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『哀れなるものたち』

『哀れなるものたち』を観た。
いい意味で何を観せられたか混乱した。
ゆっくり考え、かみしめ、アウトプットしたいテーマがあった。
いくつかある中で、普段は考えないポスターについて考えてみたい。

解放の暗示

まず、メインポスターから考えてみる。
彼女の中の穴から白いものがあふれ出ている。その上に載っているそのほかのキャラクターたち。しかも全員男性である。ゴドウィン、マックス、ダンカン、ハリー、そしてアルフィンだ。彼らの共通点は、彼女はこの人たちからの解放した人たちではないか。自らの実験対象の観察のためロンドンの家に閉じ込めるゴドウィンとマックス。知性を得ていく彼女に対し、感情的に彼女を束縛するダンカン。教養を教え、そこから羽ばたくように促したハリー。冷酷に主従関係を脅して閉じ込めるアルフィン。様々な監獄から自分を解き放つ様子を、見事に表している。
唯一ハリーだけは異なる。彼女に現実を教え、もっと知識を得るよう促し、積極的に開放を助けているのはまた別の機会に考察したい。
彼女の中の入り口には、腕を後ろで縛られた裸の女性像が2体いる。服従しかできない女性から彼らを通じて、自我を獲得し自立していく様子が描かれている。

主要3人のベラとの関係

2枚目は、ベラの彼女のインパクトが強いポスターである。
ベラの瞼にマックスとゴドウィン、唇にダンカンがいる。
マックスとゴドウィンは彼女の観察者であることを暗示している。この二人が瞼にいる理由は何か。まっすぐ正面を力強く見ている。ここに彼女の芯の強さを感じる。それを覆う瞼にいる二人は彼女を見守っているようにも読み取れる。目には信頼の意味があり、また、青や紫といった寒色は冷静さも暗示している。感情的に彼女に接しているのではなく、観察対象という1歩引いて接している。(彼女が冒険に出てから彼女の唯一無二さと愛情を実感するという、どこぞの恋人かよ!と思った)

一方で、唇にいるダンカンはでたらめさを表している。彼は彼女を信頼せず、ただただ欲望のままに一緒にいた。情熱の赤のように。思い通りにならないとわかると閉じ込めた。彼女への愛を言葉でなく、安易な行動でしか示せない。考えるの放棄し、幼稚な言葉しか話せないという皮肉もこもっているのだろうか。そして、ゴドウィンとマックスは顔だけに対し、ダンカンが全身がだらんとなっている。ベラに骨抜きにされてしまったようにも見える。

最大テーマである「性」

3枚目はとても不思議なポスターだ。
遠くから見れば女性器のような形だ。フリルがリアルさを増していて、こだわりを感じた。女性器の中に彼女がいることは、本来の彼女の自我はそこにあるものなのか。もしくは、顔があるべきところから小さな彼女がいるということは、大きな枠組みの中のもう一人の彼女の暗示だろうか。はたまた、前の2枚に比べて彼女は上を見ていることから、性からの脱却を求めているようにも感じる。この1枚で相反することを読み取れるこのポスターはとても意味深だ。

大体ポスターってこんなに種類を作るようなものでもないと思うんだけど、
以前映画ポスター制作の講義を受けたことがあって、
映画の一番のメインビジュアルになるものだから、
映画のすべてを詰め込むのにめっちゃ苦労したな
って思い出した。
個人的には、2枚目のポスターのベラの目力に圧倒された。

3年ぶり?ぐらいに書いてみたけど、
アウトプットしたい作品がたくさんあるから、
今度こそ3日坊主にならないように
続けていきたい

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