「伊坂幸太郎」について

「アイネクライネナハトムジーク」

大好きな作品。
たぶん、人生で好きすぎて止まらない小説のベスト5に入るくらい。

この娘さんの父親がどなかたご存じないなんて、命知らずだなって、思って。

小野さん、そのうちいいことありますよ。

ミッキーマウスの大変さには気づくけど、部下の大変さには気づかない。

でも、俺が嘘ついていないの分かっただろ

どれも好き。
大好き。

音楽って、無限ループみたいに
何度も繰り返して聴きたくなる。

それと同じように
何度も読み返したくなる。

楽しくて、愛しくて
読み終わったら、寂しくて、
また読んで。その繰り返し。

なんだ、伊坂さん、ちゃんと登場人物に心を吹き込めるんじゃん。血を通わせられるんじゃん。
て思った。

――どういうことかというと。
 伊坂さんの登場人物は、どこかドライな、醒めた感じがして、理性的にというか、狙って作られている感じが透けて見えて。だって、小説自体が、伏線の回収自体が、もうね、できすぎているもの。神様が作ったんじゃないか、というくらい。そのできすぎさが、登場人物たちが、自分で動いているというより、伊坂氏に動かされている感じがして、読んでいるこっちまで、この文章を読んで感じているこの心まで、伊坂氏の掌の上なのでは、と警戒をしてしまうのだ。
 
恋愛小説は苦手だと言っていたけれど、こっちの方が全然いいよって、思う。誰も死なないし。悪い奴いないし笑。

登場人物がちゃんと人間味があって、その分、伊坂氏のいつものマジック炸裂(というか、オンパレード?)みたいな感じで。ありとあらゆる手を使って世界を構築した感じがあって、そこもまた堪らなくて。

あぁ、伊坂さん、そうきましたか、と読む。

この小説って、どんな話?
て聞かれたら、ネタバレどころではなく、全編を語ってしまうんじゃないかってくらい、好き。


「アヒルと鴨のコインロッカー」

映画のアヒルと鴨のコインロッカーを見た

最初原作を読んだ時には
ただただ後味が悪くて
あまり好きではなかったし
ふーん、くらいでしか、
思わなかった

それを好き好んで読むなんて
映画のおかげだ

おかげで
ボブディランのベストも買ってしまうし
なんてミーハーな、と思わず自分を笑ってしまう

映画の雰囲気が、
とても飄々としていて
風みたいで
不思議と
爽快だった

そうして読み返すと
いつものことだけど
なんて緻密な、と思う

淡々とした雰囲気が
あまり好きではなかったんだな
と思ったし
淡々としてないと
後味が悪いくらいじゃすまなかったかもしれない
と思ったし
これは、伊坂氏なりの
心の繊細な人が
傷つかないようにした
一つの優しさで、配慮だったのかもしれないと
思ったりする

どうしてか
伊坂氏の小説を読むと
人が好きになる

人間という生き物が
愛しくなってしまう

そしてどうしてか
泣きたくなってしまうのだ

「サブマリン」


サブマリン
それは果たして、
それだけの深い場所へと潜ろうとしてついた名前なのか

色んなことがある
生きていれば
色んな事件がある
外に出れば

誰かが何かに巻き込まれるし
誰かが傷ついたりいなくなったりする

悲しみと後悔と罪と罰と救いが
天秤のように波のように揺れながら
いったいどうすればいいのだろうと途方に暮れてしまう

一つ、私は勘違いをしていたのかもしれない
伊坂氏はものすごく残酷な世界を時として描くけれど

でも、それって、伊坂氏が悪いわけでなくて
(彼は絶対に優しい人だと思う)

社会がそういうものだから、
伊坂氏がそういうものを受け取っているだけでは?
と思った

動物虐待だって人が死ぬのだって
なんか後味の悪い感じとか悪い奴が出てくるのとか
そういう理不尽さって、あるじゃん、生きていれば。

いくらでも。

そういうものに何か救いってないのかな、と思う時

伊坂氏の物語は時に救済のように感じられる

ずるいよなって、いつも思う

死にたい消えたいもう嫌だ辛い逃げたい
そう思っていても、
「この世界って、思ったより悪くないかも」て
最後は泣きながら思っているんだから

「ホワイトラビット」

黒沢が出るということで期待して買ったのだが。

のだが。これは重要だ。

伊坂氏の作品は、映画的で、音楽的だ。

誰誰の新作買った?
みたいな

あれこうだったよね
みたいな

そうきたかって思ったよね
思った思った。あの曲はよかったね

一曲目でしょ

とかそういう会話が、できそうな感じがする。

ようするに、音楽的なのだ。

ギターの音を期待したのにキーボードが前に出てきたか、とか
ボーカルを期待したのにあまり歌わずに演奏がメインだな、
とか、そのさじ加減でいくらでも変わってしまう。

良いか悪いかで言えば、よかった。

だが、思ったのと違う感があって、個人的には残念。

黒沢がボーカルだとして
全然歌わないし、謎のエムシーは入るし、という感じで
これはこれで、リーディングな感じがいいのかもしれないが、そういうんじゃないんだよな、とか思ってしまう。

