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大島健夫 モントリオール・国際ポエトリースラムレポート

ポエトリースラムジャパン 2016年優勝の大島健夫さん。2018年4月にカナダ・モントリオールでの詩祭「Richesse des langues」に招聘されました。

カナダの公共放送への出演、インターナショナルタッグマッチという珍しい試合、そしてもちろん各国代表との出会い。地球の裏側、北緯45度の街からのレポートです!

モントリオールへ

 まず、千葉の私の家から羽田空港までリムジンバスで1時間。
 羽田からミネアポリスまで飛んで一旦アメリカ合衆国の入国審査を受け、そこで乗り換えてニューヨークのラガーディア空港へ。ここまでのフライトが15時間半。


 ラガーディアから国境を越えてカナダに入り、モントリオールまでは1時間半ちょっとである。加えて日本との時差が13時間。体内時計ももはや何が何だかわからなくなり、時差ボケというよりもただ単にやたら眠いだけだ。現地時間で4月25日が26日に変る頃、アクビを連発しながらトルドー空港に降り立ち、現地スタッフのサラさんの出迎えを受けた。当たり前だが、こんな夜中に出迎えて頂くことは、当然に受け入れていいような種類のことではない。大きなイベントにはいつも、こうして何かを犠牲にして支えてくれる多くの人の存在がある。


日産ヴェルサ、日本で言うところの日産ノートで登場したサラさんは40代の小柄で知的な女性である。空港からサラさんのアパートメントまでは1時間ほど。日本時間のままにした腕時計を見たら、家を出てからトータル24時間以上が経過していた。


 親切なサラさん宅の一室をあてがわれ、ふかふかのベッドにもぐりこむ。スーツケースを一つ持って、一人で初めての土地に行き、初対面の人の家に泊まる。そんな経験をたびたびするようになったのもポエトリーリーディングをやっているおかげだ。人なつっこいサラさんの犬に話しかけているうちに泥のように眠ってしまった。

国営放送でうなぎ

 明けて26日朝。サラさんに朝食をごちそうになり、今回の「Richesse des langues」の会場となる「Maison de la Culture Maisonneuve」へ。


 消防署をリノベしたものだというこの建物、中はどどーんと広く、1000人くらいは余裕で入りそうである。ここで出迎えてくれたのが2016年、すなわち私が出場した時のパリでのポエトリースラムW杯の優勝者、アメリ。今回、私を直接に招聘してくれたのが彼女である。「Richesse des langues」は昨年に引き続いての開催で、昨年はやはり2016年のポエトリースラムW杯のスペイン代表であったサルヴァなどが招聘されていたらしい。


 パリで見た時はとにかくエネルギッシュで完成度の高いパフォーマンスと豊満な体が印象的だったアメリ、二年経っても相変わらず豊満でエネルギッシュだ。ここで、運営チームのボス格である、サンタクロースのような風貌のジャックスさんと、私同様のインターナショナルゲストの一人で、フィリピン生まれオーストラリア在住の女性詩人、ユーニスに紹介される。ジャックスさんとは前にパリで会っている。まだ20代前半のユーニスは、ポエトリーの他にラジオ番組のパーソナリティやレポーターなどもしているのだが、母親には今でもまだ、「あなたは将来ドクターになるのよ」と言われているらしい。ジャックスおじさんはポエトリーに関わるようになる前はボクシング業界におり、長年プロモーターをしていたという。アメリはアメリで、もともとはニューヨークで演技の勉強をしており、今でも脚本を書いているそうだ。人に歴史ありである。


 などという話をしながらわいわい昼飯を食べていると、いつも冷静なサラさんが「もう時間よ、あなたたちそろそろ行きなさい」と我々を促す。我々がイベントに出演するのは翌日からであるが、実はこの日は重要なミッションがあるのだ。「CBC Radio-Canada」の生放送への出演である。


 CBCというのは何かと言うと、カナダの公共放送たる国営企業「カナダ放送協会」のことなのだ。アメリに連れられてユーニスとともにCBCモントリオール放送局に到着すると、スケール感が狂っているような巨大な社屋に驚く。ここで、アメリは明日からのイベントの説明と宣伝をし、私とユーニスは45秒ずつ、私は日本語で、ユーニスはタガログ語で朗読をするという算段なのである。


