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誰も整理してこなかったポエトリー史【ふろくnote】④ ミゲル・ピニェロとニューヨリカン・ポエツ・カフェ

ミゲル・ピニェロ、破天荒すぎる才能

70〜80年代のNYで、ひときわ鮮烈な光を放った詩人がいます。それがミゲル・ピニェロ。愛称"マイキー"とも呼ばれる彼は、刑務所とシャバを往復する人生を送りながら詩人、劇作家、俳優として名を馳せました。

プエルトリコで生まれ、4歳でNYのロウアー・イースト・サイドに移り住んだピニェロは貧困のなかで育ちます。11歳のときに窃盗で前科がついて以降、窃盗や強盗をはたらいては少年院や刑務所に送られるのを繰り返す生活。しかも麻薬常習者でした。

そんな彼が20代のとき、刑務所内で書いた詩がコンテストで入賞。さらに刑務所内を舞台にした戯曲『ショート・アイズ』で一躍有名になります。

1973年、27歳のピニェロは大学教授で作家・詩人でもあるミゲル・アルガリンらとともに、NYのイースト・ヴィレッジにあったアルガリンのアパートに 「ニューヨリカン・ポエッツ・カフェ」を開きました。

1977年『ショート・アイズ』が映画化されピニェロも囚人役で出演。しかし撮影中に過去の事件で逮捕されるなんてことも。また、この頃からピニェロは映画やテレビドラマに出演、脚本も手がけました。中でも『特捜刑事マイアミ・バイス』で演じた麻薬王の役は有名です。またこのドラマでは彼が脚本を担当した回もあり、それが2006年の映画版『マイアミ・バイス』の原形となりました。

しかしピニェロはその後もアルコールやドラッグを手放せず、1988年に41歳の若さで亡くなったのでした。

短くも駆け抜けたピニェロの人生については「MIDNIGHT POETS 誰も整理してこなかったポエトリー史」第3回をぜひチェック!

音楽も必聴!映画『ピニェロ』

彼の生涯を描いた映画『ピニェロ』(レオン・イチャソ監督)が2001年に公開され、現在も観ることができます。主演のピニェロ役はベンジャミン・ブラット。もちろんリーディングのシーンもあるので、本人の映像と比べるのも面白いかもしれません。

この映画は、ぜひ音楽もじっくり味わってください。音楽を担当したのはキップ・ハンラハン。ラテンからジャズ、ロック、アフロキューバンまで様々なジャンルを取り入れた前衛サウンドで知られ、プロデューサーとしても活躍するマエストロです。

実はキップ・ハンラハンは、別の詩人ともコラボしています。彼がプロデュースするConjure(コンジュア)というプロジェクト。このアンサンブルに、詩人イシュマエル・リードがポエトリーリーディングで参加しているんです。こちらもかっこいいですよ! イシュマエル・リードは60年代から活躍するアフロ・アメリカンの詩人、小説家、劇作家。「誰も整理してこなかったポエトリー史」の第2回放送でも名前が挙がっています。

スラムの殿堂、ニューヨリカン・ポエツ・カフェ

さてピニェロたちが拠点にした「ニューヨリカン・ポエッツ・カフェ」ですが、1980年頃にはロウアー・イーストサイドに移転し、詩人たちが集まる場所として注目を集めます。さらに80年代後半から90年代にかけて、ポエトリースラムによって一層有名になりました。

ポエトリースラムとは詩の朗読で競い合う大会のこと。1984年11月、シカゴのGet Me High Loungeで詩人マーク・スミスによって始められました。やがてそれがアメリカ中に広まっていきます。ニューヨリカン・ポエツ・カフェでは1988年、ボブ・ホルマンによって最初のスラム大会が開催されました。以降、ニューヨリカン・ポエツ・カフェはポエトリースラムの殿堂となり、今も世界中から詩人が集まっています。

NYポエトリー・リーディングを牽引した詩人、ボブ・ホルマン氏と村田の出会いについては、第4回放送でじっくり語っているのでぜひ聴いてくださいね!


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