これなんだけど。これじゃないみたいな。

なんだかんだと文句を言いながら、それでも全部読んだし、結構好きだし。

結局は好き嫌いの話なのだが。

もうさ、技巧とかテクニックとか伏線とか、どうでもいいからさ(よくない!)

普通に書いてほしい。普通に書いたのを、普通に、読みたい。

面白い登場人物がいて、普通に話しているだけで、十分面白いから。

これは、あれだ。
ファーストアルバムみたいな原点回帰を、望んでいる。というやつだな。

だがバンドは変わっていく。(伊坂氏は小説家であって音楽家ではない)

ファンはついて行くしかないか、、、。
みたいな、そういう感想。

「チルドレン」

サブマリンを読んで

また読みたくなった
チルドレン

何度も読んだ
大好きな小説

殺傷能力が少なく
どちらかというとマキロンに近い
半分以上が、優しさで、できていて
残りはユーモアで、できている、そんな小説。

子どもは英語でチャイルドだろ、
でも集団になるとチルドレンだろ、
別物なんだよ

とか、
どこか言葉遊びのような気がしても
「もしかしたらこれは真実かもしれないぞ」と頷いてしまう

しかもそれを語る人物がはちゃめちゃなんだから、笑ってしまう

担当の少年をぶっとばしてしまったり
熊の着ぐるみを着ておやじをぶっとばしてしまったり

「大人がかっこよければ子供はぐれねぇんだよ」

カッコいい大人になりたいな、と思った。

担当の少年に振り回され、陳内に巻き込まれる武藤さんに同情

(武藤だけに、無糖かもしれない)


「世界は失恋した俺のために動くのをやめた」

そうであってほしい。

「甘いかな?」

甘くないよ
甘い世の中って きっと素敵だよ

永瀬さんに言ってあげたい。

どうかどうか
みんなの世界が 甘く 優しくありますように


「陽気なギャングが地球を回す」


音楽でいえばファーストアルバム、である。

初期の頃のドライさが際立っている。
終末のフールや、グラスホッパーの頃の硬質さを感じる。

三作目から振り返って読むと、なるほど、と思う。

まだ四人が揃っただけで、
バンドとして完成はしていなかったのだろう。

各々は楽器を弾けるけど、まだグルーブは生み出せない、みたいな。

そういう未完成完が、かえって、初期の四人の姿を克明に写している。

そうか、ここからこうなるのか。と思う。


丸くなっていた雪子さんが、急に孤独に感じたし
頼れる青年の久遠さんが、どうもまだ幼かったり
駄目街道まっしぐらの郷野さんが、頼もしかったり笑
人間味ある成瀬さんが、完璧すぎる機械みたいだったり

ロジックだけで生きている人たちが、自分たちで生き生きと動き出すのは、ここから先のようだ。


「陽気なギャングの日常と襲撃」

陽気なギャングは三つ数えろを読んで、せっかくだからシリーズをもう一度遡ろうと思った。


バンドが好きだ。
伊坂氏のあれは、重力ピエロだっただろうか
「ビートルズは解散しただろ、ボブディランは解散しないぞ。」

「そりゃ、そうですよ」

というやりとりが好きで。

そのバンドの一人一人が、ソロで楽曲を奏でるような軽快さが、好きだ。

一つ一つの楽器が組み合わさっていって、やがて一つの曲になるような、そういう音楽的な爽快感。

二人の組み合わせも、これはこれで新鮮で面白くて、つまりどのパートもすべて好きだということで。

こうして振り返って見ると、9年の間に、伊坂氏はちゃんと腕を磨いていたんだな、と思う。

比べて、リズムが洗練されている。

なんかもう好きすぎて
エンドレスでリピートするみたいに、シリーズをぐるぐる読み続けてしまいそうで、怖い。


「陽気なギャングは三つ数えろ」


とても面白かった
面白かったし、楽しかった
読み進めるほど、どんどん面白くなってくる

伏線が回収されて驚いて
いつもの四人に安心して

ずっとずっと読んでいたくなる

いつもそう
淡々としているのに、温かい

(もしかしたらきのこはえちゃうかもね)


そして気づいたら、シリーズを一周してしまった。

 音楽で言うところのファーストと比べて、ちゃんとかみ合ってバンドサウンドみたいになっている。

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