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2023.04.09(変わり続ける彼女たちと変わらなければいけない僕の話)

何から書くべきか。

とにかく、僕は@onefiveの現在を全力で支持し、未来を大いに楽しみにして応援を続けてきた。自分ではそう信じていた。でも、その気持ちを彼女たちに伝えることは出来ていたのか。そして、僕自身は本当に吹っ切れていたのか。幻になった春の日を。実現しなかった大会場でのパフォーマンスを。曖昧になっていた境界線を。鮮やかな変化を見せた彼女たちの姿を直に目にして、偽らざる想いをあらためて知った時、知らず知らずのうちに自分自身に問いかけていた。

ショウ

4月9日、今年初めてとなる@onefiveのワンマンライブ『Chance×Change』がEX THEATER ROPPONGIでおこなわれた。グループはライブのテーマが変化であるということを従前から仄めかしていて、新曲「Chance」のリリースと共に解禁された4人のビジュアルはその先鋒を切ってフィフスたちにインパクトを与えたが、およそ5カ月ぶりとなるライブの内容も、彼女たちの変化に対する積極的な姿勢をはっきりと示すものであった。

ライブは冒頭から意外な演出で始まった。会場が暗転すると日本武道館でのライブを想起させる架空の開演前案内が流れ、それから@onefiveの4人が会場を埋めたフィフスたちに向けて語りかける声が聞こえてくる。未来の世界でワールドツアーを終えた@onefiveが、その凱旋公演の場である武道館から現在の僕らにメッセージを送っているという設定だ。"2023年4月9日"は、今(未来の武道館公演当日)に繋がる始まりの日だった。みんなはちゃんと覚えてる?……。そうして、@onefiveが描くストーリーの中に観客を引き込んでおいて、眩しく弾ける照明と共に「未来図」のイントロを鳴らす。「没入感のある演出」とはMOMOがオフィシャルアプリのblogで使った言葉だが、ライブのスタートから心の深い部分を鷲掴みにされる感覚であった。

演出という意味では、この日のライブで特に目立っていたのは映像の使い方だった。以前から@onefiveのパフォーマンスは映像演出と融合すれば表現のレベルが格段に上がると思っていたのだが、リアルタイムの映像加工も含めて、『Chance×Change』ではそのきっかけが見えたような気がした。また、既存の楽曲のアレンジも挑戦的なものであった。SOYOによるピアノの演奏が無い代わりにフロア仕様になった(チルタイムに響くディスコ・クラシックのようだった)新たな「Just for you」が、曲の半ばに「缶コーヒーとチョコレートパン」のGUMIのソロを挟む形で披露された。また、ライブ終盤の「Lalala Lucky」からその熱を保つようにスムーズに繋がれた「Tap!Tap!Tap!」への流れも、グループとして演出の幅を広げたことを窺わせた。

試みが全て完璧に上手く運んだかと言えば、実際まだ試行錯誤を重ねる段階なのだろうと思わせる部分もあったが、それは逆に伸びしろの大きさを感じさせ、更なる期待へと繋がった。ライブにおける@onefiveの持ち味の一つである素晴らしい照明効果と映像のバランスなどはもっと良くなって行くに違いないし、@onefiveのショウが表現のキャパシティを加速度的に広げて行くことを確信させた。メンバーとファンにとって初めてだった「声援がある@onefiveのライブ」も、微妙な照れ臭さやたどたどしさから出発して、回数を重ねるごとに熱さや一体感を増して行くだろう。それらも含めて、今回の変化の素晴らしさは、@onefiveがやりたいと思っているライブの形を「今」の時点から、未来の広がりまでを想像させながら提示してくれたところにあったと思う。

表現

開催前から、ライブ『Chance×Change』では複数の新曲が披露されるだろうという期待があった。5月にリリースされるシングル『Chance×Change』には3つの新曲が収められることが判っており、そのうち劇場版『推しが武道館いってくれたら死ぬ』の主題歌である「Chance」は4月1日に配信がスタートしていた。そして、実際に3曲はセットリストの非常に重要な場所に、とても効果的に配置されてパフォーマンスされた。

