10年ぶりに働いた… 〜空白の10年 何してた?〜
前回は…
四苦八苦しながら食事介助をしているワタシ。そんななか思いがけず素敵なコミュニケーションがとれ、ほんわかとしたのであった。
ご飯を入居者の方々に食べさせ、食器を下げてテーブルを拭きあげる。他にも細々とした仕事は色々あったが、とにかく無事に仕事を終わらせる事ができた。
おぉ……
10年ぶりの…仕事だ。しかも2時間。
ワタシはこの10年一体何してた?
10年前のワタシは5人目の子供を授かり、家事育児に専念。家事は山のようにあり終わりがない。ダンナさんは仕事で活躍。お互い忙しい毎日を送ってた。
末っ子が3歳になる頃から、身体の不調が多くなってきた。全く眠れない、とにかくだるくて疲れやすい。頭痛も酷い。
病院であらゆる検査をしても異常なし。病院ジプシーをしているうちにパニック発作で倒れ、何もかもが死ぬほど怖くなり 普通の生活が送れなくなってしまった。
パニック障害、不安神経症、適応障害、鬱、病名は医者が変わるたびにどんどん増えていく。その度に自分が情けなさの極みに思え、落ち込んでいく。
抗うつ剤や抗不安薬は、どことなく悪いイメージがある。なるべく漢方薬やハーブ、整体などで治そうとありとあらゆる事にトライする。が…ダメだった。
年単位で治す事に全力で頑張ったが、結果が出ないことに心底 疲れ果てた。生きる意欲は失せ、生きててスミマセン状態。
消えたい、楽になりたい、とベランダから下を覗いて地面をずっと見つめてた。
第一発見者は帰りの早い子供達になるだろう。いやいや、子供のトラウマになるような事はするまい。楽になっても家族に重荷を背負わせるのは申し訳なさすぎる。子供達にどれほど苦しく悲しい思いをさせるか。
「人に迷惑をかけてはいけません」という躾をいまだ守る、真面目な性格が功を奏して ワタシは生きるを選択した。
ワタシは治療に専念する為に、小さい子供を置いてストレスケア病棟に何ヶ月か入院した。
その時の主治医はこう言った。
「「今」という時間を楽しむ為に薬を飲むのは嫌ですか?
薬は、辛い症状を和らげて「今」の時間を楽しむツールだと考えるのも、一つの手だと僕は思うんです。」
ワタシは素直に処方された薬を飲むようになった。今を楽しむ為に。
どうせ最後は死ぬんだ。今を楽しんだっていいじゃないか?未来の身体の影響を考えたら薬は良くないけど、そこまでの未来は今は考えられない。ワタシは今を生きるのに精一杯だった。
入退院を何度か繰り返した。症状はいちいち気に病む事ではなくなり、辛い時は薬の力をかりて乗り切る。身体が薬で楽になる事に罪悪感は感じなくなった。
中学生だった上の子達は社会人に、小学生だった子は高校生に。保育園に通ってた子は中学生に。赤ちゃんだった子は小学生になった。みんな大きくなった。
以前のように家事は滞りなくできるようになり、だいぶ元気になってきた!
やってみたかった事に挑戦したり、美術館に出かけたり、時々 家族を送り出してから本を持ってカフェでモーニングを楽しんだり。
ものすごく楽しい。月に数回、まだ寝込む事はあるがそんな日もあるさと割り切れてる。
思い描いてた理想の生活スタイルを送って楽しんでいたが、ワタシは40代半ば、これでいいのだろうか?途端に焦燥感や憂鬱感を感じだした。
これでいいんだろうか……
そんな時、たまたま読んでいた本に、こんなことが書かれてあった。
「お前の嫁の一番の良薬は何か知ってるかい」ボヴァリー老婦人は言った。「無理でも仕事をさせることだね。パンをかせがねばならないのであれば塞ぎの虫にかかりゃせん。頭の中に妙な考えを詰め込んでのらくら暮らしてるせいだからだよ。」
フローベル「ボヴァリー夫人」
ぐ…その通り。働こう。そんな経緯でワタシは働き始めた。
そして、仕事をいい加減な思いで途中で投げ出さないようにするため、近況をnoteに綴りはじめたのである。
つづく…
読んでくれてるあなたへ。
お会いして直接お礼を言いたいのですが、とりあえずこの場を借りて言わせてください。
読んでくれてありがとう😊
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