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わたしがここにいる。~2021年6月13日 『歌の考古学』~

ヴィアマーレは特別な場所だ。さくら学院の公開授業が数多く開催されたこのホールを僕が初めて訪れたのは、2018年度の転入生オリエンテーションがおこなわれた2018年6月17日のことだった。それから僕は公開授業が開催されるたびにこのヴィアマーレに足を運んだ。桜木町は僕の好きな町になり、この会場は僕の好きな場所になった。3年ほどの短い時間で、そこでは楽しいことがたくさん起きた。心を動かされる場面をたくさん目にした。この場所は、僕にとって特別な場所になった。素敵な思い出だけで彩られた場所になった。

2021年6月13日に、はまぎんホール ヴィアマーレでおこなわれた、さくら学院公開授業『歌の考古学』の2時限目を観た。500人規模のホールはほぼ半分の収容人数にとどめられた客席の設定となっていて、チケットの倍率は当然跳ね上がっていた。この日、この会場に入ることができたのは相当に運が良かったと思うし、この日、この場所に居た人は、体験したことを何らかの形で残しておくべきなのではないかと思った。一方で、それを言葉にしてしまうとどこまでも陳腐になってしまいそうで気後れもするのだが、それでもやはり、記憶が残っているうちに『歌の考古学』を観て感じたことを書き残しておきたいと思う。

*初めに。これはレポートではありません。遠のく記憶を必死に手繰りながら主観と感情をたっぷり込めて書いています。詳細な時系列は追えませんし、また、生徒や先生たちの言葉は、ほとんどが意訳です。このテキストは、"情報" として捉えず、随筆のようなものとして読んで頂ければ幸いです。


田中美空

ヴィアマーレは、1年5カ月前と変わらず、落ち着く場所だった。ホールに足を踏み入れた瞬間、木材の香りと暖色の照明に心が柔らかくほどけていく。この日は、有観客イベントがおこなわれなくなったのと共に今日までずっと "封印" されていた「Kiss Me Again」が開演前SEとしてプレイされた。続いてチャイムの音に導かれて舞台上に森先生が現れ、生徒たちが一人ずつ呼び込まれる。前髪をおろして少し大人びた風情のなっす(野中ここな)に対して、アニメのキャラクターのような高めのツインテールで登場して自らを「今日は幼いです!」と評した美空ちゃん(田中美空)は、まさに小等部の雰囲気を漂わせていた。それから美樹ちゃん(八木美樹)、咲愛ちゃん(木村咲愛)の順に舞台に上がり、最後に倉本校長が登場して『歌の考古学』の2時限目はスタートした。

例えば、サクラデミー女優賞の場面などでも、トップバッターを決める瞬間は奇妙な緊張感に包まれるものだ。まして、誰が名乗りを上げたとしても胃が締め付けられるような空気が生まれる『歌の考古学』の一番手だが、しかし、この2時限目では、拍子抜けするほどあっさりと決まった。森先生が「誰から行きますか」という言葉を発した瞬間に、美空ちゃんが何の迷いもなく、勢いよく右手を真っ直ぐに上げたからだ。「いつも手を挙げなくても一番にされるから、自分から挙げてやろうと決めていた」と、美空ちゃんは言う。無理やりな様子も嫌々な様子もなく、その佇まいからは、最後の歌の考古学を楽しもう、という振り切った気持ちが溢れ出てくるようだった。

空へと伸ばすようにぴんと挙げた手の勢いのまま、美空ちゃんはハキハキと楽曲のプレゼンを進めた。選んだのは堀江由衣の「Romantic Flight」だった。アニメや声優が好きな美空ちゃんは、小松未可子を通じてこの曲を知り、心を惹かれたのだという。「この曲はラブソングだと思うけれど、さくら学院の8人の絆にも通じるものがあると思う。曲の中の好きな歌詞のように、父兄さんの心をキャッチして、宇宙(そら)へ飛び上がりたい」というような言葉でプレゼンを締めくくり、そのまま爽やかに、力強く、歌を唄い上げた。

