年を取る2020

今年もこの日がやって来た。 生きてるだけで丸儲けの年に一度の祝われる日、誕生日だ。ところが今年は長男誕生という一世一代のイベントに対して、祝われる日という座を明け渡してしまっている。どうしたって長男誕生よりお祝いの声は少なくなるに違いない。なんといってもぼくは老いるだけだが、彼はこの世に誕生したのだ。比べるべくもない。
それでもぼくの誕生日を覚えていた人は居るようで、すでにお祝いの言葉やイラストを目にしたことはここにお知らせしておこう。感謝感激雨あられ。猛暑の続くなか、あられとは言わないが雨くらい降らないものか。お金が降ってきても良い。どうせ降るなら当たっても痛くない札束が良い。

先日誕生した、と言ってももう2ヶ月経ったことに驚きを隠せないのだが、彼は今まさに夢うつつのなかでも母乳を飲み、無意識に成長しようとしている。なんと素晴らしき生命の力だろうか。ぼくらは意識しても成長できず、ただ肥えるだけか、あるいは老いるだけである。成長の秘訣は無意識にこそあるのではないか。子供の心を忘れない者こそが成長していけるのではないか。親の心子知らずとは言うが、親が子の心を持てば通じ合えるかもしれない。

粉ミルクを哺乳瓶に溶いて戻って来ると、彼は夢うつつを通り過ぎ、夢の世界に遊びに行ってしまったようだ。これが意識の高い人が好むと噂の、自分探しの旅というやつだろうか。意識無い系自分探しの旅。これを飲んでくれないと短時間で起きてしまうというのに。
母乳なら飲もうとするから一旦母乳を吸わせて哺乳瓶にすり替える作戦に出てみれば、さっきは飲まなかった粉ミルクをゴクゴクと音を立てて飲んでくれる。思いつきが功を奏したが、子の心を持った親の知略であることは言うまでもない。

仕事のことを考える必要もなく家に居られる今年の誕生日は、どこにも出掛けられないのは少し残念だけれども、例年になくのんびりできそうだ。昨日の焼き肉の残りで作ったチャーハンがおいしい。

poez

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