2016年9月のこと。 〜「迷信」の力について〜
(この記事は過去に別のブログサイトで公開したものです)
2016年9月。BABYMETALはロック・フェスティバルとライブハウスの熱狂に彩られた夏を過ごし、この9月には更にメタル・レジスタンスの軌跡において大きな出来事がありました。もちろん、9月19日と20日に東京ドームを舞台に行われた『BABYMETAL WORLD TOUR 2016 LEGEND ‐ METAL RESISTANCE ~RED NIGHT&BLACK NIGHT~』です。実は僕はBLACK NIGHTのチケット申し込みに当選していたのですが、どうしても数ヶ月後の仕事のスケジュールを見通せず、入金を諦めてチケットを放流してしまっていました。今にして思えば、どんな手段を使ってでも足を運んでおくべきでした…。
このライブは2日間のステージで既存の楽曲ほぼ全てをセットリストの被りなく演奏するという内容で、過去最大規模の舞台装置が組まれた東京ドームには延べ11万人が集まりました。僕は上記のように現場に居ることはできなかったのですが、BABYMETALが東京ドームという日本で最大級のコンサート会場を完全に掌握していたことは映像だけでも十分伝わりましたし、宗教的と言ってもいいほどの一体感に圧倒されました。
さて、今回のエントリーで書きたいのはライブの内容についてではありません。RED NIGHT/BLACK NIGHTから2週間ほどたった10月の初め、RKB毎日放送の『もちこみっ』というラジオ番組で、パーソナリティの森ハヤシさんがBABYMETALの東京ドーム公演についての話をしました。さくら学院をテーマにしたエントリーでは森ハヤシさん(森先生)について触れましたが、かつてSU-METAL・YUIMETAL・MOAMETALが揃って在籍していたさくら学院の “担任の先生” というポジションを務める脚本家さんです。表舞台に出る日本の芸能関係者の中では、BABYMETALの3人を「中元・水野・菊地」と呼べる数少ない1人でもあります。共演の田野アサミさん(女優・声優)と話した内容に、以下のようなものがありました。
「中元はほら、自転車に乘れないんですよ。自転車乗れないし漫画も読めないんですよ。なんだろうな、俺そういうのを聞いた時に、よくあるじゃん漫画とかで。悪魔と契約して力を手に入れるみたいな。中元は悪魔と契約してね、“わたしは自転車に乗る力は要りません。その代わりドームで唄わせてください” みたいなね。何かと引き換えに力を手に入れた、みたいなこと(笑)」
もちろんこれはSU-METAL(かつて自分が知っていた「中元」)の歌声が東京ドームを支配していたことの感動を森ハヤシさんなりに面白おかしく表現したものですが、中元すず香とSU-METALのギャップを表す分かりやすいエピソードだと思います。実際にさくら学院時代の映像やエピソードを知ると、その牧歌的で “ド天然” な人柄から、海外のフェスや東京ドームで数万人の観客を魅了するヴォーカリストとしてのSU-METALをイメージするのは困難です。そして、この「悪魔との契約」という話で僕が思い浮かべたのはやはりロバート・ジョンスンのことでした。
ロバート・ジョンスンは1930年代の所謂カントリー・ブルーズのミュージシャンの中でも最も先鋭的な音楽を奏でていました。ジョンスンに纏わるエピソードとして有名なのが「クロスロード伝説」で、これはギターの腕が拙かったジョンスンが十字路で悪魔と契約を交わし、自らの魂と引き換えに超絶的なテクニックを手に入れたというものです。遺された録音で聴ける “1人で演奏しているのが信じられない” ほどのギターの技術と唯一無二の個性的な歌声、そして27歳の若さで謎の死を遂げたという事もあり、彼のミステリアスな人生を象徴するエピソードと言えます。1990年にCBS SONYからリリースされた『THE COMPLETE RECORDINGS/ROBERT JOHNSON』の日本盤ライナーノーツに、このエピソードの核心に触れる一文があります。
ロバートが魂を売り渡したから、これほどのブルースを聞かせられるようになった、などということを示唆しているのではない。問題は、ロバートがそうした意識 -自分は悪魔に魂を売り渡した人間なのだという- を以って20代を生き、このような凄絶なブルースの数々を記録に留めたということである。
