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二人の景時

本話の副題のダブルミーニングはとても分かりやすかった。
「名刀の主」の表の意味は、”名刀”が景時で、”主”が頼朝(大泉洋)に対して、裏の意味は、”名刀”は善児(梶原善)で、”名刀”だった景時(中村獅童)がその所有者にまわり”主”になる。そしてその”名刀”の”主”である所有者が他者に譲渡する。すなわち”主”が小四郎(小栗旬)になるのだ。

 景時が”名刀”である善児を小四郎に譲って鎌倉を去ることになった発端は頼家(金子大地)である。
 三谷幸喜が「これが原作(『吾妻鏡』)のつもりで書いている」と話しているように、頼家が安達藤九郎(野添義弘)の息子景盛(新名基浩)の愛妾(大部恵理子)を寵愛していたことは上書きしていないものの、かなりソフトに描いている。自著「ありふれた生活」によると、「最近の研究だと、頼家ってそんなにダメな奴ではなかったらしい。中略 決して愚かではないけど、若さからくる焦りで暴走する頼家」と擁護しているように、『吾妻鏡』のエピソード自体、いかにも北条に都合がいいように失速する頼家を暗君に描かれすぎていることは否めない。本来は見つかるはずである「十三人の合議制」の実績が見当たらないという矛盾が発生してしまっているので。
 かなりソフトに描かれていてもそれでも視聴者には信じられない暗君と見られているのはある意味仕方がない。なぜなら三谷が『草燃える』の頼家(郷ひろみ)を観てしまっているからだ。頼家の乱行は本当に凄まじいのだ。裁決権を剥奪された頼家には誰も手がつけられなくなっていて、蹴鞠に飽きると近習たちの首に縄をかけて背中合わせで相撲を取らせたりのやりたい放題。とうとう近習に命じて景盛の留守を狙い安達邸を襲撃し愛妾を強奪させる。阻止しようとした藤九郎(武田鉄矢)も近習たちの狼藉で半身不随になり言葉も不自由になってしまったのだ。
 その当時でも、原作者の永井路子は『吾妻鏡』が北条寄りであることは重々承知ではあったが、中世の資料が乏しくまだ研究途中なこともあり、現在よりは『吾妻鏡』に近かったことは当然でもある。と、ここまで頼家が愚鈍で乱暴者なので、『草燃える』では、それを理由に御家人たちは結束し、「十三人の合議制」を実現させている。それでも頼家が母政子との確執のことも全て悪いとも描かれてはおらず、概ね客観的だったように思う。「そうさせたのは母上ではありませんか」リアルタイムで見たときの記憶が今でも蘇る。

二人の頼家(『鎌倉殿の13人』と『草燃える』)

 本作品では襲撃や誘拐はなく、一応は平和的に見えるが、やはり権力は行使する。景盛に愛妾を譲ってほしいと頼む頼家だが、景盛は拒否し、父の藤九郎も「首をはねられても心は変わりませぬ。お父上を悲しませますぞ。」ときっぱりと断る。考えてみれば藤九郎は頼朝が比奈(堀田真由)をモノにしようとしたときも「なりませぬ」と諌めたら、頼朝はあっさり応じていたことを思い出した。しかし引っ込みがつかなくなった頼家は、安達親子の首をはねるように近習たちに命じてしまうが、景時に諌められる。諌められても聞き入れない頼家の命を撤回させようと、景時は、政子(小池栄子)と義時を呼んで頼家に一喝してもらった。結局頼家は撤回はしたものの、母や叔父を呼んで自分を黙らせた景時を逆恨みし、後味の悪いことになってしまった

 景盛が愛妾を奪われ頼家に誅殺されようとした所を、政子に救われたという事件は『吾妻鏡』に記され、本作品では内内で収めたように描かれていたが、『草燃える』では、頼家が景盛の訴えに居直って「景盛討つべし」と兵を集めた。

 そして『草燃える』の景時(江原真二郎)は本作品の景時とは対照的な行動を取る。奪われた愛妾を「お返しください」と切々と訴える景盛に、頼家は景時を呼び、景盛を誅せよと命じる。すると景時は出陣命令を実行するのだ。