これまで引っ込み思案な姿勢が目立った美空ちゃんの堂々としたプレゼンと歌唱に、森先生や生徒たちもみな驚いた様子を見せる。時系列が曖昧だけど、「緊張しなかった?」と問われ、「緊張しちゃうから、(自分に言い聞かせて)緊張しないようにした」という意味合いのことを答えていたと記憶している。さらっと口にしたこの言葉は、実は大きな意味を持っているのではないか、と僕は思った。配信番組でもライブパフォーマンスでも、ここ最近の美空ちゃんは母性を感じさせるほどに懐が深くなってきたと感じていて、それは心の成長が身体に追い付いて来たこともあるし、この状況下でも自分がやるべきことをやって来たという自信もあるだろうし、さくら学院での残りの時間を楽しもうというメンタリティに到達できたということもあるのだろう。「曲がった事が嫌いで、ウソもつきません。」という、彼女をイントロデュースする歌詞のまま、美空ちゃんは正真正銘、真っ直ぐな性格の持ち主で、それがゆえに今までは(良い意味での、表現者として必要なスキルとしての) "自分を騙すこと" が苦手な不器用さが目立っていたと思う。一方で彼女は自らが成長を認めた部分に関しては隠すことなくアピールをするし、それが揺るぎない自信となり、彼女の中の芯となっていくような場面も何度か目にしてきた。

成長した、何かを掴めたと自分で納得できたことについては謙遜せず嬉しそうにそれを表現し、一度築いた自信は彼女に根付いて決して崩れない。その実直な強さは、美空ちゃんの特徴的な個性だと思っている。だから、彼女が「緊張しないようにした」と言ったのは、強がりでもごまかしでもなく、彼女自身がそうすることが出来る(或いは出来るようになった)という実感を持っているのではないか、と思ったのだ。美空ちゃんはあまり意識をせずにそれを言ったのかも知れないけれど、もし舞台の上で自らをコントロールする術を自然と身に付けたのであれば、彼女は今まで以上に急速に成長し、縦横無尽に活躍する姿を見せてくれるのではないか。そんな未来への期待が空高くへ舞い上がって行くような、美空ちゃんの発表だった。


八木美樹

2番目の発表者には、美樹ちゃんが指名された。自信に満ちた姿で唄い終えた美空ちゃんとは対照的に、この日、舞台に現れた瞬間から隠しようもなく緊張し、余裕のない様子を見せていたのが美樹ちゃんだった。生徒たちが呼び込まれる前に森先生が「一人、めちゃくちゃ緊張してる」と言い、その生徒が楽屋でずっとアカペラの練習をしていたことを明かしていたが、登場してすぐにそれが美樹ちゃんであると分かった。前日におこなわれた『写真の授業』の1時限目、彼女は自己紹介の時に手が震えるほどに(配信の画面で震えがはっきりと分かるほどだった)緊張をしていたのだが、この日もそれを引きずったまま、本番を迎えているように見えた。

美樹ちゃんのプレゼンは準備物が多く、舞台上でわたわたと準備が進められる様子を、僕は客席からじっと見つめていた。美樹ちゃんは舞台奥から大きな模造紙を持って来て、ホワイトボードにそれを貼り始めた。僕は、模造紙にはこれから唄おうとしている歌の歌詞が書いてあるのだろう、と思った。知っている曲かな?そう思ってその歌詞を読み、彼女が何を唄うのかを理解した瞬間に、涙が込み上げて来て、抑えられなくなってしまった。これは「人にやさしく」じゃないか。美樹ちゃん、ブルーハーツを唄うのか。なんてことだ。そうだよね、人にやさしくのところ、確かに音程が取りづらいよね。そうか。ブルーハーツを唄うのか。美樹ちゃんが。

プレゼンは、多少つっかえたり引き返したりをしながら進んだが、内容のバラエティに富んだ面白さ、クオリティは間違いなくこの日の出演者の中でいちばんだった。歌との出会いを、スケッチブックに描いた絵と共に自分と母親の一人二役で小噺風に紹介し、指示棒を使ってブルーハーツの楽曲の歌詞の特徴を話す。そして「今日は2番を唄いたい。ガンバレという言葉がたくさん出てくる。わたしはさくら学院に入りたての頃、周りの人からいっぱいガンバレ(顔笑れ)と言ってもらった。今、この状況で、皆さんも辛かったりくじけそうになることがあるかも知れないけれど、わたしから皆さんにガンバレという言葉を届けられたら嬉しい」という意味のことを言い、唄い始めた。

美樹ちゃんが選んだ「人にやさしく」の2番の歌詞はこうだ。

人は誰でも くじけそうになるもの/ああ 僕だって今だって/叫ばなければ やり切れない思いを/ああ 大切に捨てないで/人にやさしく/してもらえないんだね/僕が言ってやる でっかい声で言ってやる/ガンバレって言ってやる 聞こえるかい ガンバレ!

