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私の履歴書(20代前半の仕事歴)

19歳の春
大阪は福島にある和食割烹で住み込みとして出戻り
当時は本当に仕事が無く、今思えばかなりブラックな会社ですが、飲食業界なので仕方ないと思って頑張ってました。

鶴橋の寮(シェアハウス)から朝7時過ぎの電車で福島へ
その後仕込みとランチ営業をして昼休憩で仮眠し夜の営業へ、仕事終わりはだいたい24時前で帰りにコンビニに雑誌や甘いおやつを買って寮で食べてストレス解消

厳しいお店でお客様と会話するとすねをよく蹴られてました。

低賃金に耐えれず…営業中に店長と口論になり店を出て寮を出ました。いわゆる飛びでした…
大阪の親友に頼み、マンションを格安で借りる
その時に生まれ故郷の塚本に戻ってきました。

2回目の転職

仕事を辞めたのは良いが、あまり手持ちのお金も無くすぐに仕事探しを始める為に塚本駅の近所を散歩
通りがかった焼鳥屋の店先に貼ってある求人チラシに目がつき早速応募しました。
塚本2丁目にある薬局の向かいで一番って焼鳥屋で店長がなんと兄の同級生で、即日採用となりました。
※当時の薬局にこんな乗り物があったのをよく覚えてます。トップにあげました。

そこのお店は、他にも塚本駅で創作居酒屋を経営しており2ヶ月ほど焼鳥一番で働いた後に異動となりそこら、翌年の成人式の日までお世話になりました。
今でも当時の経営者の方とは連絡を取り合い現状の報告をしあっております。

この時の仕事?同僚スタッフの友人で、お客さんとして来ていた元奥さんと出会い結婚に至りました!
20歳の時が1番の人生転機で、今振り返ると本当に子供のままで成長し、色んな壁にぶつかってきたなと感じてます。

奥さんが妊娠したのをきっかけに転職活動をスタート
将来、飲食店で独立をしたいと当時は強く思っており、居酒屋などよりBARをしようと考え、塚本から通える十三のショットBAR「THE PUB」へ就職
2020年1月から1年間はアルバイトとして働き、社員へ昇格
2階は席数20席・3階は席数35席と十三では大きな店舗で、2000年当時は毎日3回転~4回転する繁盛店で、十三の夜の窓口として風俗店舗のスタッフさん・飲み屋のママさん・怖い人・芸能関係・地元の社長・大手製薬会社サラリーマンなど、毎日ごった返しの日々でした。
1階は大衆居酒屋「丸一屋」
2階はロックBAR「THE PUB」
3階はモルトと映画を売りにした「ATTIC BAR」
※「THE PUB」は十三で今も開店している老舗のロックBAR
当時はレーザーディスク200枚・CD1000枚を保有(今も増加中)最近ではDVD・動画などでロックな雰囲気が楽しめます。

ロックBARでトータル4年間勤務
日々10~20人の一見様との接客をし、帰り際にふっと笑って帰ってもらう事を意識する事で、今でもお付き合いのある方が多くできている事を実感してます。
このお店は、2人目の子供が妊娠が分かった時に、子供との時間や生活費を考えて退職をし、その後、知り合いのお店で少しの間、お手伝いをし2人目が産まれてから、独立を再度視野に入れて探偵の仕事へ転身
続きはまた明日以降に

そのお金は、他の人につこたって!!