を採用している。天才でも秀才でもないが、優秀な部下を上手に扱えるリーダーは皆にリスペクトされる。範頼はこれまで凡庸に描かれ過ぎていたのではないか?本当に凡庸だったらあのような形で粛清されることもないだろう。修善寺でも地元民にも好かれていた描写もあるのは、紀行でも祟られないように祀っている感じではなく普通にお参りされていたことが証左なのかもしれない。

 小四郎(小栗旬)の起請文、姫の前つまり比奈(堀田真由)との仲を取り持とうと頼朝が「絶対に離縁しません」という内容の起請文を小四郎に書かせたことになっているのだが、『鎌倉殿~』ではさすがにスルーされるかなと思っていたら、まさか範頼が身の潔白を証明しようと兄に献上した起請文に関連付けしてくるとは思わなかった。やられたと思った。しかも起請文の関連付けは範頼だけではなく平六(山本耕史)にも及んでいる。
 「起請文の書き方にはくれぐれも気を付けろ」この台詞は例の小四郎の起請文へのコメントだが、20年後に平六もある起請文を記すことになるのだ。

丹後局(鈴木京香)by『鎌倉殿の13人』

 「 まあお美しい姫君、お召し物がよくお似合い。」

 「なんてお美しい。まるで匂うような本当にお美しくていらっしゃる」

 いずれも同じ人物が発した言葉であるが、上記は鈴木京香演じる『鎌倉殿~』の丹後局、下記は草笛光子演じる『草燃える』の丹後局である。一見似たような美辞麗句に聞こえるのだが、本意は全く逆のベクトルから発しているのである。上記は皮肉で、下記はおべんちゃらだ。鈴木京香の丹後局は美辞麗句から一転する。

「田舎の人はよいものですね。どんな言葉も素直に受けとめる。頼朝卿はともかくあなたはただの東夷。(中略)厚かましいにも程がある。その娘など、帝からすればあまたいる女子の一人にすぎないのじゃ、それを忘れるな」

丹後局(草笛光子)by『草燃える』

 よくいえばエール、悪くいえば文字通り恫喝である。三谷幸喜は、りく(牧の方)と同じように丹後局にもシスターフッドを期待したのかもしれないが、やや無理筋さを感じた。そもそも大姫の後鳥羽帝への入内を望んでいたのは丹後局ではなかったか?頼朝の上洛の表向きの目的は、東大寺の供養だが、本当の目的は娘の入内で、朝廷の実力者である土御門通親(関智一)と接触しようと膨大な贈り物作戦も用意していたのだ。ところが、丹後局は丹後局で、それこそ渡りに船だった。当時兼実の娘と通親の養女が同時に後鳥羽帝の子を孕っていて、丹後局は所領のことで対立していた兼実(田中直樹)を失脚させるために通親と手を握り、兼実の娘に対抗するために、頼朝の娘の入内を策したのである。なので政子(小池栄子)と大姫に向かって「兼実公のご息女と通親卿のご息女、このお二人が既に帝のお子を孕っているのはもちろんご存知ですよね。」なんて親切に教えてあげている場合ではないはずなのだ。で、『草燃える』の丹後局は腕によりをかけて、大姫のことを最初から最後まで褒めそやしていた。鎌倉を利用しなければいけない事情があるので当たり前である。この事情を知っているにもかかわらず、三谷はなぜ鈴木京香をあえて奇をてらった使い方をしたのかがわからない。それとも利用しなければならない相手だが、手心を加えてしまった丹後局を描きたかったのか?大姫を利用しまくった草笛版の丹後局に対抗して、そうではない鈴木版の丹後局を作りなおしたということか?結局は兼実の娘は女児を、通親の娘は男児を産んだので帝の外祖父になるのは通親ということになる。つまりかませ犬にされていた大姫の入内は不要になり立ち消えになったのだ。
 いずれにしろ丹後局との対面が、明らかにオマージュなのは、久しぶりの比企局の再登場があるからだ。ご丁寧にクレジット順でも丹後局と比企局は並んでいた。もちろん単独でだ。丹後局から比企局になった草笛光子は、大悪女から慈母になったと思いきや、どうも本作品では慈母も闇落ちするらしい。ネタバレだが長生きはするもんだ。