美樹ちゃんは、初めは、かなりテンポを落とし、この曲を優しく語りかけるように唄った。緊張はまだ残っていて、時折、声が揺れる。それでも、彼女の想いは声に乗り、僕たちの心を柔らかい温度で満たした。1度目の「ガンバレ!」を客席にそっと投げ入れたあと、今度はエアギターをかき鳴らし身体を揺らしながら、オリジナルに近いテンポで、再び2番の冒頭からを唄い始める。歌声は、急激に力強くなった。2度目の「ああ 僕だって今だって」のところで、ストロークしていた右手を胸のあたりに持ち上げ、わたしもだよ、というようにとんとんと叩く。今まさに緊張している自分を示したのか。この1年以上、抗いようのない理不尽さに苦しめられ続けていたことを示したのか。歌声は力強さを増していく。そして、聴いている僕は、さっきまで緊張している彼女を精一杯応援しようと気を張っていたのが、いつの間にか自分が彼女の強い声に励まされ、奮い立たされているのに気付いた。

どんなに彼女たちを勇気づけよう、応援しようとしても、結局、最後に何かを与えてもらうのはいつも僕の方なのだ。美樹ちゃんの歌を聴きながら、あらためてそれを強く感じていた。僕には、数百人の観客に見つめられながら舞台に立ち、歌を唄ってその場に居る人たちを元気にするなんてことは、絶対にできない。舞台の上で弱々しく心細げに見えても、ほんとうは、彼女たちは僕の何十倍も強い、選ばれた人たちなんだ。ただ、その一方で、応援の声を届けようと藻掻く僕たちは、彼女たちには必要ないのかと言えば、それは違うとも思う。彼女たちが「会いたい」「会いたかった」と言ってくれる時、そこにはほんの少しであっても、純粋な想いが込められていると信じているし、脆く曖昧に思えるその関係性は、それでも両者の間に間違いなく存在しているのではないか。懸命に唄う彼女を、涙で厚く靄がかかったような視界に映しながら、そんなことを考えていた。2度目の「ガンバレ!」が、今度は声の限りに大きく叫ばれ、会場は割れるような拍手に包まれた。美樹ちゃんは「拍手が聞こえてきて、"できたんだ" って思って」と、泣きながら言った。彼女の、できたんだ、という言葉には、色んな意味が込められているように、僕には思えた。


木村咲愛

続いて指名され、舞台の中央に進み出たのは、咲愛ちゃん。2人の先輩の気迫と本番での勝負強さを目の当たりにして、初めての『歌の考古学』に臨む咲愛ちゃんは、大きなプレッシャーを感じている様子だった。それでも、準備してきた模造紙をホワイトボードに貼り、台本を開きながらもしっかりと視線を客席に送りながら、選んだ楽曲であるGReeeeN「キセキ」の説明や、好きな歌詞の紹介を一生懸命にしていく。この曲が発表されたのは、彼女自身の命が母親のおなかの中に宿ったことが分かったのと同じ日だったという。「それってキセキですよね?」、そして「わたしがさくら学院に入って、みんなと出会えたのもキセキ。今日、こうして父兄のみなさんと会えているのもキセキだと思います」と言って、プレゼンを歌唱へと繋げた。

舞台前方に歩み出て、マイクを握りしめ、足を肩幅に開いて踏ん張るように立つ咲愛ちゃんは、まるで自分を取り囲んでいる空気が全て目に見えない敵で、それに負けないようになんとか身体を支えているという風に見えた。歌は、一つ一つの音を確かめながらも、力強さを失わないように意識をしながら唄っているようだった。とても人気があり有名だが、旋律は複雑で歌詞の乗せ方も簡単ではない曲だ。かなり時間をかけて、しっかりと練習をしたのだろう。咲愛ちゃんが唄うのを聴いていると彼女の真面目さと負けず嫌いが感じられて、思わず身体でリズムを取りながら、食い入るように彼女の姿を見つめてしまっている自分に気付く。しかし。

ほんの一瞬、何かが弾け飛んだような空白があり、あれ?という表情をしたかと思うと、咲愛ちゃんの大きな目が、見る見るうちに涙で溢れた。歌唱が途切れ、「待って」と呟く声をマイクが拾う。自分に何が起きたのか分からない、という様子だった。だが、それもまた一瞬のことだった。彼女はもう溢れ出る涙を抑えることは出来なかったけれど、それでも唄うことを止めなかった。声は詰まり、音程が取れなくなる。でも、歌は続いた。真っ赤にした目で客席を睨むように見つめながら唄う彼女は、何かと戦い続けているように見えた。

