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衣川の再現

 建暦3年(1213)5月に起こった世に言う和田合戦、主戦場が鎌倉市街にまで及んだことを考えると、先の比企能員の乱より遥かに規模の大きい武力衝突だ。
 御家人同士の最後の内乱だったと考えれば、鎌倉時代の西南戦争といってもいいだろう。つまり和田義盛は西郷隆盛、北条義時は大久保利通、ついでにいえば朝比奈義秀は桐野利秋(中村半次郎)、巴御前は西郷いと、ということになるのかもしれない。同じ敗軍の最期の地とされた由比ヶ浜と城山も、海と山という一見対照的な場所ではあるが、どちらも山と海の距離が近いことにも類似性を感じてしまうのだ。 

 その由比ヶ浜での義盛の壮絶な最期は史実とさほど変わらないが、義盛を死なせたくない実朝を利用して騙し討ちしたこと自体は、一応創作である。

 第40話の「罠と罠」では、かつて採用しなかった『吾妻鏡』による仁田忠常謀殺事件を再現させたように、それに続いて第41話「義盛よ、お前に罪はない」も過去に採用しなかったエピソードを別人物で再現している。それは言うまでもなく第20話「帰ってきた義経」のことであり、義経(菅田将暉)だけ見ているが我々には映さなかった衣川での弁慶(佳久創)の立ち往生を義盛(横田栄司)で再現させているのである。
 追い詰められて由比ヶ浜に退却した義盛を降参させようと言葉を尽くす実朝(柿澤勇人)に感銘を受け
 「聞いたか。これほどまでに鎌倉殿と心が通じ合った御家人がほかにいたか。我こそが鎌倉随一の忠臣じゃ。胸を張れ!」と胸を張る義盛に向かって、平六(山本耕史)は「放て!」と御家人たちに矢を射させる。ここでこれ以上義盛による弁慶の立ち往生を解説することは不要なので、本話で退場する義盛のことは末尾で後述するので、他に再現性のある類例を取り上げてみたい。

 まずは『鎌倉殿の13人』という作品が三浦の裏切りをいかに正当化したかの経緯である。
「小四郎(小栗旬)を騙したことになる」
実朝と約束したにもかかわらず、行き違いで息子たちが出陣していたことに思わず義盛は叫んでしまうように、前回と引き続き、冒頭では仁田忠常謀殺事件を和田合戦に落とし込んでいる。前話で小四郎が「和田に焚き付けるいい手を思いついた」とドヤ顔で嘯くものの、結局は和田に落ち度があるように『吾妻鏡』以上に北条に都合がいいように描かれている。

「向こうにつきたいなら構わねえぞ」
「裏切るなら早いうちに裏切ってほしいんだ」と暗に平六の裏切りを承認するところも、まるで賤ヶ岳の合戦の前田利家と柴田勝家の再現にもなっている。いやその合戦は戦国時代なので、遡っているのはこちらであって再現しているとは言いにくいが。

 実は逆再現もある。
逃げ延びるときに実朝が御所に置いてきてしまった鎌倉殿の証である髑髏を実朝に代わって広元が取ってくるところだ。一見小四郎の兄三郎(片岡愛之助)の死の再現かとも思われるが、まさかの文官の大立ち回り、御所に潜んでいた和田勢を一掃するぐらい強い!栗原英雄の広元大無双である。そもそも史実上でも広元は天寿を全うするはずなので石橋山の合戦の再現にはならない。広元が幕府の文書や記録を守るために政所に戻ったことは史実ではあるが、髑髏と大立ち回りは無論創作。さすが三谷幸喜は広元びいきなのである。

 ゲロ吐きによる起請文を無効にする方法も、逆再現の一種である。『草燃える』での平六(藤岡弘、)の
「起請文など10枚でも20枚でも何枚でも書いてやる」
をまるで嘲笑しているように感じたのは筆者の被害妄想なのかもしれない。

  本話での主人公である義盛の話に戻ろう。
 いまさら言うまでもないが、本作品の特徴として去りゆく登場人物をこれ以上ないほどに魅力的に描き美しく散らせ、視聴者に苦しみを与えることこそが最大のテーマといっても過言ではないだろう。

 鎌倉中期が描かれる映像や舞台は戦国時代や幕末や平安末期に比べると著しく乏しいので当然のことながら比較対象も乏しい。ただ小説はともかくとして漫画史に残るだろう木原敏江著『夢の碑』シリーズの一作品『風恋記」は鎌倉中期の物語で主人公の1人は和田義盛の外孫なのである。当然のことながら和田合戦も重要なテーマの一つであり、承久の乱までは幕を下ろすことはないが、どうしても和田側の視点は多くなる。
 考えることは皆同じで筆者も思わず本棚から取り出して読み返してしまった。

