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息を止めるピノキオ(報告書)

はじめに

またしても佐野木さんの作品で主演を
演じさて頂きました。
学生時代を含めたら4作品目。
やはり思うところはたくさんあるわけです。
根本の
普遍的なテーマがあって
それは自己犠牲の美しさであったり
相手を想うことであったり
尊いものであることに違いはない。
でも実際生きてると、これ程美しいものは
なかなか目にしないし
美しさだけじゃ人生は構成されていないって
気づくよね、28年も生きてれば。

それでも
佐野木さんはどこまでも人が人を思い
人が人の為に尽くす。
小さな希望やどん底の美しさを
強く夢見てる。
遠くに希望をずっと投げかけている。
そんな寓話のようなお話が
この作品の良さなんだと思います。

ストーリーについて

機械のピノキオは
人間になって
父さんの息子になりたい。

これがスタートでした。
シンプル。
余分なものがないんです。
普段人間て、余分が私みたいなところがあって、個性みたいなところがあるんだけど、
ピノキオにはそういうコルステロールみたいな個性がない。
なので、ピノキオは近くにいる人間を観察し
学び、人間を構成する要素は何か?
人を人足らしめる条件はなにか?
これが最大の関心で
とにかく人間になりたい。
ベムより人間になりたい。
妖怪も機械もお互い苦労してた。

そんで
足立昭先生ならぬ佐野木先生が
脚本上、人の条件としたのは
「誰かのためになにかをすること」

誰かの為に演奏することが、
きっと巡り巡って僕のためになる。
みたいな台詞がありました。
まあこれだけだと機械もできてしまいそうです。人の為に作られた機械だから。

でもこれは
父さんと兄さんという名前の違いではなく
父さんに対する思いと、兄さんに対する思いが違うんじゃないか?

すると結果、僕(ピノキオ)の思いもそれぞれ違うんじゃないか?
これが人を思うということで
それが人間なんじゃないか?
ということです。

そうして人間に近づいていくピノキオは
父さんと兄さんに
人間として
「息子」または「弟」として
認めて貰いたいとなります。

ここが何より人間らしいんじゃないかと
僕は感じていて
自己承認欲求が生まれ
他者に認められないと自己を満足させられない哀れな人間性にも見える。

実に現代的で、SNS的。
なんてこと思いました。
SNSって人間そのものなんだな。
まあ、それはともかく
最終的に「息子」にも「弟」にもなれなかったピノキオは人類全ての平和のために
命を捧げるわけですが

やはりここでも他者の役に立ちたいという
他者を介して得られる自分の価値を信じて
命を捧げる選択をする。

もういいや!
自分が人間と思えればそれでいいや!
とはならないところが不幸でもあり
美しさでもあるから
だからラストは少し泣けてしまう。

あんまりハッピーエンドではないなというのが
僕の感想です。
最後までピノキオは人を憎み、人を嫌い、
同族を貶める、
負の感情を持たずに終わる。
人間になれたようで
人間になりきれなかったようにも感じる。

ハッピーエンドではないけど
美しさを信じた希望の話で、
童話的で
普遍的なストーリーは人の心に残るだろうと
思うし、思いたいし
そう願います。

稽古にて

Bチームのピノキオ役の岡田くんが
冒頭から人間の子供のように無邪気に
ピノキオを演じていて

実際稽古でも演出の佐野木さんから
「加藤のピノキオは機械的すぎる」
「もっと人間味を」 という指摘もありました。

でも僕はそもそも人間が機械を演じるのだから、普通に演じたら人間に見えてしまう。
だってお客様は人間だと知って観に来てるし
僕が機械な訳ないし
どうやっても僅かに人間味は出てしまうんだから、最初はちゃんと機械でやりたいと思って稽古中に意見を交わしたりもしました。

ロボットダンスみたいなことはできないし
作品性にもそれは合わない。
機械が人間になる物語だから、
機械をベースにピノキオを作っていきたい!
そうすれば後半は肩の力を抜いていけば
自然と人間になるはずだ!
とそんなふわっとした確信でした。

脚本の台詞も
かなり言葉が強い。
メッセージ性も繰り返されるから
それはお客様に伝わる。
だから、この演劇でぼくが見せたかったのは、
機械が人間になるという過程。
それを機械であることを主軸に作っていくことで
逆説的に人間とは?
みたいな問いになればいいなあと思って。

本番にて

一番苦労したのは鉄琴の演奏でした。
そもそも音楽的教養が皆無な僕にとって
舞台上で演奏するというのは
一大事でして。

C?D?
なんでドレミじゃないの?
上の段のやつなに?

楽譜は?あっても読めないけど!
みたいな感じで、鉄琴には迷惑を掛けました。
覚え方としては
「C!C!上!下!上!下!D!」
とかブツブツ言いながら
ファミコンの裏技入力みたいなノリで覚えてたのに、

稽古で弾けるようになって
いざ劇場に入ったら照明で
CとD、EとFの判別がつかない問題が発生して最後まで鉄琴の演奏は爆裂に緊張した。

演奏失敗したら終わりだから。台無しだもん。
機械だし間違えないから。
そのように作られたって説明されてる!
きっと信長の前で鳴くホトトギスは
こんな気持ちだったに違いない。
鳴かぬなら殺してしまえと言うけれど、
鳴き声汚くても殺されるんちゃうの?
って。

終わってみれば
無事に全ステージ失敗することなく終えられて良かったです。

おわり

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