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高速回転する2つの円盤を動かしながら、世界と自分との接点を捉え、自分の存在について思いを馳せている

みなさんこんにちは、Poizonです。

8月に入り、7月までとは打って変わって、カラッと晴れるようになりました。ついに季節が夏へとギヤを切り替え出したように思えます。
ちょっと野暮用があり、10kmぐらいの遠出をすることになったのですが、コロナの新規感染者数が右肩上がりに上昇を続けている東京において、他者との接触は避けたいところ。交通手段として、自転車を選びました。

やはり僕は自転車が好きなようで。自転車の何が一番魅力的なのかと言われれば、あの風を切る感覚だと思います。それも、自分の努力値の結果によるものだというのがポイントです。自転車と同じく、バイクに乗っても、風を切る感覚というのは味わうことができますが、バイクは手首をちょいと捻るだけで、すぐさま60km/hの世界に入ってしまいます。風を気軽に感じることができるからこそ、その風のありがたみというのが薄れてしまうのではないか。そうではなく、自転車の、自己の身体運動というの努力の見返りとして、風という物理現象を受け取るということは、その体験をより魅力的なものへと昇華させることに成功しているのかもしれない、そんなことを考えながらペダルを漕いでいます。

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身体の持つエネルギーを運動エネルギーに変換し、地球の上を転がりながら、各元素分子の集合体の連続体に、自分という物体が介入し、そこに流体力学的な位相変化を伴わせることで、自分の皮膚と摩擦を起こし、触覚器官から認知された情報が脳へと伝達され、脳で「風」と認識され、側坐核からドーパミンが放出される。
わざと小難しく表現したが、つまり、

風、超キモティ〜〜〜〜


ってことだ。

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自分というものが存在しているということを、確固たる信念を持って証明するすべはあいにく持ち合わせていないが、それでも風というものを介して、宇宙の物理現象を身体が捕捉し、快感を覚えるプロセスが存在している限り、自分というものの存在の証明などもはやどうでもよく、ただ刹那的に今と言う時を捉え続けているという錯覚の中で、存在の片鱗を感じることができればそれだけで十分だと思える。

こんなnote誰が読むんだろう。
最後まで読んでくれた物好きなあなた。そう、あなたです。あなたに精一杯の感謝を伝えます。ありがとう。

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