【進撃の巨人から見る心】48 嫌味の裏側 ~59話~
アニメタイトル:第59話 壁の向こう側
あらすじ
巨人と壁とその歴史
この信じがたい現実を女王陛下であるヒストリアは民衆に公表しました。
民衆の反応は様々ですが、そのホントの情報を隠さないところが前政権とヒストリア政権の違いです。
この辺りの民衆の混乱を深く描いてほしい気もしましたが、そこはさらっと流しています。
その後、冬にはトロスト区から巨人を掃討されました。
街道を整備し、避難住民は故郷へ帰る事が許されました。
そして最初の 「超大型巨人」 襲来 から6年。調査兵団はウォール・マリア外への壁外調査を開始しました。
ハンジの読みどおりに、巨人は一掃され、ついに調査兵団は海にたどり着いたのです。
あれこれ考えてみよう。
ヒストリアとの会見の合間に生還した兵士たちが語らっています。
ウオールマリア奪還計画を成功させて、とりあえずの安堵感と達成感の面々の中、フロックだけは不満を持っています。
エルヴィン団長ではなく、アルミンを生き返らせた事に納得できないのです。
そのフロックの視点の嫌味が秀逸です。
これは物凄いブーメラン的な秀逸な嫌味です。
「何かを手に入れる為には何かを捨てなくてはならない」これは度々出てくるアルミンの決め台詞です。
しかしそれを逆手にとって、アルミンが生き残ったのは「私情」を捨てられなかったからだと。
しかしの最終判断はリヴァイ兵長によるもので、リヴァイ兵長はエレンやミカサとは違って、むしろエルヴィン団長に私情を抱いていたはず。
それでもリヴァイ兵長はアルミンを選んだのです。
つまりフロックのこの嫌味は論理破綻しています。
しかし、それでも、「なぜエルヴィン団長ではなく僕が選ばれたんだろう?」と自問自答を繰り返すアルミンにとっては大きな衝撃を与える嫌味です。
猪突猛進はエレンの長所であり短所です。それはエレン自身も自覚しています。
シンプルにその一点を、エレンと同じ論法で突く事が最もエレンを追い込む術になっています。
しかし、エレンは進撃の巨人の能力を持ったエレンにしか気づかない事を抱えています。フロックはもちろん、誰にも言えないエレンにしか理解できない真実を。
故に反論もできないエレンをジレンマがひしひしと感じとれます。
エルヴィン団長するかアルミンにするか。のその時。
アルミンを助けたいミカサではありましたが、ハンジの説得でエルヴィン団長が人類には必要であるというハンジの説得で一旦はアルミンの死を受け入れています。
それは事実で。こうしてアルミンが選ばれ生き残れた今となっては、その時の自分の一瞬の諦めを後悔している事でしょう。
そこを「その点ミカサはまだ大人だった。」とう褒め言葉を使った最大の嫌味です。
エルヴィン団長の指揮能力、アルミンとの友情。その狭間に居る大抵の者はは声を出す事はできません。
むしろ、声を出す資格もないと自重するでしょう。そしてその自重こそが賢明だと思います。
しかしそれが卑怯だとフロックはみんなを責めます。
自分もその場ではさして声を出せなかったというのに。
ものごとを決める人の外野では、声を出さない多くの人。後から自分はこう思っていたと主張する一部の人がいます。
ほとんどがその構成で社会はできていますが、両者とも嫌味を言っているだけで、なにもしなかった事に変わりはありません。
その瞬間に発言しない者に力などないのです。
これはフロック自身への嫌味でしょう。
嫌味とは悲哀と裏腹です。
さて。ついに壁内人類は海に出ました。
始めてみる海にはしゃぐ調査兵団の面々。
ただ一人エレンだけが遠くを見ています。
エレンの大きな伏線の言葉でシーズン3は完結です。
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