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助かりたい(追記済み 8月29日)

どうも皆さんこんばんは。絶倫おしょうです。暇です。めっちゃ暇。誰かいきなりケツを出してめちゃめちゃデカくて臭いウンコをしろ。はあ。ツイッターのタイムラインは更新されず、酒は尽き果て、話し相手は誰もいない。ので、ただただ頭の中にあることをつらつらと述べていきたいと思う。正直なところ、実家の裏庭にいるアリをタバコの火種で焼き殺すことに飽きて書き始めたものなのでとても記事と言える内容ではない。書いておいてなんだが時間を浪費させるだけの記事になってしまうので引き返すなら今がチャンスです。実家の裏庭のアリをタバコの火種で焼き殺すことに飽きた残りの皆さんはまあ、読んでみてください。

前置きはこれくらいにしておいて本題に入ろう。そう、今日も昨日も一昨日も毎日言っていることだが、助かりたいのだ。いつどこで何をしていても思うことだ。助かりたい。ずっと叫んでます。助けて。誰も助けてくれんけど。

が。今日の夕方ごろ、いつものようにタイムラインをぼーっと眺めているとフォロワーからの素朴な疑問が目に入った。

「TLでいつも助けて助けて言ってる人たちは何から助かりたいの?」

うーん。確かにその通りだ。僕たちは一体何から助かりたいと思っているんだろうか。漠然と「全てから」といってしまうのが一番正解に近いだろうし、僕自身その答えがしっくりくるのだが、完全に納得できる答えかと言うと、そうでもない。そこでとにかく暇で暇で仕方がない今、具体的な理由を何個か列挙してこの「助かりたい欲求」について考察していきたいと思う。非常に主観的で視野の広さに欠けたものではあるが、どうかお付き合いいただけたら。

①面白い事が無い

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(狩りが面白いキメラアント)

まあ、「助かりたい欲求」を抱えた人の8割方の感情の根本にあるものはこれだろう。というか、僕自身そうである。も~~~~~~~う毎日つまらん。飽きた。特にこの頃はその傾向が強い。ただでさえ面白いことが欠乏した僕のお人生(おじんせい)からチンポコウイルスのせいでさらにつまらないものになっている。物申し系アルファ風俗嬢(フォロー数250、フォロワー3000弱。いずれポエム本を出したいと思っている)がする物申しツイートよりもつまらない。馬鹿が。うるさい。キモ・DMを晒しては文句を垂れ流すのをやめろ。訳の分からない愚痴ばかり並べていないで早くツイッターをやめてしまえ。性病にかかれ。

とはいえ、僕の日常が他人と比べるとひと際つまらないものかと言うと恐らくそうではない。確かに刺激に満ちた素晴らしい人生と言えるか、と言うところで見るともう目も当てられない具合ではあろうが、何も僕の人生は完全に面白みに欠けているというわけではないはずだ。正直客観的に見て人並みかそれよりも少し下くらいだと思う。僕以外の人も大体そうなのだろう。大体人間の幼虫になったばかりの大学生が自称する「底辺」なんてたかが知れているものである。それは少なくとも生活拠点と金を一文残らずなくしてから言えることだろう、多分。

ではここまで人生をつまらなくさせている根本的なものは何だろう。テンプレートな答えになってしまうが僕は「感性」だと思う。死んでいるのだ。感性が。心がインポなのである。どこが死んでいるかと言うと、何をしていても楽しめない。何も楽しくない。ツイッターをしていてもオナニーをしていても買い物をしたり、自分の好きな趣味に時間を費やしていても。もちろん楽しいと感じない瞬間が一秒もないかと言うとそうではないが、あまりに短すぎる。せいぜい余韻はもって数時間である。

この記事を読んでくれている心インポの同志諸君の中には「そんなの当たり前じゃん」と思う方々もたくさんいらっしゃるだろう。が、ところがどっこい、別段当たり前ではない人も多数いるらしい。というか自分の周りを見回してみれば気付けるはずだ。人生がつらくて今にも投げ出してしまいそうな人たちは大多数だろうか。否、そうではない。もし日々面白い事がないと感じる人が大多数であるのならこのような話題はもう少しポピュラーでカジュアルに話されるもののはずだ。したがって自分の人生や日々の生活に対して適度な刺激と面白みを感じられる人たちのほうがどちらかと言うと多数派だろう。