『風恋記』(木原敏江)での実朝と義盛

 この作品の義盛も大変魅力的に描かれていて、豪胆さの中に繊細さも持ち合わせていることもあり『鎌倉度』の義盛は、この作品に近い。自分が傀儡であることに悩む実朝を励まし、実家に居場所を失っている孫を引き取るくらい度量のある人物で、「わたしはもう血が流されるところは見たくないのだ」と説得に来た実朝には上記のように返すのだ。
 

義盛の壮絶な最期(by 『草燃える』)


 重ねて言うが、『鎌倉殿』の義盛は、『草燃える』の義盛より『風恋記」に近いのは、決して理にさといわけではないが、妙にカンだけはいいところなのだ。前述したように三浦の裏切りにも既に承認済をしていたり、第15話の「足固めの儀式」で上総広常(佐藤浩市)を旗頭にすることで御家人が決起しようとする際に景時が二重スパイだということを見抜いていたりすることである。
 『風恋記」でも先程のように教養レベルに差のあるはずの実朝を論破するほどの意外性はこの作品の名場面とされることは少なくない。
 確かに『草燃える』での義盛は意外性では劣るかもしれない。
ただ『草燃える』を擁護するわけではないが、演技者は伊吹吾郎なので壮絶さにおいては、一日の長があると思う。

「我こそは 源義仲 一の家人 巴なり!」
「我こそは 忠臣 和田義盛の妻 巴であるぞ!」
のえ(菊地凛子)との対比もありながら、対比としての真打は、やはり名乗りである。
「戦で死ねれば本望にございます」と生き急ぐ巴(秋元才加)を
「巴御前が戦場に現れたらどうなる。手柄を立てようと躍起になったやつらに囲まれちまうぞ」とあくまで巴を武人としてもリスペクトしていることは外さない。ただ義仲と義盛2人分の葬いでの91年という決して短くない生涯には辛すぎる。早くお迎えが来てほしいと思っていたのではないかという気もする。
 義仲と義盛の巴への敬意に差があるわけでもなく、この義盛にはやはり意外性というか表現力が豊かだったのだと思う。

 余談だが、平家物語では、巴の兄、今井四郎兼平の最期の名乗りは”家人”でなく”乳母子”だったが『鎌倉殿』の巴は”家人”にこだわっていたのだろうか?

 そういえば書き出しで、和田合戦は鎌倉時代の西南戦争と述べたが、検索すると同意見が多かった。義時にたとえられた大久保利通は西南戦争終結後1年を待たず暗殺されが、北条義時は一体誰にどうやって殺されるのだろうか?

補足

 泰時(坂口健太郎)はいつからジャッキーになったんだと思うくらい皆が酔拳を思い出してしまうだろう。『吾妻鏡』でも実際に和田合戦の前日にも泰時には宴会があったようなので、当日は二日酔いしていたと合戦終了後に本人が明かしているのだ。

 弟の朝時(西本たける)は父から勘当はされていたが、和田合戦ではあの勇者朝比奈義秀(栄信)に負傷させるぐらい活躍していたのに、『鎌倉殿』ではなぜ「手柄のない弟に、泰時が譲った」ことにされなければならないのだろう。確かにこの作品では、父との葛藤に悩む兄の背中を押す場面もあったからこそ、そうなるのも分からなくもないし、実際に泰時自身も武功を挙げているが、史実では覚醒したのは朝時なのにこの扱いは酷すぎるのではないか?承久の乱もあるから活躍は先延ばしということなのだろうか?

 泰時が覚醒したように、主君である実朝も覚醒してしまった。
「山はさけ海はあせなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも」
実朝の代表作の一つで、「金塊和歌集」でしめくくられる最終663首目は、

『草燃える』の第44話「後鳥羽院頒歌」で後鳥羽(尾上辰之助)の呪詛を理由に、実朝が天然痘になったと思われる場面で取り上げられ、回復した実朝はこの首目を高らかにうたいあげている。

 だがこの首目は、建暦2年(1212)12月に正二位に叙せられた時なので、『鎌倉殿』での取り上げ方の方が正しい。ただ厳密に言えば、この一首を詠んだのは、和田合戦の起こる少し前なので、関東大地震建暦3年(1213)5月21日条に詠んだと言うのは正確ではない。おそらく「山はさけ海はあせなむ」に、地震に起こる崖崩れや地割を意識してぶつけたのであって偶然ではないはずだ。

 これも余談だが、第40話「罠と罠」でも触れたように『草燃える』の第46話「和田合戦」では安念と同じ牢にいた架空の人物伊東十郎佑之(滝田栄)は、親友だった北条小四郎義時(松平健)に眼を潰されている。実は作品のテーマであり、善悪の入れ替わりを象徴するこの凄惨な場面が「和田合戦」しいては作品全体のクライマックスであったのだ。

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