モントリオールはケベック州であるから、言語はフランス語である。アメリ以下現地スタッフも、我々と話す時は英語に切り替えてくれるが、普段の会話は全てフランス語だ。当然番組もフランス語である。ブースの中で、アメリが手振りを交えて饒舌に語っているが、私とユーニスには一言もわからない。そのうちにキューが出て、私、ユーニスの順で朗読する。カナダの国営放送で流れる日本語とタガログ語の詩であった。私は『うなぎ』という詩を読んだ。詩のテーマは何か訊かれたので、「LifeとLoveとFreedomだ」と答えておいた。

国際スラムタッグリーグ戦

明けて27日はいよいよポエトリースラムだ。
早起きしてモントリオールの美しい街並みを散歩する。空が広い。街中には野生のリスがたくさんいて、その写真を撮っているだけでなんとなく満ち足りた気持ちになってしまうが、ほどほどでMaison de la Culture Maisonneuveに出勤し、やはりどこかをうろうろしていた他の連中とともにジャックスおじさんのブリーフィングを受ける。一人だけ乗り継ぎのワシントンDCで入国審査に引っかかって送れていたチェコのポエトリースラマー・アナトールも無事到着し、役者も揃った。こちらもまだ20代、全身タトゥーだらけの背の高い彼は独特のマシンガントークが特徴のオープンでフレンドリーな人物で、すぐ仲良くなった。


このRichesse des languesのポエトリースラムは、ちょっと珍しい形式である。インターナショナルタッグリーグ戦なのだ。
すなわち、各国から招聘された詩人と地元詩人が組んで白、赤、黒、青の四チームのタッグチームを結成し、先鋒と次鋒を決めて、先鋒、次鋒それぞれで総当たりリーグ戦を行うという形式なのである。私のパートナーはジャックスさん65歳その人。43歳の私と合わせて、白チームこと「チーム108歳」でスラムに臨む。これまで複数回ポエトリースラムW杯優勝者を輩出しているケベック、地元詩人のレベルも、もう顔や佇まいを見ただけでわかるくらい、相当高い。クレオール語で朗読するスラマーという、本人曰くたぶん世界に一人しかいないようなのもいる。インターナショナルゲストの方も、私は日本語、ユーニスはタガログ語と英語、アナトールはチェコ語、フランスから来たYUはフランス語とRichesse des langues(言語の豊かさ)の名にふさわしくバラエティに富んでいる。舞台の袖から見ていると、開場から開演まで、ステージのスクリーンには各詩人のインフォメーションが順番に映し出されている。数秒間日の丸が映ったあと私の顔が大映しになり、それからプロフィールが映し出されるというのを何周も見ていると、「世界を征服する」とか「日本凄い」とかいうフレーズが大嫌いな私でも、やっぱり鼻くそをほじくったり屁をこいたりしにくくなってしまう。


ポエトリースラムといえば、パリで開催されるポエトリースラムW杯でのルールに代表されるように、観客から選ばれたジャッジが点数を描いたボードを掲げるのをイメージする方が多いと思う。しかし、Richesse des languesのスラムはそのへんもオリジナルで、勝敗は点数ではなく、一試合終わるごとに紅白歌合戦みたいに観客全員がどちらかのチームの色の紙を掲げるシステムで争われる。それを司会者が「野鳥の会方式」でカウントするのだが、見た目に差がはっきりしない場合は「引き分け」となる。これはなかなかゲーム性が高く、かつスラマーも観客も傷つかない優しさもあるのである。お客さんは年齢層も幅広く、おじいさん、おばあさん、というような人たちも多いのはヨーロッパでのスラムと共通。ただ、その空気にはこれまでどこの都市でも感じたことのない不思議なおおらかさがあり、スラマーたちもみんな気合は入りつつも楽しそうにスラムに入ってゆく。

ユーニス対私のジャッジ風景。この試合は「引き分け」だった。

チーム108歳、最終的に勝利数はトップながら、チェコのアナトール&実家はモントリオールらしくメープルシロップ製造業を営んでいるというステファニーのチームに点数差で敗れて優勝はならなかったが、素直に「いい夜だったな」と思える夜だった。心臓発作を起こしそうなくらい全身全霊でマイクに向かうジャックスさんの姿は感動的なもので、自分の中の「かっこいい老人像」がまた一人ぶん増えた気がした。


