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最強のスポークン・ワード・デュオ! サラ・ケイ&フィル・ケイ インタビュー

3月に来日したアメリカのスポークンワード詩人、サラ・ケイ&フィル・ケイ。ポエトリースラムジャパンではこのふたりにインタビューを敢行。インタビュアーはマエキ クリコさんです。世界のポエトリーリーディングの最前線を、たっぷりと感じてみてください!

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詩を愛する皆さんは、最強のスポークン・ワード・デュオとも言われるSarah KayとPhil Kayeをご存知だろうか?

もしかして、名スピーチの動画配信で有名なTEDか、その一部を日本で紹介しているEテレの放送で、「もし私に娘がいたら…」で始まる代表作「B」を茶目っ気たっぷりにパフォーマンスするサラの姿を目にされた方もいるかもしれない。2011年当時22歳だったサラ・ケイは、このパフォーマンスによって瞬く間に、スポークン・ワード・ポエトリーの代名詞的存在となった。

彼女と共に詩の伝道師として世界を渡り歩く相棒フィル・ケイも、共によく知られたスポークンワード詩人である(兄弟でも夫婦でも恋人でもないことは、ライブのたびに強調されているが)。

二人は苗字の発音が同じばかりではなく、日系の母親とユダヤ系の父親の間に生まれたアメリカ人であり、スポークン・ワード・ポエトリーをこよなく愛し体現するという共通点を持つ(他にも溢れんばかりの不思議な共通点があり、それをネタにした詩もウケている)。二人はこれまでも、『ヒロシマ』『Teeth』など日本を題材にした作品を幾つも発表してきたが、詩のライブのために来日したのは意外にも今回が初めてである。

 2018年3月16日、二人は下北沢のGood Heavens! にて、満員の聴衆達に熱く迎えられた。テンポの良さが絶妙なこの二人ならではの生パフォーマンスを目にし、日本でも新たなファンが増えたに違いない。

さて、ポエトリースラムジャパンとしても、彼らが日本に滞在しているこの好機逸すべからず、とインタビューを敢行した。この二人をすでに知っているあなたも知らないあなたも、このインタビューを読んだら、きっと二人のライブや動画をもっと観たくなる! そして、スポークン・ワード・ポエトリーの魅力を感じて頂けるのでは、と思う。それでは、瞳をキラキラさせて熱く語る二人を想像しながら、読んで頂きたい。

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ポエトリースラムジャパン (以下、PSJ):こんにちは、サラ・ケイさんとフィリップ・ケイさん、日本に来てくださって、とても嬉しいです! まずはスポークン・ワード・ポエトリーが、一般的に知られている普通の詩とどう違うのか、教えてください。

フィル:スポークン・ワード・ポエトリーの詩は、パフォーマンスされることを意図された詩です。それは、耳を通して聞かれ、口を通して語られ、ステージの上で見届けられるためのものなんです。紙に書かれることもあるけど、スポークン・ワード・ポエトリーのパフォーマンスっていうのは、声に出して詩を表現しようとする詩人を目撃するためにあると思いますね。

サラ:私が皆さんにお伝えしたいのは、スポークン・ワード・ポエトリーとは、紙切れの上にただ載っかっていることを拒む詩だ、ということです。生で人の目に見届けられるべき何か、がその詩にはあるんです。

これまでで一番感動したスポークン・ワード・ポエトリーの例は、詩のパフォーマンスを見ている観客がこう感じてくれたことですね。「これは、絶対に生で観なくっちゃ! この詩の意味を完全に理解するには、この場にいるしかない。これを文字に起こした詩を読んだって、きっと何かが足りない。だって、この詩が本当に生きている場所は、ここしかないんだから。」

PSJ:それは、最高の定義ですね。ありがとうございました! では、そのスポークン・ワード・ポエトリーの何が、お二人をそんなに夢中にさせるのでしょうか?

