おぼえがき3

おぼえがきシリーズ
再掲:嫁が妊活の記録を残したいと言うたので、iPhoneのPagesで書いてもらった。嫁が感じた不安や悩みやつらさに、同じように直面する人がどこかに居るだろうと思い、ぼくが編集して公開することにした。少しでも救いになればと思う。
※生々しい表現もあります。苦手に感じたら読むのをやめてください。

書いた人
原文:ぽめ(嫁)
編集:poez(旦那)

出血のはじまり。

8/17
B産婦人科 受診
昨夜、富山から帰宅してから少量の出血がみられ、休みを取り受診する。先日の富山の大きな病院にて撮影したエコー写真を携えていく。『その写真に写っていたようなものはないですね』と鼻で笑うような話し方で説明され、また繰り返しになるが子宮外妊娠と流産の説明があった。はいはい、またか…と、気づけば真面目に睨み、舌打ちをしている私がいた。個人的な感想ではあるが、嘲笑的に話す様子に見受けられ不愉快だった。

同日
A産婦人科 受診
もうだいぶ嫌になっていたのだが、旦那さんと相談し説得され、受診する。
またどうせわからないんだろなぁ。出血も流産なんだろなぁ。今までのは何だったんだろうなぁという諦めが出ていた。念の為、全ての画像を携えていく。
画像では小さなモヤモヤが見えた。これかなぁ?というものはありますが情報が少なすぎてよくわかりません、とのことで採血を行った。結果は22日に聞きに行くことになる。この日以降、B産婦人科へ行くのはやめることにした。

8/18
職場へ出勤する。少量の茶褐色の出血はみられたが腹痛はない。周りのフォローもあり、力を必要とする内容はパス出来た為、体調不良になることも無く問題なし。
看護師や切迫流産・流産経験のあるスタッフからは休んだ方がいいよと助言される。人員が少ない事や痛みが無かった為、なかなかその選択が出来ずにいた。念の為、上の人には翌日も出血が続いていた場合は休む旨を伝える。

8/19
出血が続く。茶褐色から薄茶や薄赤、粘液性の血液に変化。小指の爪程度の血溜まりが便器内に残留するようになった。念の為休みを頂き静養する。病院へ行ったほうが良いのでは?との頭もあるが、採血結果が翌日くらいには出るはずであることと、また病院に行く煩わしさや、幸せそうな夫婦達の中にひとり混じる辛さが今の私に耐えられなかった。痛みはないのに出血したり、妊娠によると思われる不快があったりするのに、もう終わりを迎えようとしているのか。
妊娠は赤さんの成長があるからこそ耐えられるイベントなんだろうな。それがないから辛いだけになってしまったなぁ等と考えてしまい、大声で泣いたり、疲れて泣き止んだりを繰り返していた。出血が続き、痛みが出るようなら受診しようかなと頭の片隅で考える。

8/20
鮮血が出る。起床後、トイレにて鮮血と500円玉くらいのコアグラ(凝固した血の塊)が出る。あ、やばいやつだ。と取り乱しそうになる。旦那さんにしがみついて泣いてしまう。受診することを決め、朝イチでA産婦人科に連絡を入れた。