新曲の中からまずは「Ring Donuts」が、ライブ中盤のMOMOによる印象的なMCを受けて披露された。先んじてティザーのBGMとして楽曲の一部分が公開されていた「Ring Donuts」は、これまでの@onefiveの楽曲と比べればアーバンなR&Bという印象が強く、ゆったりと横に揺れるグルーヴが心地よい曲だった。メロウでありながら4人のダンスと融合することでキュートさも激しさも併せ持つ表現になっているのが@onefiveらしく、そこから「雫」へと続く流れもライブ全体の中で素晴らしいアクセントになっていた。既存の楽曲では「雫」と最も相性が良いように思えるが、例えば「BBB」や「Underground」と組み合わせても面白い化学反応が起こるのではないかと感じられて、次におこなわれるライブのセットリストの楽しみが増えたようであった。

「雫」のパフォーマンスが終わり、4人が衣装替えの為に舞台袖に退くと、スクリーンには映像が映し出される。「Underground」のドキュメンタリーからの抜粋を中心に構成された映像で、最後にドラマ『推しが武道館いってくれたら死ぬ』への出演が決定した報告を受け驚く4人のオフショットが流れて、「Chance」のイントロが始まった。「Chance」は基本的には「未来図」の流れを汲む楽曲だと思っている。2曲のクリエイターはそれぞれ異なるが、どちらも温かみのある電子音が全体を彩るエレクトロポップで、ドラマ・映画の主題歌としての親しみやすさに繋がるストレートな構成を持つ。トラックのフックよりも旋律を強調してより歌声が印象に残るという、「未来図」以前の@onefiveの楽曲とは少し違った特徴を持つ2曲だと思う。そしてこのタイプの楽曲が増えてくるということは、4人の歌唱力が着実にレベルアップしていることの証左なのだと気付く。

「Last Blue」は、アンコールの一曲目に披露された。4月6日にTwitterで歌詞が先行公開されていて、@onefiveとしては初めてとなる失恋をテーマにした歌詞の内容にも注目が集まっていた。HipHopテイストを持つソウルフルな音で韻を踏むラップパートも多く、グループとして表現の抽斗がまた一つ増えたと思えた(パフォーマンス中にMacy Grayの楽曲を思い浮かべたような記憶があるが、これはもう一度音源を聴いてみないと分からない)。EDMとHipHopを軸にした「Last Blue」、「Ring Donuts」の2曲は確かに2020年代のKーPOPシーンへの意識もあるとは思うが、個人的には同じエイベックスから世界を目指すXGへの視線をより強く感じる。ともかく、それは世界的な音楽のトレンドを見ても楽曲の方向性の一つとして全く正しいし、何よりも全ての新曲がサウンド、歌、ダンスの面で4人の新しい魅力をしっかり引き出せていたという事に注目をするべきだろう。

そんな新曲を、そしてもちろん踊り慣れた楽曲たちをパフォーマンスする@onefiveの4人の「個」としての変化もまた、ライブ全編を通じてステージの上にはっきりと見て取れた。歌をしっかりと歌いあげる力が上がったこと、鍛錬を重ねてダンスの基礎となる部分を強化したことは4人に共通した変化であったが、個々で言えば、MOMOはフィジカルの向上が著しくダンスのパワフルさが格段に跳ね上がったように思えたし、リズム感を活かしてブリッジで任されることが多いラップ調のパートでも存在感を示していた。GUMIは強みだった歌に更に磨きをかけてきた印象であった。フェイクも交えて楽曲の盛り上がりを作り出すことができる彼女の歌は、@onefiveにとって更に大きな武器になりつつある。SOYOはエンターテイナーとして全方向にパワーアップしていた。歌やダンスそのものは勿論、踊りながらも数え切れないほどフロアにコンタクトをするサービス精神は間違いなくライブに付加価値を与えていた。KANOはダンスにおける表現力の幅を一気に広げていた。体幹を活かした力強さとキレはそのままに、艶っぽくフロアを魅了する振りも難なく自分のものにしていて、「Chance」のラストに見せるキラーなアクションは間違いなく@onefiveの新たな表現領域であると感じさせた。

このように、『Chance×Change』は@onefiveのグループとしての、そしてメンバー個人としての変化を至る所に感じることができるライブだった。

だが。


「Change」

だが。
ここまで書いて来たような変化は、本当に彼女たちが口々に強調してきた「Change」の正体だったのだろうか?この日のライブを体験した人たちの多くは、確かに何かが変わったと感じていたようだし、僕もその一人だ。だが、その「変わった」という感慨は、本当に上に書き連ねたような変化だけがもたらしたものだったのだろうか?