フィル:僕は観客と同じ空間にいることが好きですが、紙に詩を書いて世に出すことにもワクワクします。それは、僕達が二人ともやっていることです。でも、その場にいることができて、会場の反応をすぐに感じられること、聴衆の反応やその日の気分次第で詩のパフォーマンスのやり方を変えていくこと、それは本当にやりがいがあるし、本当にエキサイティングですね。

サラ:そう、書き手として自分の作品の良き伝え手になることは、とても重要だと思います。書き手にとって生の聴衆がいるということは、ある意味、素晴らしい編集ツールだと思うんです。

例えば、私が何かを書いている時点で、自分ではそれがいい出来だとか、面白いだとか、パンチがあるフレーズが書けたとか思うかもしれない。だけど、それを満場の観客の前で口にする時に、聴衆の反応や様子で、実際に何がうまくいって、何がうまくいっていないのか、いろんな具合でわかります。だから(ライブ朗読は)何を変えるべきか、どこを動かすべきか、何がうまくいっていて、どこがダメなのかを知るために、とても参考になる編集ツールなんです。

フィル:自分が書いたものを、会場いっぱいの観客と分かち合えることは、また別のレベルでエキサイティングです。「生きてる!」って実感できますから。僕達は二人とも、それが大好きなんですよ。
 
サラ:それにスポークン・ワード・ポエトリーは、詩を新鮮に保ってくれます。多種多様なタイプの観客の前でパフォーマンスをするわけですから。幼稚園児でいっぱいの部屋と、バーでやるのは全然違うし、研究会でやるのも、全然違います。

そうやって、いろんな観客の前に立つことは、アーティストである自分にとって、詩を新鮮に感じ続けさせてくれます。そうすることで、ある人々にとって別の意味を持つ、詩の新しい部分を発見できるんです。それって、自分の作品を再発見できる、素敵な方法ですしね。

PSJ:ありがとうございます。それでは、自分の詩やステージでの朗読を通して伝えたいものは何ですか?

サラ:何を伝えたいか……そうですね、それぞれの詩はそれぞれ違った役割を果たすものなんです。例えば、ある詩はオモシロ詩で、軽みやユーモアや喜びの瞬間を運んでくれる。ある詩はカラクリ詩で、観客が驚いたり、息を呑んだりする。そういった仕掛けを考えるのは、愉快ですね。ある種の詩は告白スタイルだったり、とても個人的なことをシェアする詩だったりします。ある詩は物語スタイルで、旅のお供に聴き手を連れていきます。

だから詩のスタイルによって様々な役割を果たすし、会場が変わればまた違った働きをするんです。そんなわけで、総合的に私達の詩が何を伝えるのか、ということを一言で言うのは難しいですけど、パフォーマンスをする時、お手玉のようにいろんな要素を扱いながら、聴き手と戯れたり、技を試したりしている感じですね。

PSJ:ありがとうございます。フィルさんはどうですか?

フィル:僕が望んでいるのは、僕達のパフォーマンスを観る時に、聴き手が自分の生活の中で感じているのと同じように、ありとあらゆる感情をありありと味わってくれることですね。笑いや悲しみの瞬間を通して振り返った時に、「たった1時間、あるいは1時間半で、なんて多くの感情のスイッチが自分の中で押されたんだろう!」そう思ってもらえれば、僕はとっても満足です。

PSJ:どうもありがとうございます。では、お二人が設立されたProject Voiceとはどういうものなのか教えてください。

サラ:Project Voiceは、スポークン・ワード・ポエトリーを教育の場で活かすための組織です。特に学校や教室やコミュニティで、人々を楽しませ、教育し、インスピレーションを与えるための手段です。それで、私達のような詩人の講師達がチームになって、学校から学校へと廻り、ライブパフォーマンスをしたり、ワークショップでいろんな年齢の生徒達に教えるんです。スポークン・ワード・ポエトリーとは何か、どんな詩ができるのか、どうやって作るのか、それを通して何が得られるか、そういったことを伝えています。

PSJ:ありがとうございます。フィルさんはどう説明しますか?

