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アメリカに旅立った絵達

コルチュラ島の旧市街を描いた絵を見た夫がこれは絶対に売った方がいいと言って、彼のおばあちゃんやお母さんもたくさん褒めてくれて、経費はどのくらいかとかサイズはどうしようとか話が着々と進んでいった。こうなったら腹くくってちゃんと描いてみようと思ったのが9月のはじめ。

朝起きたら顔も洗わずパジャマのまま机に向かって、お腹が空いて集中力が切れるまで描いて描いて描いた。少し絵ができてくると遅れて起きた夫は褒めてくれて、スムージーをつくりつつ気分転換してもう一仕事。勢いがあるうちにがしがし進める。そんなこんな特殊な数日を濃い濃度で過ごしてようやく完成した。色も線もトータルでみたときの全体像も、自分の好きなかんじにできあがって(自分が描いた絵なのにそうならないときもある)、自分でちゃんと気に入れてよかった。

そんなほくほくした気持ちも、尊敬している人の、カラフルで大胆で個性的な絵を見た後ではシュンと萎むんだけど、それでもこれが今のベストで、売れなかったらちゃんと受け入れること、全責任がわたしにあるということに直面する怖さと対峙しながらも刷った絵を置いてそわそわしながら3週間。シーズンも終わりかけて観光客もだいぶ少なくなってきたにもかかわらず、8枚全部売れた。

初めて売れたときの飛び上がる気持ちは新鮮に残っていて、絵にサインを書いて綺麗に拭いた額に入れて置いた初日、わたしと同年代くらいのアメリカ人女性2人組が買っていってくれた。「色が好き」「壁に飾る」と言ってくれた。らしい。(残念ながらその場に立ち会えずに後で話を聞いただけなので、少しの情報から想像を膨らませる。)

はるばる飛行機で運ばれて、アメリカのどこかにある彼女の部屋の壁に、わたしのあの絵が飾られているのを想像するだけでギュッと幸せな気持ちになる。ありがとう、お部屋に迎え入れてくれてありがとう。

しばらくじっと絵の前で悩んで帰られた男性が、その後もう一度お店に来てくれて絵をお買い上げしてくれたこともあった。数あるものの中で足を止めてじっと絵を見てくれている人を、レジの向こうから遠目で眺めているだけで不思議と何か力を貰うというか充分で、しばらく絵の前に立っていた彼が店から出て行くところをよく覚えている。(そのあとにわざわざ戻ってきて絵を買ってくれた彼を見たかったな。)

今までクロアチア人アーティストさんの作品を取り扱っていて、自分がいいなあと思ったものを誰かも気に入ってお持ち帰りしてくれるときが最高に嬉しいんだけど、自分の手で作り上げたものがひとつ売れただけでその日翌日舞い上がってしまうくらい嬉しいなんて知らなかったよ。

随分遠くまで来た。息を合わせるように島特有のスピードでゆっくりと、かつては想像できなかったところまで運ばれる感覚。

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