 丹後局といえば、平家が都落ちするときに、時間稼ぎをして後白河(尾上松緑)を逃していたことを思い出す。『草燃える』では草笛光子が泣き落としを駆使して、見事に宗盛・重衡を撃退する。海千山千の丹後からすれば赤子をひねるようなもの。
 基本的に『鎌倉殿~』は源氏方の視点がないものは描かないことになっているので、この場面はないと納得しているが、今後は朝廷との交渉ごとが描かれるはずなので、活躍は期待出来るかもしれない。

反骨の大姫(池上季実子)by『草燃える』

 そして大姫はというと、筆者からすれば、どうしても『草燃える』の池上季実子の存在を拭いきれないのだ。描き方も演じ方も、あの病んだ凄絶な美しさ、充満された負のエネルギーには今も圧倒される。当時筆者も思春期だったこともあるが、あそこまでの透徹された自己完結さや、狂い咲きかというぐらいの狂気さには、一緒に狂いたくなりそうな気分にもなった。無論、南沙良演じる大姫にはない。それは激しさや活躍度や悲劇性がかなり薄められているからだ。正直なところ、あのときから引き戻されるような感覚だった。池上版の大姫は葛藤を抱え狂いながら抗ってもいた。
 「こんなもぬけのからをお好きなら可哀想としか言えません」などと真骨頂である自虐ネタを披露し、父にも母にも、あの丹後局にすら投げやりな態度で逆らう大姫にはあれほど悲劇的なのに、なぜか小気味良かったのだ。彼女の鎌倉論評は既に人知を超えていた。義高に手をかけたことで成敗された藤内光澄の母に出会ったことで、自身もある意味加害者なのだと思い知り、到達した哲学を身につけるのだ。この到達した哲学は末弟にのみ受け継ぐことになる。
 入内のことなどどうでもいい大姫は、霊媒師(巫女)が呼び出した義高の魂との遭遇(幻覚)を果たすが、幼女の大姫しか知らない義高は今の大姫を認識出来ず、さらなる悲劇を呼び寄せてしまうのだ。

 だが南版の大姫には、義高の魂は現れない。インチキ霊媒師でしかない全成(新納慎也)が呼び寄せる義高の魂は所詮モノマネで、悲劇ですらなく喜劇である。 そんな大姫もインチキ霊媒師を見破る聡明さは持ち合わせているのだが、権威のある父母には逆らえなくて、反論出来るのはインチキ霊媒師である身近な叔父叔母たちくらいなのだ。本作品での大姫は、有り余る反骨のエネルギーはなく、スピリチュアルに傾倒していくところが逆に現実性を帯びるのだが、両作品のどちらに救いがあるのかと問われても答えられないだろう。

大姫(南沙良)と巴御前(秋元才加)

『鎌倉殿の~』大姫と巴御前(秋元才加)の交流は一見唐突のように思われるが、おそらく三谷が本作品での大姫と静御前(石橋静河)との交流をかなり削ってしまったからだと推察する。『吾妻鏡』での大姫と静の交流は大いにあったのだが、『鎌倉殿の~』では、そこまでの枠は取れなかったのだろう。そのことを悔やんでいたのか、三谷はその代わりに巴との交流を創った。考えてみれば立場的には静より巴の方が大姫に近いのだ。巴に関しては『平家物語』でなく『源平盛衰記』を採用したことで大姫と巴の交流も生まれたのだと思う。大姫の背中を押す巴もそれを見守る小太郎義盛(横田栄司)も限りなく魅力的だが、その後の巴を想像するとどうしてもフラグが流出してしまうので何とも言えない気持ちになる。
 大姫は巴との出会いをきっかけに、とにかく前に進もうと帝との縁談を再考するも、皮肉にもそれが大姫の死へのカウントダウンとなってしまう。丹後局の厳しい洗礼を受けた大姫は寝所を抜け出し雨に打たれ行き倒れたところ、偶然にも通りかかった平六に助け出される。

「人は己の幸せのために生きる、当たり前のことです。」
平六の言葉で大姫は救われるが、さらに彼女は死に急ぐのだ。「好きに生きるということは好きに死ぬということ」と理解し、義高に再会することだけを楽しみに次第に衰弱していく。