泣きながら、それでも最後まで唄い切った咲愛ちゃんに対して、この日、ここまででいちばん大きな拍手が送られた。それは驚きと称賛の拍手だった。唄い終わった後も嗚咽が止まらない咲愛ちゃんは、「どういう涙なの?」と問われ、「頭が真っ白になっちゃって、ちゃんと歌えなかった。悔しい」と、しゃくりあげるように答えた。涙の歌唱の間、僕は彼女が "最後の公開授業" という状況に感情を昂らせて泣いてしまったのだと思っていた。歌の綻びにはまったく気が付かなかったからだ。ヴィアマーレにいたほとんどの人が、咲愛ちゃんが大きなミスをしたとは感じていなかったのではないかと思う。でも、彼女は納得できなかった。最初で最後の、一度きりの時間に、自分が納得できるパフォーマンスを届けることができなかった。それが悔しかったのだという。そして、更に驚かされたのは、制御が難しいほどに嗚咽しながらも、森先生の振りに対して「無加工ー!」を完璧にやり切ったことだった。彼女の悔しいという言葉と、この崖っぷちで自らを立て直した瞬発力は、プロ意識というよりも、表現者としての本能のようなものだったのではないかと思う。


野中ここな

4人の中で最後に残ったのは、なっすだった。彼女はつまり、最後の『歌の考古学』の、最後の発表者ということになるのだ。この日のなっすは、舞台に登場した時から何か悟ったような落ち着きを見せていたのが印象的だった。エレファントカシマシの「今宵の月のように」を選曲した彼女は、スケッチブックにキーワードだけを書き、フリートークのように滑らかに言葉を紡ぐ。スケッチブックの裏側に小さな文字で印刷されたテキストが貼られているのが見えたが、彼女はほとんどそこに視線を向けることなく、前を向いてプレゼンをしていた。「この曲のいちばん好きな歌詞は、"いつの日か輝くだろう 今宵の月のように" というところ。わたしと沙南(白鳥沙南)は中等部3年で卒業できるけど、他の6人は卒業できずにさくら学院が終わってしまう。でも、みんなそれぞれの場所で、さくら学院にいた時のように(つまり、今宵の月のように)輝けると思うし、輝きたい」。

言葉で自分の想いを伝え終え、マイクを持って前に出てきた彼女の表情は、明らかにそれまでとは変わっていた。そして、ここから、圧巻の歌唱が始まる。まず、アレンジが素晴らしかった。テンポを落としてゆったりと間を取り、一言一言を語りかけるように唄う。「くだらねえとつぶやいて」というインパクトのある歌い出しから、一気になっすが生み出す世界に引き込まれた。低音はかすれることなく余裕を持って鳴らされていたし、ファルセットも難なく使いこなして伸びやかなスキャットを会場に舞わせる。そして、特筆すべきは、やはり独特の世界観すら醸し出す緩やかなテンポを保ち続けたこと。観ている側も尋常でない緊張感に絞めつけられるような状況で、彼女の歌は決して焦ったり急いだりすることはなかった。彼女が信じる速度で旋律は流れ、そこに情感豊かな声が乗り、表情や手振りも加わって、まさになっすの世界と言うべき表現が、舞台の上に生み出されていた。

プレゼンの内容からすれば、なっすが聴いたのはもちろんエレファントカシマシの原曲に違いない。だが、原曲とは異なるお手本があるのかと思ってしまうほど、彼女の歌唱はオリジナリティ溢れる素晴らしいものだった。唄い始めの瞬間から、この男声ロックの名曲が、完全に彼女の歌として成立していたように感じた。彼女は歌を自分のものにしていた。森先生も手放しで彼女を褒め、生徒たちも圧倒された様子だった。「わたし、歌詞作っちゃった…」と自分自身で言ったとおり、途中で飛んだ歌詞を即興で作り、リカバリーするという離れ業もやってのけた。それら全てをひっくるめて、"会場を支配していた" という表現はまったく正しかったと思う。

森先生は、「凄みがあった」「ゾーンに入っていた」「この世界でやって行く覚悟を感じた」と、かなり強い表現でなっすのことを評価していた。僕もそれを大げさとは思わなかった。パフォーマーとして、そしてクリエイターとしての彼女の実力がはっきりと示された時間だったように思った。彼女がこれからどんな道に進むのかはまだ分からないが、舞台に立ち続けてくれるのだとしたら、間違いなく多くの人を魅了する表現者になるだろう。