 そしてこの件には侍所別当をめぐる争いも絡んでくるのだ。
『吾妻鏡』も両作品も景時・義盛の両者は侍所別当をめぐって争っていたことは同じだが、その発端は全く違う。『吾妻鏡』によれば、景時が一日だけでも別当になりたいと懇願し、それを受けた義盛が暇のついでにこれを許したところ、そのまま別当職を奪われたという。本作品での義盛(横田栄司)の言い分は『吾妻鏡』とそう変わらない。「わしは鎌倉殿から言われて侍所別当になったんだ。それをこいつがかすめ取りやがった。一日別当だって言うから代わってやったんだ。」と。嘘は言っていないが、元々侍所別当になりたい旨を直訴したのは義盛で、頼朝は一応快く直訴を聞き入れて形としては命じていたはずである。そして景時の言い分は、「某は頼朝様からじかに侍所別当になるように命じられた。頼朝様は和田義盛には侍所別当を務めるに足る器量がない。だからお前が代わりにやってやるようにと申された」と。
 また本作品での侍所別当をめぐる争いは、山積みになっていた訴訟の一つに過ぎないのだが、頼家は「くだらぬ揉め事が多くてうんざりだ」と放棄してしまうのだ。
 以上が本話の前話に当たる27話「鎌倉殿と13人」のエピソードである。

 『草燃える』でも両者の言い分は相変わらずだが、本作品のような訴訟の一つなどではなく、景時が上記のように頼家の命に従い安達親子を討とうと兵を出そうとする際に、御家人たちが抗議し、侍所別当をめぐる争いに発展するのだ。
 
 だが景時は「理由はどうあれご命令はご命令だ」と梃子でも動かない。つまり景時は景時なのだ。

 すると義盛はさらにヒートアップし、
「このさい侍所別当を返してもらおうよ。いくら乳母夫だからって機嫌取りもいい加減にしろ!もうたくさんだ!」
「申したな!」景時が刀に手を掛けた。

このとき安達邸は御所に立ち向かう覚悟が出来ていた。
そこに政子(岩下志麻)が駆けつけた。
「そなた達と一緒に死ぬ覚悟で来ました」二人の親子が平伏し留めることも振り切って敢然と追討軍の面前に姿を現した。故将軍の御台所相手では下馬するしかない。

「御所のご命令でも許さぬ!どうしても攻めるのいうなら、まず私のこの胸に向かって矢を射よ!」
皆、この迫力に呑まれて近習たちはすごすご帰っていく。

結果、頼家は御家人たちの信頼を失ってしまう。

 さらに言うと両作品とも景時は頼家のことを案じていて、特に本作品は頼家の信頼を損ねることだけは避けたいと思っている。なので『吾妻鏡』でも頼朝を偲び「忠臣は二君に仕えず」と発した結城朝光(高橋侃)の言葉をそれは頼家への誹謗であると、景時は朝光を見せしめに死んでもらおうと考える。

 小四郎は景時のその苛烈な決断にバランスを欠いていると感じ、親しい御家人たちに意見を求めると、平六(山本耕史)は本人に直接伝えたところで相手には響かないので意味はないと、人数を集めて訴状にしようと話を大きくさせる。小四郎は懸念を感じたが、平六は御家人たちの景時への不満を上手に掬って66人もの署名を集めてしまった。これが御家人66名による連判状である。

 景時に讒言される前に悪行をぶちまけることで先手を打つ、御家人66名による連判状を平六が主催していることは、両作品共同じであるが、この連判状に北条の名がない理由は異なっている。

 本作品では、最初から「一番最後にデンとお書きください」と夫時政(坂東彌十郎)を持ち上げて一番左端に書かせた挙句りく(宮沢りえ)は、その左端を切り離してしまうのだ。
 「鎌倉殿と梶原殿が結託したら、どうするのです?名を連ねた御家人たちは根こそぎやっつけられてしまいます。」と。
 67名が66名になった。りくは平六以上の策士だった。

『草燃える』の平六(藤岡弘、)は小四郎(松平健)にも連判状に勧誘するがやはり小四郎は懸念を示した。
「趣旨は反対ではないが外戚の我々は御所(頼家)によく思われていない。13人の合議制のことも北条が糸を引いていると思われている。名を連ねたらまた誤解され失敗するかもしれない。わかってくれるだろう?」得意の白い歯を見せる。
結局連判状は北条の名前はなしに広元(岸田森)を通して提出された。
 『鎌倉殿の13人』の連判状を切り離して北条に署名させなかったのはりくだが、『草燃える』の連判状に署名をしなかったのは小四郎である。
 小栗旬版の小四郎は、自分が署名を阻止させなかったわけではないが、
 「ここで梶原殿と私までが対立してはよくない」
 「あまり大ごとにはするな」も、
 松平健版の小四郎の
 「趣旨は反対ではないが外戚の我々は御所によく思われていない」という懸念とそう違いはないようだ。

藤岡弘、版の平六も気づいていた。景時の失墜を一番望んでいたのは北条なのに、北条に思うとおりに動いたような気がしてならないと...
 小四郎自身も父時政(金田龍之介)に御所を廃絶したい気持ちがあるのかを確認していた。
 「父上の本心を本心と言うより野望です。はっきりお聞かせ願いたい」
時政はあいまいに答える。
「口にしたら見も蓋もない。そういうことは胸の奥にしまっておくものだ。」