(『THE COMPLETE RECORDINGS/ROBERT JOHNSON』ライナーノートより 日暮泰文 著)
「迷信」によって自らに暗示をかけること。それが自分の中に眠っていた力を呼び覚ます、という事は音楽を演奏する場面に限らずあります。それはうまくハンドリングできればメンタルコントロールという形で大舞台で力を発揮する助けになるでしょう。過去のインタビューなどを読むと、ライブを重ね海外や大きな舞台での経験を増すごとに中元すず香とSU-METALの境界線がはっきりとしていったのではないかと思えます。ロッキング・オン・ジャパン2016年6月号の付録、『BABYMETAL完全読本』にこんな興味深い言葉があります。
心の中にモンスターがいる感じっていうか、そのモンスターを解放してあげたらどうなるんだろう?っていうちょっとした疑問があって。だからピョッて手放してみたら自由に飛び立っていったんです。そこからライブの中でしかその子は出てこないけど、その中で自然に暴れ回ってたらどんどん大きくなっていって。それが気づいたらすごく大切な存在になっていてみたいなことなのかな。(SU-METAL)
(引用元:https://rockinon.com/feat/babymetal_201604)
俯瞰して見つつも、ステージ上で育っていったSU‐METALの存在を解放している感覚なのでしょうか。悪魔に魂を売る、とはちょっと違いますが、物理的には同一人物であるはずのSU-METALという存在を別人格として「信じる」ことによって、どんな大きな舞台でも(物怖じするどころか)楽しむことが出来るようになっていった過程を示す貴重な言葉だと思います。モンスター、という言葉が可笑しさではなくリアリティをもって響くのは、僕たちがSU‐METALの歌声の威力をよく知っているからに他なりません。
本来「迷信」はあまりイメージの良い言葉ではありません。しかしながら、BABYMETALを深く知っていくと、彼らが迷信を味方につけ武器にして素晴らしいパフォーマンスをおこなっていると思うようになりました。それは言うまでもなく「キツネ様」の存在と、「お告げ」と称される告知によって導かれていくBABYMETAL自身のストーリーのことです。ネット上で閲覧できるBABYMETAL関連記事の中ではかなり古い日経トレンディネットのインタビューで、KOBAMETAL氏がヒントとなる言葉を語っています。
「よく話題になるキツネサインも、もともとは彼女たちにメロイックサインを教えていたところ、影絵でキツネを作るように遊び始めたのを面白いと思って取り入れた。なんにせよ、本人たちは与えられた楽曲に触れながら「メタルとは何か」を自分たちで考え、新しいものを作り出そうと楽しんで取り組んでくれているようだ。」
(引用元:trendy.nikkeibp.co.jp)
狐憑きに代表されるキツネに纏わる迷信は日本に古くからある民間信仰であり、稲荷信仰、稲荷下げなど修験者や行者たちのなかでもキツネは神の使いとして扱われて来ました。BABYMETALの「キツネサイン」とキツネ様のお告げの関係性はどちらが先に立っていたのかは明確には分かりませんが、どうも3人が産み出したキツネサインを基にプロデュース側がキツネ様の存在を設定したのではないかと思われます。メタル・レジスタンスと称した活動が開始されてから、<ライブ中はキツネの神が降臨する。ライブ中は所謂お喋りとしてのMCは一切ない。普段の姿は世を忍ぶ仮の姿。メタル・レジスタンスの行く先はキツネの神様のみが知る。>といったBABYMETALの根幹にある設定が揺らぐことは無く、音楽的な部分と共にBABYMETALの個性を決定づける要素となっています。
キツネ様の存在と、神が降臨した状態のBABYMETALという設定をした事の演者側への効果としては、3人がプライベートの自分とステージ上の自分をはっきりと分けて捉えることができたというのが最も大きいでしょう。そしてその設定は活躍する舞台が大きく、飛び回る範囲が世界へと広がっていくに連れて、3人のプライベートを守る鎧のようなものとして機能していったのではないかと僕は考えています。更に、先述の日経トレンディネットの記事の中でKOBA氏はこうも語っています。
