「西村佳哲」について

「自分の仕事をつくる」

まるで人生のバイブルのような本

自分であること
生きて行くこと
働くこと
追及したいこと

表現すること
形にすること

そこに込められた
自分というのか
思想というのか

そういうもの

毎日の積み重ね
日々の集積
信念とでもいいのか
そういうものがあらわす
それは哲学とでもいえばいいのか

力を尽くすのがまず先ではなく
自分でいることがすべての始まり
自分が 自発的に踏み出す一歩には
未来の全ての手がかりがある

その手がかりを道しるべとして
今も模索している人たちがいる
そういう人で 私もありたい

「自分の仕事をつくる」


自分を活かすということ
自分を生きるということ

その接点に存在するのは
間違いなく我々の生きる社会というもので
人々は会社を媒介に自分の生き方を表現していく

なんて素敵な考え方だろう
コマーシャルでインスタントな消費、経済、資本主義と逆行するような
ロックの趣さえも感じるような
勇気と励ましの書

自分は自分にしか生きて行くことができない

自分の道をゆく

まるでワイルドサイド

音楽じゃなくたって
自分は表現できるのだ

その可能性を照らし出してくれたから
当時これを読んだ大学生の私は、そうした働き方をしたいと思ったし、今も、そう思っている

人生をずっと元気づけてくれるようで
ずっと持っていたい宝物のような本


「かかわり方のまなび方: ワークショップとファシリテーションの現場から」


自分が人と関わっていく時に
どのような感覚が頼りになるのか

指針を模索したようなこの本は
人と関わる時の手がかりになると思う

自然とテンションが上がる
人と関わることを やってみようという気になる

仕事について語ってきたこのシリーズで
自分の働き方は、在り方へと視点がずれたように思う

人と関わる時
どこに耳を澄ませるのか
どこを見るのか
何を考えて
何を感じるのか

人と関わるというのは
なんて深くて 豊かなものであるだろう

誰かに何かを教えている時に
語りを聞くときに
何とも言うことの出来ないものに出会うことがある

心の交流とでもいえばいいのか
交歓とでもいえばいいのか
そういうもの

あれは、そういうことだったのかと思う


「自分の仕事を考える3日間 ・I 」


西村氏が独自に語るものが
一変して、インタビューと西村氏の言葉の交互になっている
特に、その傾向が強くなってきている。

驚くのが
西村氏の温度感の高さである。
それまでの作品の熱量が明らかに下がっている感がある。
それは、インタビュアーの人たちが質が悪いのではなく
単純に西村氏の言葉の純度の高さによる。

読んでいると不思議と体温が上がる。
もちろんそれは比喩で。
つまりテンションが上がる。
心の温度がじわじわと上がってくる

前作からのアンサーのような記述があるのは
ひとえに
西村氏が一貫して自身のテーマを追いかけているからだろう

それぞれに生き方がある
考え方があって
働き方がある

ただの仕事観として切り取るのではなくて
人生観も踏まえて捉えている点で
とても考える。

全て、考えたぶんだけ、自分に帰ってくる
では、自分はどうしたいのだろう、と。

若いときに陥りがちな思考回路だけれど
あの時間は、消して無駄ではなかったのだと、
今ならわかる。


「みんな、どんなふうに働いて生きてゆくの?」


働き方と生き方を模索する人たちの哲学と人生から
何が見えるだろう

結局残るものは
自身が触れて 悩んでも向き合って
そうして残ったものだけなのだ

表面的な知識は簡単に剥がれ落ちていく
それがいけないということではなくて

最後まで残ったものしか
結局は身にならないということ

生き方という幹とは
年輪のように生き様を表す鏡だ

取り繕うことはできても
偽ることはできない

自分自身まで欺くことはできない

結局は人は そうやって
自身と向き合空いながら 進んでいる

みんなきっと 同じだ

だからこそ、この本での対話は意味がある
それぞれが悩んだものが、共感できたり
出来なかったり、分かったり、分からなかったりする
そういうもろもろすべての、意味が分かる
誰もがきっと、同じ場所を見ている
自分自身が、生きていける場所を

問いを持っているほど、この本は、投げ返してくれる。
まるで対話だ

読書と言う、対話。


「わたしのはたらき」


わたしのはたらき
それは 「わたしのいきかた」 に聞こえる

ここにいる 「わたし」

ここからあるいていく 「わたし」

あ、何か気になる
こっちに行ってみようか

なんとなく、そう根拠はないけど
なんとなく。

風が吹いたから、雨が止んだから
鳥が泣いたから、誰かが言ったから

なんでもいい

でも、それがきっかけの、そう、なりゆき

成り行きに任せて 足が向かうままに歩いて

そうして辿り着いた 「今」

歩く過程で、私の考えが培われて行った
考え、生き方、つまり、働き方

働き方、という果実

働いた成果よりも
働き方を作った過程が知りたいと思う

そこにある
聞き逃せないものに出会いたい

働き方だけでは
生き方までは測れないかもしれない

でも、働き方って、繋がり方なんだ

生きて行くための、一つの方法なんだ


「いま、地方で生きるということ」


「地方で」とあるけれど。
これは、「どこで生きて行くの?」問いかけだと思った。

震災があって
原子炉の根本的な課題が明らかになった

どの原子炉が臨界を迎えても
日本全国どでこでも影響を受ける可能性があるという事実

安全な場所?
そんなのないよ

そこから話を始めようと。

何処で生きて行こう
それはある人にとっては生まれた場所
ある人にとっては自然のある場所
あるいは一番命にとってよい場所
それとも縁があって好きになった場所

どこでもいいんだ
何処で生きて行こう

そこに根を下ろすように
生きて行くだけで

働くという営みが自然とついてくる
歩みに結果が後からついてくるみたいに

逆になっていく
「ここで」と決めた場所から 与えられるものが仕事

それは「土地」と「自分」とを接点にして関わっていくということ

どんな場所で生きていたい?
どんなふうにしていきたい?