 景時への訴状と朝光への訴状を受け取った頼家は宿老を集めて両方の訴状を見せるが、朝光への訴状の信憑性が薄いことを三善康信(小林隆)に指摘され、朝光への訴状を破り捨てる。そして、手に取ったもう一つの訴状に頼家は、その多数決に思わず圧倒され、唯一の後ろ盾であった景時に謹慎を命じてしまう。景時は何一つ抗弁せず謹慎の形を取った。

しかし両作品とも結城朝光の事件に関しては一応『吾妻鏡』と同様の形を取らせてはいるものの、創作の方が強い。三浦平六義村も本作品では完全に黒幕になっていて、何かとうるさい景時を失脚させようと、66名の連判状に持ち込むには、スケープゴードが必要と考えたのだ。そして平六から金を受け取った朝光は、実衣(宮澤エマ)に『忠臣は二君に仕えず』の件を打ち明けた方向に持っていき、琵琶やトークでいい気分にさせてくれた朝光を救おうと平六に話を持ち掛け、平六ははじめて聞いたふりをする。これが『忠臣は二君に仕えず』の件と66名の連判状の合わせ技による真相(創作だが)である。
 『草燃える』では本作品ほどは『吾妻鏡』の上書きをしていない。朝光が政子の妹で実衣に該当する阿波局(真野響子)に打ち明け話をしたわけでもなく、既に情報を得ていた阿波局の方から忠告され、朝光の方がそれに慌てて平六たちに打ち明けるのだ。そこまでは『吾妻鏡』と一緒だが、その後は創作だ。妻に情報を仕入れて朝光と接触するように仕向けたのは夫の全成(伊藤孝雄)だが、黒幕は父の時政だと小四郎は分かっていた。北条は身内が実朝の乳母夫になっているので既に頼家は邪魔。敵の本丸は比企だが、その前に手強い景時を始末しようと。
 御所で朝光が『忠臣は二君に仕えず』を発したことに、景時には聞こえてはいたが、それに反応していたわけではない。そして文官として仕えていた全成も耳にしていたわけで、そのことを妻阿波局にこう話した。

 「朝光も迂闊なことをしたものだ。相手によりけりだ。景時の前であんなことを。何事もなければいいが...」
阿波局もこれはしゃべれということだと思い一刻も早く忠告してさしあげなければと早速朝光を呼び止めた。

 「御用心なさいよ。朝光殿。あの景時のことですからね。今度はあなたを狙うつもりかもしれませんよ。」
 どうしよう。あわてた朝光は平六に相談した。
「鎌倉殿に対しての誹謗を流すわけには参らぬ」などと『鎌倉殿の13人』の景時のような発言を『草燃える』の景時はしていない。
 「忠君は二君に仕えずと?すると朝光は今の御所さまには仕えたくないというわけか?」などど景時は言っていない。
大体景時だって平家からとらばーゆして二君に仕えていたのだから。つまり『吾妻鏡』も景時の考えを勝手に代弁したに過ぎないのだと『草燃える』は語っているのだ。

 本作品での景時は義経の時と同じように最期の姿を見せない。
 それでも小四郎に引き継ぎだけはしたいのか、わざわざ一幡を人質に取って比企館に立てこもる。足を運んできた小四郎に置き土産と称して善児を残し、「なまくらで終わりたくはなかった」とご丁寧に遺言まで残す。小四郎は遺言通りに泰時に兵を整えさせる。
 「梶原殿は、必ず西に向かわれる。東海道で討ち取る。分からぬのか。梶原殿は、華々しく戦で死ぬおつもり。武士らしくな。急げ。」
 後鳥羽から景時へのオファーを小四郎は頼家にリークするが
思えば、小四郎は義経が残した鎌倉攻略案を景時に渡してしまっているのだ。
 「誰にも見せず破り捨てるべきでした」というこの一言に尽きるわけだ。
 
もう一人の景時は一族郎党を率いて京に向かっていた。駿河で吹雪のため行く手を遮られ鎌倉から追っ手が迫っていた。
長男の景季からなぜ父は御所に申し開きをしなかった理由を問われた。
「無駄だった。わしが御所を見放してしまったのかもしれない。」

景時の回想の頼家
頼家「何とする平三」
景時「御所のご処断におまかせします。しかし朝光が謀反を企てていると讒言したつもりはありません。」
頼家「聞いた覚えはないがそのように66人の御家人がそなたを憎んでいる。そのことをどう思う?それが聞きたい。」

景時「御所は何一つわかっていない。亡き殿にへつらった讒言者だと、亡き殿が望んでいた鎌倉のために武士の創った政を完璧にするために。今の御所はわしの支えが必要でないと言われる。徒労だったのだ。してきたことは鎌倉自体が壮大な徒労だったのかもしれない。」