フィル:サラが、ほとんどまとめてくれたよ(笑)。

PSJ:わかりました(笑)。では次は、フィルさんに聞きますね。若い人達が詩を好きになって、自分にしかない表現を見つけ、新しい世界を発見するために、Project Voiceはどうやって彼らをサポートしているのかを聞かせてください。

フィル:個人的には、詩なんて得体知れずだし、自分は下手だし、僕には無理、そう感じながら育ったんです。だから、Project Voiceとしてはまず、詩人の数だけ詩の可能性があるということを、知って欲しいですね。自分と同じような見た目や考え方の人から、考え方が全く違う人まで、幅広くいろんな詩人がいる。そして、それが詩を何度も面白いものにしてくれる、それを生徒達に知ってもらいたいです。そんなひらめきの瞬間が起きて、「これも詩になっちゃうんだ!?」って僕が思える時、Project Voiceがいい仕事をした、と言えると思います。

PSJ:どうもありがとうございました。さて、現在お二人は日本にいて、日本で初ライブをし、そして日本人のハーフでもあるわけですが、自分の内で何かが共鳴するような、そんな気持ちが呼び起こされるようなことがありましたか?

サラ:そうですね、こうして東京で二人の公演ができて、本当にラッキーでした。私達二人とも日本に家族や親戚がいるので、会場にも来てくれた家族がいて、本当に特別な機会となりました。これまで、彼らは私達のパフォーマンスを生で観たことがなかったんです。私達がなにやら詩関連の活動をしていることは知っていても、実際に観たことがなかった家族や親戚に、二人の詩をやっとシェアできたことは、個人的にもすごく特別でした。

それから、これまでとは違った空間の中で詩をシェアしたり、このコミュニティや文化の中で詩が何を意味しているのか、そしてどんな役目を果たすのか、そういったことを知ることが、すごくスペシャルでエキサイティングだった。東京で詩に聞き入る満場のお客さんの様子を見たのはこれが初めてでしたが、皆さんしっかりと耳を傾けてくださり、とても温かかったです。

そして私が思っていたより、騒がしかった(笑)。とても静かな観客だろうという予想に反して、みんな反応が良く、私達と一緒に笑ったりして、ちゃんとそこにいるって感じで、すごく気持ちが良かったです。(聴衆にもいろいろあって)遠くに離れているように感じる聴衆もいれば、叫ぶ聴衆もいれば、すごく活発な聴衆もいる。私達が東京でパフォーマンスを届けた聴衆は、とても温かく、ちゃんとそこにいてくれた、私はそう感じました。

PSJ:そのような感想を聞けて、とても嬉しいです! では、フィルさんは、どうでしたか?

フィル:それは、本当に特別で、すごくスペシャルでした。日本は僕達二人にとって、すごく大切な場所ですからね。僕が育った場所だし、その後も何度も戻ってきた場所でもあるから。やっと日本で初めて、僕がすごく大事にしていることをパフォーマンスできました。

僕の母はこれまでも、日本の親戚全員にたくさんのYouTube動画を見せてきたんですよ(笑)。だけど、実際みんなに生で観てもらう、それは僕にとっても、彼らにとっても本当に特別でした。88歳の祖母は言っていました、「1割くらいしか意味はわからなかったけど、すっごく気に入った」って。

PSJ:もちろん、言葉を理解する必要なんてないですよね。

サラ:そう、私がスポークン・ワード・ポエトリーを好きな理由の1つがそれなんです。例えば、英語がわからない人に、英語の詩が書かれた紙を渡したとしても、その人はその詩を理解できないでしょう。でも、少し英語のわかる人がライブ朗読をする詩人を観るとしたら、詩人は単なる言葉を超えて表情や声色やジェスチャーを通して表現できるし、聴き手はその詩の何らかを理解することができるでしょうから。それは、紙上の文字が伝えられる限られた情報よりも、はるかに大きいと思います。

PSJ:確かにそうですね。さて、お二人とも日本人とユダヤ人のハーフですよね。この組み合わせに限らなくてもいいのですが、2つの異なる背景を持つこと、それが詩人としての自分にどのような影響を与え、助けてくれたかを教えてください。

サラ:私は、物書きであることの大部分は、観察者であることだと思っています。観察して、気が付いて、見たことを記録できる人。必ずしも全ての作家が外部者というわけではないけれど、多くのライターは観察者としての役割を担っていることから、物事の外側にいるように感じているんじゃないかと思います。

2つの異なる国籍と人種のルーツを持ち、2つの異なる歴史に連なる人間であること、それは私の人生の大体の場面において、どんな場所にいようと、そこにいるみんなの外側にいることを意味しました。それが良かったにしろ悪かったにしろ、そのおかげで私はいつも注意深く観察するようになったし、それが私のものの書き方に影響していると思います。

PSJ:なるほど。フィルさんはどうですか?

