【言葉通り1丁目1番地】 気候大変動に応じた防災対策を急げ 〜一刻も早く政治・行政の「先送り体質」の改善を強く求む〜

昨今の災害級豪雨に思うこと。
半世紀前の記憶が今になってやっと恐怖として実感することになろうとは‥‥

関西圏に住んだ経験がある人なら即座に理解できる呼称「文化住宅」。
特に阪神地区以外の人にはイメージしにくいかもしれないが、一般的な表現でいう二階建アパートのこと。なぜこんな"けったい"な名称が付けられたのか、その経緯はさて置き高度経済成長期の低賃金サラリーマン家庭にとって低家賃で通勤圏に居住出来るというありがたい賃貸物件であった。

私が小学校二年生の途中まで家族と暮らしていたのは、長閑な田園や丘陵地が急ピッチで宅地化されていた阪急宝塚線沿線の小都市だった。
その文化住宅、小さな二階建アパートは全10戸、両端の部屋を除き間取りは三畳と四畳半の続き部屋で窓は玄関横の台所と部屋奥の突き当たりに各一つしかない、ウナギの寝床と揶揄された2K。奥の間の引き窓を開けると聳り立つような土の崖しか見えない日当たり不良の劣悪な環境。私たちはじめ10世帯が暮らす文化住宅は斜面を少し削って拵えた狭量地に無理やり建てられた、いかにも安普請の物件だった。
それでも玄関扉を開けると眼下には、決して広くはないもののヤツデなどの低木や様々な鉢植えで彩られ小さな池まで誂えた瀟洒な庭を有する戸建ての一軒家が見えた。夏は裏山で鳴き競う蝉たちの大合宿で目覚め、冬は近所の友達と路地に降り積もった雪で雪合戦をしたり小さな雪だるまを作ったりという、幼児期にはとても魅力溢れる贅沢な環境だった。

まだ幼稚園に上がる前の4、5歳くらいだったある初秋の夜、結構強めの台風が近畿地方を襲った。

ドーン!

台風の接近前から降り続いていた大雨の影響で、裏山の斜面の一部が小さな土石流となって崩れ落ちたのだ。
その夜は大風と豪雨の音がこのまま永遠に続くのではないかと不安でいっぱいだったのだが、不思議なことに死の恐怖は全く自覚できなかった。物心ついた頃からテレビの洋画劇場で観ていた災害シーンが焼き付いていたせいかもしれない。

大雨の夜に話を戻す。深夜まで台風情報を流していたテレビ画面が突然真っ暗になり、同時に部屋の電球も全て消えた。とうとう付近一帯が停電してしまったようだった。後日友達との会話で蝋燭の炎しかない暗がりの中、風と雨の音に慄き震えながら過ごしていたことも分かった。
またまた話が逸れたが、裏の崖が崩れたにも関わらず建物が何とか無事だったのは偶然だったらしい。確かに昼過ぎの時点でアパート前の舗装されていない小道は茶色い泥水が凄まじい勢いで流れ下り、まるでテレビで見たことがある山間の急流のようだった。裏山の斜面は止めどなく水が流れ落ちていた映像が記憶に焼き付いている。天災に遭うかどうかは運を天に任せるしかないというか、立地の危険性がさほど問題視されなかった当時、もし犠牲者が出ていたらどうなっていただろう。結局泣き寝入りせざるを得なかったのだろうか。当時は地形による水害発生の危険性を隈なく調査することが不可能だったし、たとえ予測されていた地域でも広く周知する手立てが限られていたから仕方ない、と片付けられては堪ったものではない。

自然災害での被災が繰り返される現状。これはひとえに政治・行政の怠慢に尽きる。毎夜毎夜、安心安全な料亭で政局談義にうつつを抜かしている姿、それを毎日毎日のんべんだらりと伝えるテレビには何をか言わんやである。

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