見出し画像

誰に向かって話していますか?

人の話を聴く…について。
先日、結構しっかり、その方の今までを聞く機会がありました。

話せば止まらなくなるとき、ってありますよね。

今までは、そういう状況になると、共感し、何かその人のためになることを言わなきゃ、と思う自分がいました。
でも、結局その人のためと思いつつも、説教、説得臭かったな、と思うのです。

その説教臭さがどこから来ているのかわからず、やけになって、「もう誰の助けにもなるまい」と思っていたのですが、ひょんな出会いから、改めて人と向き合うことになりました。


よく「ただ聞いてほしいの」という場面がありますが、今回もいわゆるそのようなシチュエーション。
でも、私にとってはこれまでと違ったイメージになりました。


「あ、これ。私に話しかけてるんじゃなくて、私を通して、自分自身に話しかけてるんだ。」

と、感じたのです。

私自身はだいぶ自分の中の謎の存在とのやりとりが普通になり、だからこそ、外の人ともまた違った会話ができるようになりました。

でも、普通は自分の中で自分と話すのは難しいので、こういう一方的に話す場面が必要なのだろうと。


今の私の聞き方
●共感はする。
●でも、その人の人生を尊重してその世界には踏み込まない。
●その人の分岐となるような気づきを促せないか、見る。(不思議とここは「見る」って感じ)


ちなみに、謎の存在は、
●共感はしてくれない→「そうなんだー(初めて知った)」みたいな。
●めちゃくちゃ褒めて、労わってくれる。
●興味本位で質問したり、意見を言ってくる。
結構、無邪気な感じです。


意外と、全部出してしまったら、あっけないものもあるんですよね。
そして、残った本当の気持ちや、恐れをどうしたいか。


段々、
「あ、今気持ちが下がってきたから、これについて考えるのやめよー」
って、簡単に切り替えられるようになりました。

ホント、ヤなことを考えるの辞めても生きて行けますからね(笑)。

そんなお手伝いをしております。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?