髪を切る大姫(池上季実子)by『草燃える』

 池上版の大姫のフィナーレは圧巻である。
霊媒師を介して義高と再会し感涙する大姫。しかし夢心地の中で彼の中には7歳の姫の姿しかなくいつのまにか彼より5歳も年上になってしまった事実をつきつけられる格好になり、自ら髪も切り錯乱する大姫。
 「七つの女の子になって義高様のところに...あたしは女の子、可愛い女の子、七つの女の子。義高様見て、この髪を見て...」
 義高はおかっぱ頭が好きだったのだ。そして容態が回復することはなく姫はその短い生涯を閉じる。建久5年秋(1197)行年20歳。

 後鳥羽帝への入内の前に政子が進めていた従兄である一条高能との縁談もあったのだが、『吾妻鏡』にも記されているように『鎌倉殿~』にも『草燃える』にも表現は違えど大姫が義高への思いを主張するシーンはあった。
 高能は『鎌倉殿の~』(木戸邑弥)では大姫に呆れて帰ってしまう普通の人だが、『草燃える』(三沢慎吾)では結構な人格者になっている。大姫に思いを寄せているだけでなく理解者になっていて、二人が由比ヶ浜の浜辺で歩いているシーンもあり、縁談を断る姫の声を御簾の外で聞いている哀しげな高能の場面もある。彼女の死後、翌年にあとを追うように病死している。

 南版の大姫の死は、奇妙なほど淡々と描かれている。入内を進めてほしいと頼んだのも、全て父母の役に立ちたいというそれのみで、思えばこの大姫は父母に反抗することも全くなかったのだ。確かにそんなことで体力を消耗するよりスピリチュアルなどに傾倒する方がまだましということなのだろう。推測だが三谷は自身の大姫を、『吾妻鏡』と『草燃える』の激しい大姫と対照的に、放出する反骨のエネルギーを抑制して描いたのではないか?錯乱する前に静かに寿命を終えて思いを遂げられたのではないかと。
『吾妻鏡』での大姫に関する記述に疑念を抱くのも分からなくもないが。
 加えていうと漫画『ますらおー秘本義経記ー』(北崎拓)の外伝『大姫哀想歌』の主人公大姫は、どちらかというと『草燃える』に近く錯乱はしているが、死後、思いを遂げてはいる。7歳に戻っているので。

 そして範頼の最期は大姫の後になった。一応は範頼の方が先なのだが、「大姫の死は範頼の呪いだ」などと頼朝が言い出す設定を作った以上、範頼の死は他にも異説があるという言い訳が立つので苦肉の策を弄したのだろう。信心深い(祟られたくないので)が合理的なはずなのに、こんなことを言う頼朝は確かに死期は近いと合点がいく。

「こんな思いはしたくない」と叫ぶ政子に
「何度もするんだよ」と思わず全員が全力でつっこむのだが、
当然ながらつっこんでもらいたいと思って描いているのだろう。

一言メモ

 通親役、関智一、旧作も本作も特撮の宝庫と言われているが、それを言うなら本作は声優の宝庫でもある。マキャベリスト通親の入内計画の権謀術数はカットされてしまったようだが、その代わりに陳和卿(テイ龍進)が出た!確かに『草燃える』でもずっと後に頼朝との対面を拒否った話が出てきていた。ネタバレだけど「幻の船」のときに。頼朝が東大寺の供養のときだったことも確かだ。

 「蒲殿を焚き付けたのはわしだ。」by比企能員(佐藤二朗)、
『鎌倉殿~』の中では、上記のように範頼に「鎌倉殿になれ」と焚き付けた張本人で、妻道(堀内敬子)に「その気になった方が悪いのです」と範頼を見捨てるように言われた末の反応だ。結局その通りになったがいきなり良心の呵責が出るのは、これも死亡フラグの典型なのか?

 巻狩の襲撃に関与の疑いがあるという張本人の一人である岡崎義実(たかお鷹)は出家し鎌倉を去るが、大庭景義(景親の兄)の影も形もないのはどういうことだろう。

 善児(梶原善)と自分が殺した夫婦の娘との邂逅、母を殺した狼に弟子入りし復讐を誓う子羊の物語『チリンの鈴』を思い出した。ついSNSで”善児 チリン”で検索したら、結構多数の意見だった。『チリン』も『草燃える』と近い時期の作品で、世代的には三谷と一致している。背景が近似しているもののマイルド化した『あらしのよる』にきっと不満があったのだろう。『鎌倉殿の~』も『草燃える』の水割りとは言いたくないが、「鬱憤と恩愛の迫間で生きる」孤児の物語はその突破口になるのではないかと密かに期待している。

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