終演後にはお客さんが次から次へとやってきては話しかけてくれるのだが、その中にあってベトナム人の若い女性に真剣な表情で言われたことが印象に残る。
「私はこの街で移民や難民にフランス語を教える仕事をしています。あなたの『ハムを買ってください』と『蟹倉庫』の詩は、彼らが直面している状況そのものです。特にハムの詩で、売れないとわかっているハムをそれでも必死で売ろうとするあの姿は、故国を離れた多くのベトナム人の姿を髣髴させます」


一度自分の口から放たれたら、自分の詩は自分のものであって自分のものではないと思っている。自分が予期しなかった解釈や感想を聞けるのは、詩の旅の醍醐味でもある。

アメリの背中

翌28日はスラムではなくライヴショーであった。そのことも書いておきたい。
ショーのオープニングはユーニスの詩『Last Days Of Rain』の輪読であった。ただの輪読ではなく、受け持ちのパートごとに、アナトールならチェコ語、私なら日本語、ユーニスはタガログ語、アメリはフランス語、というふうにそれぞれの言語に翻訳したものを読んでいくのである。


リハも英語とフランス語の指示が飛び交い、立ち位置から歩数、マイクの角度まで細かく決めてゆく。さらにこの日は詩人とミュージシャンのコラボパフォーマンスもあり、ミュージシャンとも「ああしてこうして、こんな感じで」という打ち合わせをしなければならず、皆ドタバタと動き回る。全体の進行を仕切るのはジャックスおじさん。私が空手有段者だと知ってから私のことを「センセイ」と呼び始め、しまいにはバックステージで私をつかまえて「タケオ、おまえは『センセイ』としての役割を果たしてくれ。おまえはこの中で一番年上で、経験があり、何をすればいいかわかっとる。ここにいるみんなをまとめ、ショーを成功に導くのだ」なんて言う。それもこれも他の詩人たち(特にアナトール)がマイペース過ぎて、出順から何からリハではほとんど全員間違いまくりのボロボロでジャックスさんをカリカリさせているせいなのだが、別に私が先生ごっこをしなくても本番ではみんなシャキッとして何もかも全てが一発でバッチリ決まった。さすがだ。


それぞれの詩人たちのミュージシャンとのコラボも、前の日のスラムとは趣が異なる伸びやかなものとなり、最後はアメリとユーニス、それにステファニーの3人の女性詩人によるオリジナルの詩の輪読で締めとなった。私は『うなぎ』『水の上を歩く』『踊れ』の3篇を朗読したが、『踊れ』の人気が高く、音響さんやジャックスさんの奥さんまでがほめてくれた。英訳を作ってくれたヨーナス・エンゲスウィークさんとジョーダン・スミスさん、異常な正確さでバックスクリーンの字幕を回してくれたサラさんの中学生の娘さん、素敵な音を出してくれたミュージシャンの皆さん、みんなに改めて感謝。


カナダ・モントリオールでの「Richesse des langues」の二日間。結局、思い出すのは一人ひとりの人の姿だ。サラさん、ジャックスさん。ユーニス、アナトール、ベルギーのモンスで会って以来3年ぶりの再会だったYU。そしてアメリ。
最後の女性詩人輪読で、ステージに立つアメリの背中は迫力に満ちていた。
巨大な広背筋。塊感に溢れた臀部。引き締まった脹脛。明らかに鍛えに鍛えた形跡があった。確かに腹は出ているが、その雰囲気は女子格闘技の重量級選手のようなそれだった。もしかするとやったことがあるのかもしれない、と思った。そしてそんなことより何より、その背中には「詩」があった。ほとんど何も知らない彼女のこれまでの人生に敬意を覚えるような「詩」が。大切だけれども言葉してしまうと薄っぺらくなる様々なことを、その背中は静かに語っていた。


ショーの後、すぐさま日本に帰って「谷川俊太郎トリビュートLIVE 俊読」に出演しなければならなかった私は、会場の外でみんなと別れた。
 「また世界のどこかでね」
 ハグしながら、数えきれないほどその言葉を言い、そして聞いた。やはり夜中だというのに、またサラさんが空港まで日産ヴェルサで送ってくれた。
 「タケオ、この街が好き?」と彼女は訊ねた。
 「とても好きだよ」と私は言った。

(大島健夫)


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