本人たちのキャラクターを生かしたいと考えているので、制作サイドで考えたことを逐一、彼女たちに伝えることはあえてしていない。(中略)メンバーたちの個性や自由なアイデアを大切にしたいとは、振り付け担当のMIKIKO氏ともよく話している。振り付けにしても、曲を聴いてメンバーが体を動かしながら練習している際に、「その動きが面白い」と取り入れることがある。「ヘドバンギャー!!」のサビでYUIMETALとMOAMETALがツインテールを両手で持って振り回す動きがあるが、これも彼女たちが練習でやっていた動作だ。
BABYMETALを動かしている「大人たち」が素晴らしかったのは、設定というフィクションで3人を守りつつ、多感な少女たちの自由な発想を躊躇なく取り入れることで、彼女たちが “やらされている” という感覚を覚えないようにした事だったのではないかと思います。3人にとってBABYMETALの「迷信」はしっかりと身近にあり、ステージで成功体験を重ねるたびにそれを信じられるようになって段々とSU-METAL、YUIMETAL、MOAMETALになっていったのではないでしょうか。3人はキツネ様からのご神託を受け「力」を手に入れた自分を信じ、幾つもステージを乗り越えて来たのだと思います。
「YUIMETALでいるときは夢の中の自分で、仮の姿のときはいつもの自分。それを行き来しているなって思います」
(『ヘドバンVol.10』 YUIMETAL MOAMETAL1万字インタビューより)
このYUIMETALの発言は設定でも躱しでもなく、「水野由結」としての実感そのものであると考えられます。10代半ばの少女が経験するには過酷すぎるようなライブツアーも、BABYMETALとしての自分ならば乗り越えることが出来た。KOBAMETALとチームベビメタが3人のアイディアも取り入れながら作り上げた緻密な設定のおかげで、3人の少女は自分を擦り減らすことを最低限に抑えて、ここまでBABYMETALを続けてくることが出来たのだと思います。
…実はここからメタル・レジスタンス第7章(エピソード7)で起こっている事について、を一度書いたのですが、全て消してしまいました。お告げについて。情報のリリースについて。YUIMETALについて。色々と考えて書いてみたのですが、結局なんだかとても詮無いことに思えてきてしまいました。考えて、書いて、消して、残ったことを少しだけ書きます。
KOBAMETALとチームBABYMETALが過剰なまでに世界観を作り込み「設定」を守るのは、第一にはそれがBABYMETALの表現であるという側面。そして、中元すず香・水野由結・菊地最愛という「個」を尊重し、彼女たちのプライベートをどこまでも守る為であると、個人的には考えています。元よりBABYMETALはプライベートを切り売りするスタイルではないし、過酷なツアーの間も常に舞台上で研ぎ澄まされた表現を具現化しようとすれば、「仮の姿」の個を守ることは必要不可欠だからです。そしてアミューズはその姿勢を全面的にバックアップしているように見えます。
エピソード7で起きていることについては様々な人が様々な考察をしています。ツアーの開始から1週間経って少しずつ分かってきた事もある中で結局僕がいま感じているのは、これはBABYMETALのストーリーが予定通り展開されている、それに尽きるのではないかということです。現在のカタチは苦し紛れでもやっつけでもなく、長い時間をかけて検討され、周到に準備されたストーリーが実行されているのではないか。その「背後」に何があるか、それを穿つのはそれこそ詮無きことであるし、恐らく今後も語られることはないでしょう。ただ、5月8日以降、情報の出るタイミングと出処。ステージ上での表現の完成度。そして何よりも、雑音を薙ぎ払うように驚異的なパフォーマンスを続けるパフォーマーたちの姿。そこには迷いや苦悶は感じられず、確信と自信、そして表現の喜びに満ちているように思えます。
今までもがそうであったように、BABYMETALのストーリーがどのように広がっていくのか、僕には予想がつきません。恐らくはSU-METAL、YUIMETAL、MOAMETALにも分かっていないのでしょう。ただ、それでも… そう遠くない未来に、僕たちは誰もが望む光景を目にして、心からの笑顔になれるような気がするのです。キツネ様は裏切らないような気がしているのです。…ただの一個人の勘に過ぎないんですけどね。
(公開:2018年5月15日)
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