「わたしがここにいる。」

全ての発表が終わった。校長が退場した後に告知がおこなわれ、森先生が生徒たちに一人ずつ感想を聞いていく。そこで、咲愛ちゃんが言った。「あの、今もう一度唄ってもいいですか?」。会場はどよめき、大きな拍手に包まれたが、森先生は少し戸惑っているようだった。校長に戻ってもらうのかどうかをスタッフに確認し、咲愛ちゃんに、大丈夫なのかと確認していた。だが、咲愛ちゃん本人はもう "決めた" 様子だった。迷いを見せずに舞台奥からマイクを持って来て、さっきまで涙を流しながら唄っていた場所に、もう一度立った。校長は控室から退出してしまったようで、戻るまでに少し時間がかかった。「では、よろしいですか?」と、咲愛ちゃんがハンドマイクに向かって言う。彼女はもう唄うことしか考えていなかった。森先生はびっくりして彼女を止め、校長が戻るのを待てと言った。「おまえ、凄いな…」と呟いていたかも知れない。しばらくして舞台に現れた校長は、帽子をかぶっておらず、衣装のボタンも外れ、ピンマイクを手に持って自ら口のあたりに当てていた。既にスイッチをオフにしてしまった後に慌てて戻って来たことは明らかだったが、満面の笑みを浮かべ、何か宝物を見つけたみたいに目をきらきらと輝かせていた。

準備が整い、咲愛ちゃんは大きく息を吸い込んで、唄い始めた。声は少し震えていたが、小さくはなかった。確かめるように旋律を追いかけ、足でリズムを刻んだ。時々、感情が溢れ出しそうになるのをなんとか抑えているように見えた。それはそうだ。全てが終わろうとしていた最後の瞬間に、自分から手を挙げ、「唄いたい」と言ったのだ。そして、今、客席の全ての父兄たちと、舞台上にいる3人の先輩と2人の先生が、固唾を飲んで自分のことを見つめている。ヴィアマーレの広い空間には、彼女の歌声と吐息だけが聞こえる。表現のプロフェッショナルだとしても、普通に考えれば冷静ではいられない状況だ。だが、唄い終わるまで、彼女の声が詰まることはなく、目から涙が落ちることはなかった。「いつも君の右の手のひらを 僕の左の手のひらが そっと包んでくそれだけで ただ愛を感じてた」という最後の歌詞を唄い終え、「ありがとうございました」と言った瞬間に、彼女の大きな瞳は、再び涙でいっぱいになった。その涙の意味は、1度目とは違っていた。


咲愛ちゃんだけでなく、この日、舞台の上で唄った4人全員から感じたのは「わたしはここにいるよ」という強烈な主張だった。それぞれがそれぞれのやり方で、個性を剝き出しにして、舞台という "虚" の空間に、自分の存在という "実" を証明しようとしていた。その中でも、咲愛ちゃんは短い時間の中に人間のドキュメンタリーと言っても大げさではない物語を見せてくれた。舞台の上では常に失敗をする可能性があるということ。上手く行かなかった時に何を考えどう行動するかということ。チャレンジが次回に持ち越せないのであれば、その場で挑むということ。自分で決め、自分で声を上げてそれをやり切るということ。1度目の歌唱からエンディングを経ての唄い直し。彼女がやり遂げたことは、校長が「僕らくらいの年齢の大人にとっても、勉強になりますね」と言ったように、僕たちに人生のヒントを示唆してくれているようでもあった。

さくら学院の公開授業は数あるエンターテインメントの中でもかなり特殊だと思うし、『歌の考古学』はその中でも深い意味と唯一無二の独特な雰囲気を持つイベントだ。それについてここで語ることはしないけれど、この日、会場を出て桜木町の駅へと歩きながら思ったのは、咲愛ちゃんが、さくら学院の公開授業の長い歴史に見事なエピローグを書き記してくれた、ということだった。もし、さくら学院が続いていれば、彼女には失敗を力に換えてリベンジするチャンスがあったはずだ。でも、彼女はそれが叶わないことを知っていた。一度きりの機会にミスをしてしまったことに対して、彼女はその場でやり直したいと言い、それを果たした。誰かの力を借りてではなく、自分でそれをやり切ったのだ。個性を伸ばし、表現者としての自分を確立することを学ぶ学校の、最後の授業で、これほどの相応しい幕切れが他に考えられるだろうか?

さくら学院は終わる。さくら学院の公開授業が開催させることは、もうない。けれども、長い歴史を刻んできた公開授業が終わるその時に、学校という枠に収まり切らない、個の存在を強烈に叩きつけられるようなパフォーマンスを体験できたのが、僕はとても嬉しかった。公開授業の最後の瞬間に、ヴィアマーレの舞台に立って唄っていたのは、木村咲愛だった。その事実が、今、僕に未来への大きな希望を抱かせてくれている。

(2021年6月20日)


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