それは あなたの手の中にあるということ

ここででしか生きて行ってはいけないなんて
誰も言ってない

そう。もはや誰にもそれは言えなくなった

だから、あなたの選んだ場所が
なによりも大事

あなたが「ここで」と決めた場所で
どうか、生きて、という願いだ

「地方で」とあるけれど。
これは、「どこで生きて行くの?」問いかけだと思った。

震災があって
原子炉の根本的な課題が明らかになった

どの原子炉が臨界を迎えても
日本全国どでこでも影響を受ける可能性があるという事実

安全な場所?
そんなのないよ

そこから話を始めようと。

何処で生きて行こう
それはある人にとっては生まれた場所
ある人にとっては自然のある場所
あるいは一番命にとってよい場所
それとも縁があって好きになった場所

どこでもいいんだ
何処で生きて行こう

そこに根を下ろすように
生きて行くだけで

働くという営みが自然とついてくる
歩みに結果が後からついてくるみたいに

逆になっていく
「ここで」と決めた場所から 与えられるものが仕事

それは「土地」と「自分」とを接点にして関わっていくということ

どんな場所で生きていたい?
どんなふうにしていきたい?

それは あなたの手の中にあるということ

ここででしか生きて行ってはいけないなんて
誰も言ってない

そう。もはや誰にもそれは言えなくなった

だから、あなたの選んだ場所が
なによりも大事なのだから


「ひとの居場所をつくる: ランドスケープ・デザイナー 田瀬理夫さんの話をつうじて」


たとえば街並み

隣の家
遠くの山
向こう側の川

彼方の海

誰かの畑や
懐かしの田園

こういうものはすべて地続きで

つまりはコーディネートできるもので
ということは 人の手によるということで

要するに
景観とは人の手によって作られるということ

そこは命が育つ場所

どんな場所で生きていていたい?
前作で問いかけたものに
その土地で生きて行くという回答があったと思うけれど

その場所をどんな場所にしていくかは
一人の眼が 一人の手が
何を美しいとして、何に価値を置くかによって
決まってくる

効率と安価だとそれなりのものになるし
経過と手間だとそいうっものができるし

どちらがいいかは、一人一人が決めればいいと思う

生き方と作り方は
似ている


「なんのための仕事?」


印象としては、総集編のようだ

デザインとは何か
はたらくとは何か

生きるとは
豊かさとは

そういうものをすべてひっくるめて
テーブルに並べて、どう思う?

と問いかけるような作品だ

一番得たものは、エフスタイルを知ったこと
その本をその何年後かに買ったこと

ユニット、手作り、DIY
まるでパンクロック、そういうバンド感は
リアルでライブ的でなんだかエモい

そういう温かいものが好きだ
温度が少しでも高い方に手を伸べたい

デザイン
上手さ
上辺だけ

そういうものはなんとなく心の熱を下げてしまう気がする

冷めた関係(人だけでなく物の関係含む)
は、なんとなく寂しい、なんだか豊かさから遠い気がする。

物が多いなって、最近身の回りを見て思った
もっとガンガン減らして、身近にあるものだけを
丁寧に見つめて生きて行けたらどれだけいいだろうって
夢を見るように思う(←掃除しろよ!)

なんだかもう一度新しく始めたくなる

心の窓を開け放って
新しい風を入れたくなる



「一緒に冒険する」


何度でも読みたくなる
大好きな西村氏の待望の―かなり待ちわびた―新刊

内容に関わらず、
その人が新作を出したら無条件で買うような、
そういうものがある

西村氏の本は、
少なくても私にとって、
そういう本

手探りで、自分の感じたものに耳を澄ませて、
心のセンサーとでもいうべき感覚を頼りに
歩いてく人たちの話は

人生って楽しいじゃん!
それって冒険じゃん?

と語りかけてくれるような気がして。

読んでいるだけで勇気が出てきたリ、
何か自分を信じようと思ってみたり、
なんか新しいことをやってみようと思ってみたり、
そういう元気のようなものをくれる。

楽しいだけでなく、
単なるサクセスストーリーというわけでもなく、

本人たちも、
なんとなく目の前のことを頑張っていたら、
辿り着いた今があって、
そこから次の一手を模索していたり、
もがいている人もいて。

そういう楽しくなかったり
辛いものも含めて、やっぱり人生って悪くない

そんなふうに、いいものも悪いものも、誇れるものも、認めたくないものも、
全部まとめてぐるっとまるで囲ってしまうような
おおらかさで振り返った時、
やっぱりこれからどうしようとか、
これまでどうだっただろうかと、
いろいろ考えてきたことも含めて、

そういうものが人生だし
だったら楽しむ方に自分を持って行った方が、
楽しいよね

という感じになる
つまり。冒険しようぜ、ということ。

正解なんて、誰も知らない。
でも、それがいいんじゃない。
それは、君の胸の中にあるよ。
これから歩いていく、一歩先の中に、あるんだよ

――て、言ってもらっている気がする。

何か問題が起こった時に、
それではいけないという話ではなくて
じゃあ、そこから自分はどう動く?
という問いかけで
みんな、放っておけなかったんだ
きっと。
だって、だから、「自分」だったんだから。

そういうのって、あるよねって。






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