フィル:日本人とユダヤ人は両方とも、物語をとても大事にする文化を持っているし、長い歴史を持つ文化を持っていると思います。だから、僕は両方の家族の元で、両方の文化や家族に関する物語をたくさん聞いて育ってきました。(このような生い立ちは)物語は1つだけじゃない、ということを僕に教えてくれました。2つの違った家系を持ち、2バージョンが揃った物語をたくさん知っていることは、ライターになるにあたり、すごく役立ったと思います。1つの物事を見る方法がたくさんあると知っていること、それは本当に素晴らしいし、役に立ちますからね。

PSJ:どうもありがとうございました。最後に、若い人に伝えたいことについて聞きたいと思います。若い人が詩に挑戦する際、詩を書いたりパフォーマンスをするために、何をアドバイスしますか?詩に挑戦することを恐れていたり、スポークン・ワード・ポエトリーとは一体何なのかよくわからなくて困っている人がいたとして。

サラ:そうね、私達がよくするアドバイスは、悪い詩を書くのを恐れないこと、でしょうね。大抵の場合、詩を書いてみたけど難し過ぎたとか、できた詩が下手だったとかで、あ〜こりゃひどい、自分なんかダメだ、もう二度とやらない、と諦めてしまう。でも、詩を書くって、そういうものじゃないんです。まぁ、何にしたって、そんなものじゃないですよね。大抵は何かを試してから、それを繰り返せば少しは上達するし、時間が経つにつれて段々と簡単にできるようになります。

もちろん、簡単には思えない日も時々あったりしますが。だけど、何かが大好きで、それに喜びを感じていて、それが自分を豊かにしてくれる、そういうものがあるなら、たとえみっともなくても、簡単にいかなくても、やめるべきではないと思います。もし、できあがった詩が下手だったら?「下手な詩、上等!」って私は言いたい。もひとつ下手な詩を、お書きなさいってね。書いて書いて書いて、書き続ける。そうやって少しずつ、それが筋トレみたいなものだってわかってくるんです。やればやるほど上手くなるし、自分の手が届くものに変わっていきますから。

フィル:あと、フェアであるために言うけど、僕達は今でもしょっちゅう下手な詩を書いてますよ。

PSJ:まさか!

フィル:いや、本当に。僕が詩を最初に書き始めた時は、さっさと上手くなってそのレベルをずっとキープしなきゃと思っていたんだけど、そうはいかなかったから、かなり怖かった。

それから、年を取るにつれ学んだ一番大事なことは、どんなレベルの作家にとってもそれは困難だということ。だから、それでいいんです。コツは書き続けること、そうすれば自分が気にいるものが時々書けるだろうし、それは筋トレを続けてきた報酬としての小さな金のかけらのようなもので、それをこの世の人々にシェアできるんです。

PSJ:そろそろ終わりの時間になってしまいました……日本に来てくださり、忙しいスケジュールの中で時間を作って、質問に答えてくださり、ありがとうございました。また日本に来てくださいね!

フィル:オフコース。モチロン(日本語で)(笑)。

 サラ:アリガトウゴザイマス。

フィル:ジャーネ、バイバイ。

サラ:イェーイ!

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 サラとフィルの魅力は、ステージ上でのパフォーマンスにのみならず、インタビューをしている時にも、常に感じられた。明るくユーモアがあり、真摯に質問に答え、フリンドリーながらプロフェッショナル。お互いのことはあまり語らずも、主語はほとんど「we」と、二人の同志感がしっかり伝わってきた。スポークンワードポエトリーやProject Voiceの話題のみならず、日本に対する思いや、2つの文化的背景を持つ影響について語る二人は、とても新鮮だった。

 このインタビューの内容が、詩の作り手を励まし、聞き手を育て、日本のスポークン・ワード・ポエトリーの土壌をより豊かにする肥料となることを願ってやまない。


(ライター:マエキ クリコ)

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