ではそのような優れた(?)感性を手に入れるにはどうすればいいかというと、僕が考えるに方法は何もない。残念だが本当に何もないのだ。だって無理でしょ。感性だもん。インポだもん。一朝一夕に変わるものではない。想像してみてほしい。今これを読んでいるあなたが明日からいきなりWANIMA(WANIMAでなくとも普段の自分から縁遠いアーティストなら何でもいいです)の歌詞にすこぶる共感できるようになるだろうか。答えはもちろんNOだ。WANIMAは基本的に悪魔のような笑顔で、NAVERまとめに小分けにして掲載されていそうなペラペラの正論を誰彼構わずに投げつけてくる、そういう連中だ。

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簡単に共感できるわけがない。インポも絶対に治らない。まとめると、感性というものはそう簡単に変えられるものではないのだ。

②そもそも何もしていない

何もしていない

僕はこちらの方にも当てはまる。仕事や学業などの、やらなければならないことはおろか、趣味や自分の好きな活動に至るまで、ほとんど行動と言えるものを起こしていない。いまだに信じがたいことではあるのだが。何も行動をしていないが故に自分の側に流入してくる刺激や経験が一切ない。我ながらそんなことで文句を垂れるな、とも言いたくなる。これも前項で述べた心インポに起因するものなのだろうか。自分の中に入ってくる情報のいずれにも面白みを感じることが出来ない。いかなる目標意識を持つこともできず、ただ日々をやり過ごすように、のらりくらりと生きて行くだけの屍と化してしまう。

ただ、この絶望的な行動力の欠如は、感性の乏しさにも原因はあるのだろうけど、僕はそれ以外にも要因があると思っている。それは、「何かにのめりこむ才能がないこと」だ。

何かにのめりこむというのは一種の才能であり、強烈な自我の一部である。好きな事でもそうでなくてもだ。僕の身近な例を挙げると音楽がまさにそうだろう。僕は音楽が好きだ。とりわけバンド音楽が好きで、時々youtubeやらsound cloudやらにある日本のバンドを漁っては聴くなどしている。が、全然詳しくないのだ。自分なりに色々と様々な音楽を聴いているつもりだが、同じジャンルに興味がある人と話をすることがあると、常々感じる。マジで浅い。知識や曲そのものに至るまで、とにかく浅い。それも広く浅く、とかではない。浅く、狭いのだ。二重苦である。何故こうも好きなものであっても知識が浅いのかというと、物事に対する満足度の沸点が低いのだ。普通の人であれば「もっと、もっと」となるところを僕は「まあこれくらいでいいや」と満足してしまうのである。

捉えようによってはコスパのいい脳みそなのかもしれないが、これはもちろん他の事象にも適用される。いわゆる向上心と言うやつである。満足度の沸点が低い人間は、向上心も同様に持ちえない。仕事や学業においての差結果のクオリティ、はたまた趣味に対する知識の有無や上手下手までこだわり、より良くしようと思えないので、何をやっていても「これくらいでいいか」と満足してしまう。

それ故、日々の生活や自分自身の人生について顧みる機会があっても、「まあ、いいか」と言う結論に至ってしまい何も出来ないのである。これも先ほどと同様に改善する手立ては存在しない。なにせ表面的な問題ではなく感情の問題なので、「こう感じろ!」と言われてもどうしようもない。食にこだわりがなく、コンビニメシで十分、と言うやつはわざわざ高級料亭に足を運び、質の高い料理を味わおうとはしないのだ。


とまあ、ざっとこんな感じだろう。ほかにもある程度思いつく原因はあるのだが、これ以上自分自身の不甲斐なさを分析するのにも心が痛くなってきた。インポであっても痛覚は存在するのだ。何かがきっかけで心がカチンカチンに勃起する日が来ることを願ってやまない限りだ。ここまで読んでくれてありがとう。退屈で冗長とした汚い文と悪い意味で抽象的なテーマではあったが、一生懸命に書いてみたつもりだ。なにかしらの感想を寄せてくれたらうれしいです。皆様の心がいつもと変わらず、ギンギンの朝勃ちを迎えていますように。ではでは。

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