ショウの運び方や新しい楽曲、歌やダンスの表現。そこで見られた変化は、変化というよりも「進化」、或いは「広がり」と言ったほうがしっくりくるものだったように思う。過去のライブがずっとそうだったように、そして、そのたびにこのnoteにも書いて来たように、@onefiveは表現に対する基本的な姿勢を一貫して変えておらず、その中で、回を重ねるごとに一段ずつ階段を上るような進化を見せてきた。今回のライブに向けての大きなトピックであり、フィフスたちが騒めいたビジュアルの変化も、確かにその振れ幅は大きかったが、デビュー以来示し続けてきた彼女たちのアティチュードを何ら裏切るものではない。

けれども、やはり。
4月9日のEX THEATER ROPPONGIでは、何かがはっきりと変わった。
と感じた。

ライブが終わった後に強くそう感じたのは、これまで何度も@onefiveの "想い" を "言葉" に変換して来てくれたMOMOが、こんなことを口にしたからではなかったか。

ーーわたしたちは、もうあの頃の姿であの頃の曲を歌うことはないかも知れない。わたしたちは常に変化してきたし、これからも変わり続ける。変わり続けてたくさんの楽しいことをみんなに届けるから、これからもわたしたちの「今」を応援してほしい。ーー

記憶の意訳であり言葉は正確ではないが、MOMOはこのような意味合いのことを、「Ring Donuts」を演じる前のMCで、落ちついたトーンで誠実に語りかけた。この日のライブの中で、最も印象に残る場面の一つであった。言葉は受け取る側の状況や状態によって意味が変わることも多いから、これから書くことはあくまでも僕自身がその時に感じた事そのままであって、「これが答えである」などと言うつもりは全くないと前置きした上で、この日、一体何が変わったのか、ということを考えてみる。

◇◇◇◇

わたしたちは変わり続けるという@onefiveの宣言は、当然、新旧全てのファンに向けられたものであったと思う。ドラマなど最近の作品をきっかけにして@onefiveを知ってくれたファンも増えてきた中で、変わり続けるというグループの基本姿勢を改めて明言し、そのやり方でその先に夢を叶える場所を目指すという頼もしい意思表示であった。しかしながら、2月頃から何度か投稿されたライブのティザーと併せて考えてみると、そこには少し違った意味が込められているのではないかとも思えた。ティザー映像では過去の衣装を身に纏った彼女たちが煙のように消えたり、前所属グループの衣装までもが思わせぶりに登場したりしたからだ。

遡って2020年の夏。ほとんどの人が初めて経験する規模の社会的制約下で「12人の中の4人」から「4人だけ」として新しいスタートを切った@onefiveだったが、当時その先行きは不透明で足元は覚束なかった。デビュー前に予定していたものを諦め実現可能なものに軌道修正をし、一歩ずつでも何とかグループを前に進めて行くという状況が続いたのではないかと思われ、そしてそんな時期にグループを下支えしたファンの大半が"前所属グループ"からの流れを汲んでいたことは間違いなかった。彼女たちを以前から応援するファンは果たせなかった夢を新しく活動を始めたグループに重ね、ライブやイベントの制限が続いてプロモーションが控えめになったこともあり、新たなファンの流入は少なかった。

それは良い意味でも、悪い意味においても、ファンの純度が高くなって行くことに繋がったし、僕自身はどうだったかと言えば、2020年夏から2022年春まで、そう、彼女たちにとって初めての有観客ライブである『LIVE 1518』が開催されるまでの間に感じていたのは、彼女たちと自分の間に何か特別な絆が生まれたかのような錯覚であった。ステイホームの期間にプライベートに近い発信を多く受け取ったり、距離を近く感じさせるリモートでの配信、SNS上でのコメントの返信や、2021年に入ってからは規模の小さなリリースイベントなどで彼女たちの自然体の姿を見て、どこか自分にとって近い存在になったように感じ、「自分は彼女たちのことを良く知っている」と信じるようになっていった。だが、今にして思えばそれは錯覚なのだ。彼女たちは舞台に立つ表現者であり、自分はその表現を受け取るファンであるという関係性と境界線が曖昧になっていたのだ。もちろんこれは僕個人のことであって、他の多くの人がそうであっただろうということではない。

