幻想水滸伝2と出会って考え方が変わった話

「その強さがあれば、すべてを守れると思った。」

幻想水滸伝2のキャッチコピー、覚えてる?

私がこのゲームに出会った当時は、なんてことないただのフレーズに過ぎなかった。

主人公がかっこつけてそれっぽいこと言ってるんだろうなと、単純にそう思った。

けれど、このゲームをプレイして数十時間経ったとき、クリアをしたとき、クリアをして何年後かにまたプレイしたとき。そして今。

私はこのキャッチコピーに、幾度となく自分の考えを変えられたものだと思うのだ。


どうやらもう22年も前らしい。

当時私は小学生で、幻想水滸伝2と出会ったのは父親について行ったパチンコ屋だった。

当時、パチンコに子どもも一緒に入ることが出来て、パチンコが好きな両親の隣に座って2人が終わるのを待ったり、パチンコ屋の隣に併設されてる本屋で立ち読みしたり、その本屋の奥にあるゲームソフトコーナーで面白そうなゲームを物色していた。買えないけど。

そもそも、なぜ父親と母親について行ったのか。

もうひとりで留守番もできるし勝手にお風呂に入って寝ることもできる年齢だったが、両親のパチンコについていく理由はひとつだった。

両親が儲けたら、おこぼれでゲームを買ってもらえる。

この事実が私を動かしていたと言っても過言ではないくらい、幼い頃から私はテレビゲームが好きだった。


そして、その日が運命の日だった。

その日父親がパチンコでものすごく勝って、好きなソフトを2本買っていいぞと笑った。

嬉しくて早速父親とゲームコーナーに行って、ああでもないこうでもないと手に入れるゲームを物色していた。

身長がまだ大きくない私に、大人の父親は私が届かない棚を見て「これ買おうか」と言った。

「なにそれ?」

「108人も仲間がいるらしい」

「ふーん」

「俺これ欲しいからこれ買うわ」

「えー!」

2本選んでいいと言われたのに、1本はそれになってしまってものすごく残念に思ったのを今でも覚えている。

けれど、不思議なもので今では私が選んだもう一本がなんだったさえ覚えていない。

これが、私と幻想水滸伝2の出会いだった。



父親は、普段は真面目に働いているがギャンブルも好きだしテレビゲームがなにより好きだった。

だから父親が新しいゲームを買うたびに私も自分のセーブデータを使ってやったし、わからないところは父親に教えてもらってクリアまでいくこともあった。

そして、幻想水滸伝2もそうだった。

初めてやったとき、知らない横文字ばかりで、子どもだった私はあまり理解できていなかったように思う。父親が「なるほどなぁ」なんて唸りながら進めていたことだけ覚えている。

けれど、冒頭で主人公と幼なじみのジョウイが敵軍に追い詰められて滝に飛び込んで、セピア色の回想が流れたとき。小学生だった私は、胸に何かがこみ上げた。

この苦しい気持ちはなんだ、なんでまだなにも知らないのにこんなに泣きそうなんだ、なんで…

それは、大人になった今ならわかる。

あのセピア色の回想は、誰かが、私が、生きてきた証なのだ。

離れてしまうかもしれない友との状況に、あの切なげな音楽と思い出を流されて、私はきっと切なくなったのだ。

そして物語を進めていくと、108人もの仲間だと謳っている以上に関わる人がいてびっくりした。

それは傭兵隊のポールにはじまり、ピリカの両親、キャロの人々…みんながその街を生きていて、みんなそれぞれに想いがあった。

顔グラフィックがあるのにパーティに入れられないキャラなんてザラで、敵キャラだとしても「あれ?この人仲間にならないのかな?」なんて情が湧いたりもする。まるでポケモンのムサシとコジロウだ。敵なのに、どこか憎めなくて愛おしい。

おかしいな?敵なのに、気持ちがある、思想がある、守るものがある…。そう、敵なのに。

私は、物語を進めて早く真相が知りたかった。

なぜジョウイがそうしたのか、なぜあちら側についているのか、なぜ、なぜ、なぜ…

小学生だった私は知った。

正義とは、ひとつではないことを。

正義とは、その人の心の中にしかないものだと。

志すものが異なると、どれだけ信頼している友人とでも、敵になり得るということを。

私はこのゲームを通じて、人間の複雑さを知ることになった。

もちろん、それは一度クリアし、中学生になってからも、高校生になってからも時々このゲームをして、その気持ちを何度も何度も味わった。

思えば、このゲームのおかげなのかもしれない。

私は、人と喧嘩をすることが極端に少ないと思っている。

それは、相手には相手の思いが、私には私の思いがあると知っているからだと自負している。

お互いに思い違いをしたり、ただのタイミングのズレだったり、そういったものできっと人はすれ違う。

けれど、人は相手の立場になった目線で考えることで、今とは違う意見が出てくるものだ。

そんな、当たり前だけど見過ごしがちなことを、このゲームは教えてくれた。

誰も、間違っちゃいなかったのかもしれない。

みんな、それぞれ目指すものがあったのかもしれない。

発売から22年も経った今、まだうまく言えないけれど、私はこのゲームをして毎回思う。

あのキャッチコピーが、主人公ではなくてジョウイの台詞だということが、ものすごく、いい。

あぁそうか。今時の言葉で言うと、エモい、だ。

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