同日
A産婦人科 受診
今日は違う先生の診察だった。こちらの話は全く聞いてくれず、『どうして今ここにいるのか』『前回と同じ先生の予約を取ってくれないと困りますね』という説教から始まった。ど畜生かよ…と内心苛立っていたが、出血量が増えてきていた為診てもらいたくて来た。電話連絡もしたし、受付の人からおkという返事があった流れを伝える。
診察結果は、『8割、流産しかかってるので今回は残念ですが。気持ちは諦めててください。採血の数値もあまり良くない。でも、もしかしたら出血が止まってくるかもしれないし、赤さんが袋にいたら頑張るかもしれないので絶対安静で本当に何もしないで!絶対動かないで下さい!』と、怒られた。仕事は休めば良いのか確認すると、『前回の診察時に何も言われなかったのか?』と、いちいち怒られてしまう。何もないわクソが。と、こちらも思ってしまう。『とりあえず仕事は休んで22日の診察でもう一度お腹の中を確認して採血しましょう。次の採血数値が下がっていたら確実に流産です。お母さんは何も悪くないので気にしないでいいから』とのこと。写真にはクッキリとした丸が写っていた。そんなことを話しながら、何の説明もなくお腹に冷たいものが入り、吸い取られお尻にもひんやりする感覚があった。なにこれ洗浄かね…?怖くて聞けない。
買い物を済ませて帰宅。鮮血の量が半端なく増え、痛みが消えなくなってきた。冷凍パスタを温め何とか食べ切り、旦那さんや職場にも連絡して床につく。容赦なく痛みが襲ってくるが、まだ薬は飲まないでおく。『流産の場合、いつもの生理痛より酷い痛みが来る』と医者から聞いていたが、いつもの生理痛がやたら酷く(薬を飲んでも効かない時があったり、知らぬうちに寝てるというか気を失っている)今の時点で同じくらいの痛みが来てるけど、これ以上になったら死ぬんじゃないかという恐怖しかない中でのたうち回っていた。いつしかそのまま寝てしまったようで旦那さんの帰宅で目を覚ます。嘘のように痛みは消えており、大量に発汗していた。トイレにて大量の出血、大きめのコアグラが出た。色は赤黒い。

8/21
安静2日目。昨日と同様、トイレにて出血とコアグラを確認する。量は減ってきているように感じる。下腹部痛はなく両足の付け根辺りがたまに痛む。このまま止血してくれることを願う。まだお腹の中にいるのかわからないけど、もしいるならどうか出来るだけ健やかでいて欲しい。と、ただただ願う。
旦那さんが朝から寂しがる。最近はよく寂しがっている気がしてちょっと心配。私のせいだと思うから出来るだけ心配かけないよう玄関まで見送る。
今回お腹に来てくれた子は、たくさんとは言えないが多少なりとも工夫したり試したことを労うためにやってきたのかもしれない。『そんな感じでいいよ』と教えに来てくれたすごく優しい子なのかなと、トイレの中でふと思ったりしていた。流産になったとしても、私はこの子をお腹から出してあげなければならない。出産も流産も痛さや辛さは同じなのかなぁ。明日は受診、少し怖い。旦那さんとカービィカフェに行けるのかな。お誕生日なのに。本当に申し訳ない…。

8/22
A産婦人科 受診
診察予約時間に受診。強い腹痛と大量出血及びコアグラが出た旨伝え診て頂く。超音波診断では子宮内が綺麗サッパリ何もない状態になっていた。もちろん、あの日見えた丸いものもない。やっぱりあれが赤さんの小さな袋だったんだなぁとしみじみ感じた。『残りの子宮内膜等の組織も自然に出てくるだろう。出血は月末までには治まるのでは。次の生理は来月中旬頃かな?』との見解。採血はしなかった。
念の為、再び妊娠を希望するならいつ頃が良いのか聞いてみた。『手術せず自然に出てくれていますので、出血が治まって次の排卵から可能ですよ』とのことだった。安静解除もされ普通に動いて良い許可がでた。これがヌクモリティか…。
排卵日がわからない、即ち、ふりだしに戻るというループですね。わかります。
でも、自然に出て来てくれて良かった。ホッとした。すごくいい子じゃないか…。こんなんでも、かーちゃんの役目は果たせたのだな。赤さん、お腹に来てくれてありがとう。また来てくれたら嬉しいなぁ。
こうして、あっけなく妊娠が終わってしまった。

あとがき。ぽめの想い。

生まれてはじめて体験する『妊娠』というものに戸惑い振り回される私は、お腹に宿した命の重みを感じ焦っていた。この小さな命は絶対に守らねばならない。気負う私に、現実はどんどん厳しいものを突きつけてくる。その不安や苛立ち、悲しみつらみを言葉にするのはどうにも難しい。でも私の性格上、隠すことや取り繕うことは出来ず全て顔や態度に出てしまっていたはず。おそらく旦那さんはそれを間近で見て感じ、私のお腹をポンポン撫でながら『元気かー?』等と声をかけてくれていたが、すごく辛かったに違いない。