表現者とファンが舞台を通して直接会うことができず、グループの未来が開かれているという実感を持つのが難しかった時期、自分が@onefiveに対して抱いていた想いは健全なものであったと信じてはいるけれど、もしかするとそれは、少しいびつなものであったのかも知れないとも思う。"2019年以前"を知り、辛い時期を共に過ごした自分はメンバーの同志のようなものだ、という風に錯覚していたのかも知れない。行動としては応援することしかできなかったけれど、きっと心のどこかにそんな気持ちが密やかにあったのだと思う。一方でその頃はグループとしても(見えない部分も含めて)一進一退が続いていた不安定な時期であったと推測され、グループ始動以前からの旧いファンたちの存在は心強いものでもあったに違いない。2020年夏から2022年春までは、どこか、グループとファンが守り守られる、保ち保たれる関係であるような、様々な意味で平時とは少し異なる関係性を錯覚させる(そうならざるを得ない)ような時期だったのではないか、と今は考えている。

2022年2月と3月に初めての観客を前にしたライブパフォーマンスを実現させ、「ファンが実在することを確かめた」@onefiveは、そこからどんどん外の世界へ歩を進めて行くようになる。フェスのステージを幾つも経験し、ドラマや映画への出演を果たし、バラエティなどにも進出し、メジャーデビューに辿り着く。2022年の1年間の活動を見れば、彼女たちに過去を振り返る暇など無かったということは容易に分かる。そう考えると実は本質的な変化は『LIVE 1518』の後にもう始まっていたのではないかと思うし、2023年4月9日に彼女たちが言葉にした「Change」とは、既に1年も前に過去に落とし前をつけていた自分たちに対して、受け手側はどうなんだと問いかけるようなものだったとも思える。僕たちの期待を華麗に裏切ったビジュアルチェンジも含めて。

はっきりしているのは、彼女たちは保つことをやめ、守ることをやめ、もっともっと攻めて行く姿勢を示したということだ。彼女たちはもっと@onefiveを遊び、@onefiveを楽しむ、という姿勢を示した。@onefiveは遂に@onefiveを完全に「自分たちのもの」にしたのだ。それは限りなくポジティブで、全てのエネルギーを今と未来に向けるという爽快な決意表明であった。そして、守ることをやめるということは、守られている場所から飛び出し、様々な角度からの評価や批判を身に受ける覚悟を決めたということだ。もし僕が自分自身を、彼女たちを"守っている"ファンの1人だ、などと錯覚しているのであれば、今この場で目を覚まし、彼女たちを純粋に表現者として応援する立場に返らなければいけない。つまり、4月9日に感じた「変化」というのは、彼女たちが変わったのではなく、彼女たちの言葉によって自分が変わった(或いは、気が付いた)という実感だったのではないか、と思う。

◇◇◇◇

どうだろう?ここまで書いて来て、こんなに支離滅裂なライブの感想もないなと我ながら感じる。だが僕はあの日、「今」に興奮し、過去を想って混乱し、寂しさや切なさを感じながらも震えるほどに「未来」に期待をし、全身と心の全てで@onefiveの表現を楽しんでいた。このテキストの不安定さとはつまり、あの日の僕の心と身体の状態そのものだ。

最後に、どうしても舌足らずになってしまいそうな部分に言葉を継ぎ足しておく。過去の苦しかった時期に、彼女たちを幼い頃から知るファンたちがグループの力になっていたのは間違いない。そこは誇りに思っていいと僕は思う。ただ、それによって自分が特別であると錯覚することには常に危機感を持っていたい。昨日彼女たちを知った人がいたとして、僕とその人の立場は何ら変わらない、お互いに1人のファンだ。それから、彼女たちが制服や校章と決別しその時代を封じ込めようとしているのかと言えば、そんなことは全くないと思う。そこで過ごした時間はもはや彼女たちにとって当たり前すぎて、殊更に表に出す必要もないものなのだ。表向きがどんな変化したとしてもそのルーツは揺るがず不変なのだから、どのタイミングで出会ったにしろ、彼女たちを信じることができるなら、今と未来を全力で応援すればいい。

僕たちの関係性は、とてもシンプルなものに変わったのだ。信じて付いて行くか。その場に立ち止まるか。

僕自身の答えは、ここに書くまでもない。

(2023年4月22日)









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