景時が吐露した「鎌倉自体が壮大な徒労だったのかもしれない」という呟きを三谷は「なまくらで終わりたくはなかった」と分かりやすく翻訳したようにも見える。

吹雪の中の景時(江原真二郎) by『草燃える』

両作品共、景時は作者たちにすこぶる愛されていて、三谷は「13人の御家人たちのなかで個人的な”推し”は梶原景時です。」とはっきり明言しているし(文藝春秋digital 2021年12月19日)、『草燃える』の副題は文字通り『梶原景時の滅亡』である。むしろ『黒雪賦』でもよかったのかもしれないがそれでは原作ファンしかわからない
ので仕方ないと言えば仕方ない。『黒雪賦』は『炎環』の連作の一つで主人公は景時。「鎌倉自体が徒労」の台詞をはじめとしてほとんどが原作から取り入れられている。裏の題名は『忖度の達人』にしてもいいだろう。

『忖度の達人』を演じた江原真二郎は大河ドラマ出演3作品と以外に少ないがその分、役柄が重い。
 平三景時を始め、1983『徳川家康』では石川数正、2001『北条時宗』では高師直と、史実でも複雑で重要な立ち位置を持つ人物を演じているからかもしれない。景時の人物像は変えにくいので、2人の景時に極端な違いはない。ただどちらかというと中村獅童版は江原真二郎版よりは柔軟かもしれない。
 「御所(頼朝)には失望した」とか
  「わしが御所(頼家)を見放してしまったのかもしれない。」
とか、言いたいことはわからなくもないが、あまりにめんどくさくて、観てる方も「御所御所御所御所、うるせえなあ」と言いたくなるくらいだった。この人物への愛情がないわけでもないのだが。

補足
 三幡(谷川みゆき)の死は『草燃える』では毒殺説を採用し、通親(仲谷昇)が関与していたことになっている。『吾妻鏡』以外の説をなるべく使いたくないのかもしれないが、せっかく通親(関智一)を登場させているのだから、もう少し活躍させてあげたらどうか。自分の養女と兼実(田中直樹)の娘の入内合戦のこともほとんど取り上げていなかったことも含めて。

 広元(栗原英雄)が連判状を頼家に提出することを渋って義盛に散々突き上げられていたことは両作品とも同じでに多分史実のようだが、景時には同族意識を持っていたのかもしれない。もっとも景時が不在になると単に自分の負担が多くなることが自明だからとも言える。

 『吾妻鏡』では景時と頼朝を繋いだのは実平(阿南健治)だが、本作品では小四郎になっていたのは主役なので仕方がないとは思うが、待遇が悪すぎるとは思った。しかし本話で実平は傍輩である景時を庇い連判状に署名をしなかったことに触れたのは評価したい。

 『草燃える』の景盛役は火野正平である。愛妾(岡まゆみ)
に一途で純朴ということで別に火野でなくてもよかったのではないかと思う一方、その愛妾は頼家に靡かないので、火野でよかったのかもしれないとも思う。だが本作品の景盛だと若き火野正平ということでもあり得ないと思う。本作品での愛妾は頼家に傾いてしまっているので。ちょっとでも似たような火野だと郷ひろみに勝てるのではないかという幻想を抱いてしまうからだ。

「なぜ阿波局(実衣)があんなことを言い出したのか腑に落ちない。」
と『草燃える』の能員(佐藤慶)は争いに積極的ではない反面、警戒心がないわけでもないのだ。それに比べると本作品の能員(佐藤二朗)は、お互い頼家の乳母夫である景時を積極的に失脚させようとするのは逆に危機意識はどうなのかと心配になるが、この能員は、既に一幡がいるので、もう頼家のことはどうでもよくなっているのでそれは仕方がないのかもしれない。それに富士の巻狩のときに頼朝暗殺に加担してしまったのも、万寿(頼家)がいるからやはりどうでもいいので、その点は清々しい程に一貫性があると思う。

 noteで前話について平六が千葉常胤(岡本信人)を「もうすぐ死にます」と決め付けたときに、平六の父義澄(佐藤B作)より長く生きるのに、三谷は前話で勝手に殺してそのまま退場させるんじゃないかなどと書いてしまったが、今話で登場しているので筆者の誤見だった。申し訳ありませんでした。追記するが、その後「もうすぐ死にます」は山本耕史のアドリブで三谷の台本ではなかったらしい。

頼家が景盛の愛妾にしたことと頼朝(石坂浩二)が小四郎の最初の妻(松坂慶子)にしたこと(創作)は全く同じことなのだが、それを正当化する頼家より、隠蔽する頼朝の方がはるかに狡猾だ。2代目は苦労してないからと言われればそれまでなのだが景盛の愛妾のことも景盛のことも好いてはいるが伝わっていない。
 まあ好かれても人と思われていないのなら拒否されるのは当たり前だけど...人を人と思う機会がなかったのだと。


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