ある日、旦那さんと話していた時に『幸せ?』と尋ねられた。言葉を選び、ふりしぼるように話すその姿を見て、私は気付かされた。仕事があって、帰る家があって、私には勿体ないくらいの旦那さんがいてくれる毎日がある。目の前にこんな幸せがあり、毎日それに包まれている。これで幸せじゃないとか、思うわけがないじゃないか。ばかたれ。

感謝や申し訳無い気持ちはどんどん溢れてくるのに言葉に出来ず、ボロボロ泣きながら『当たり前やん』としか言えなかったが、私は旦那さんにたくさん幸せにしてもらっている。逆に、私は旦那さんを幸せにできているのかな。
私達は夫婦なんだ。『やめるときも健やかなるときも』というアレだよ。
どんなことも乗り越えていける。やってやろうじゃないか。と、絶望の淵に立っていたのがすんなりといつものスタイルに戻り、また一歩踏み出そうと思えた。

妊娠はひとりではできない。それはもちろんの事だが、夫婦以外の人達も一緒にこの命を守ってくれていた。赤さんにはたくさんの味方がいた。実際に体験して初めてそんなことに気付けたのはすごく貴重なことだ。

私が今ここにいる、旦那さんが今ここにいる。それもこれもお互いの母親や周りの人達に守られ大切にされたからこそである。
すべての人達に感謝したい。これもまた赤さんのおかげである。
こんなへっぽこな私のお腹にまたやってきてくれて無事に産めたなら、いつかそんな話もできたらなと思い、この記録を残しておきたかった。
短い間で母子手帳もないけれど、私達は確かにとーちゃんとかーちゃんだった。

あとがき。poezの想い。

この部分は原文には無く、あとがきを載せるなら書いてと言われたので書こうと思う。嫁のあとがきで綺麗にまとまっているので、ぼくが書いても蛇足になるのに。

計画的に巻いたあと、LINEで今日は早く帰ってきてと言われ、うまくいったんだと思った。無計画だったときはあっさり生理が来て悲しんでるのを見ているので、本当に良かった。名前をどうするか、どう育てるか、そんな話をしていた。父になるのか。我が父の様になれるのか。そんなことを考えていた。

とにかく前向きで居ようとしていた。今の段階での流産は母体のせいではないことはお互いに理解しているが、それでも嫁の不安を和らげたかった。もとから二人とも隙あらば相手を笑かそうとするので、それは続けていた。
ところがタイミング悪く仕事が厄介な状態になった。嫁が大変だというのに、連日出張が控えている。代われる人が居ないことは分かってるのでどうしようもなく、それもまた腹立たしい。もう忘れてしまったが他にも何か厄介ごとがあった気がする。とにかく不運が続いた。

少し前に岩田さんという本を買い少しずつ読んでいた。その中で岩田社長は社員面談する際に「ハッピーですか?」と聞いていたという。 お客さんも社員も共にハッピーになるというのがHAL研の企業理念にあったそうだ。
「幸せ?」はそこから出てきた言葉だった。我が家は全員が幸せであって欲しい。プロポーズだってそんな感じの内容だ。だと言うのに大事な時に一緒に居られない。不安な時に、心細い時に付き添ってやれない。それで良いんだろうか。本当は居て欲しいんだろうな。そんなことを思っての言葉だった。ぼくが安心するための言葉だったかもしれない。「当たり前やん」と言われ涙が出た。

8/22。結果を聞いて、少しして、嫁を抱きしめて、父を亡くして以来の大泣きをした。綺麗に出てしまったので母体への影響がないことへの安心感、とはいえ二人の子供として産まれることのなかったことへの悲しみ、どんな感情で泣いたのかはよく分からないが、二人で泣いた。
妊娠はひとりではできないが、旦那は嫁のお腹の子に何もしてやれないのがとても歯がゆく感じた。ホイミとかできたらいいのに。

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