体験 Experience

    不思議だ。

    特に何かをしているわけでもないのに女にモテまくる。朝、学校に行くまでにほとんど全員の女性が僕に「オハヨウ」と声をかけて来る。下駄箱を開けると、可愛く小さく折りたたまれた手紙が入っている。僕は、それらのものを、すべて読まずに棄てる。はじめのうちは、物珍しさが勝って、一枚一枚をそれなりに目を通していたのだけど、その中に一枚、剃刀の入れられた手紙が混じっていて(おそらく、男からのものだと思われる)それで馬鹿らしくなって読むのをやめた。しかし、棄てても棄てても次の日には下駄箱は手紙で一杯になる。たびたび上履きも盗まれる(これは男の仕業か女の仕業か判然としない)。   
    他にも、誕生日になると自宅・学校問わずに花や贈り物が届けられる。お祝いの電話で回線がパンクしたこともある。ヴァレンタインデーなど、山というチョコが届けられる。仕方がないのですべて焼却炉に放り込んだら、溶け出して、炉をひとつ使い物にならなくさせてしまった。
    不思議だが、女性は僕に興味があるらしい。だけど、彼女たちに悪いんだけど、僕が今、興味があるのは勉強と陸上だ。僕は純粋に学びたいのだし、何秒タイムを縮められるか、己の限界に挑戦したいのだ。だから残念ながら、女の子たちにかまっている暇なんてない。彼女たちには悪いんだけど。

「タカギはいいよな、女にモテモテでさ」

    ある日の放課後、一緒に掃除当番に当たっていたカワムラが僕に言った。     カワムラは、こういっては悪いけど、いいところがまったくない。背は低く、肥満体で、顔中ニキビだらけだ。勉強はあまり出来る方ではないし、性格も暗く、常に人に嫉妬しているようなところがある。正直、僕に剃刀を送ったのは彼ではないかと睨んでいる。
「女にモテたって、何もいいことはないよ」
    僕は答えた。「なんなら代わってほしいくらいだよ」
    これは偽らざる本音だ。すると、カワムラは何が彼の逆鱗に触れたのか、顔を真っ赤にさせて怒りだした。
「お前は、女にモテない奴の気持ちがわからないからそんなことが言えるんだッ!」
「・・うん、わからないよ。今までモテなかったことがないんだからね」
    本当に、うんざりとした口調で僕は答えた。
    するとカワムラは、顔を真っ赤にさせたまま、身を激しく震わせはじめた。そして、ボロボロと大粒の涙を流し始めた。
    彼は、
「チクショウ! お前なんか、天罰が下ればいいんだッ!」
    と叫ぶと、スゴイ勢いで教室から飛び出していった。掃除を途中で放っておいて。
    しかし天罰なんて・・。
    なんて古い発想なんだ、って僕は思ったよ。
    その時は。
    だけど、この時のカワムラのその言葉はどうやら神様とやらに届いたらしい。


   次の朝、僕は目覚めるとカワムラになっていた。
    見知らぬ部屋で目覚めて、近くにあった鏡で見てみたら、僕はカワムラだったんだ。びっくりした。しばらく戸惑ったけれど、しかしカワムラの母親に急かされて僕は混乱したまま家を追い出された。無論、学校に行かなければならないからだ。学校へ行く途中、クラスの女の子に何人か逢ったけれど、誰からも声をかけられなかった。それはすごくいい気分だった。授業も爽快だった。いつもは色目をつかってくる女性教師も(三〇代前半で、独身だ)、まったくもってノーリアクション。お陰で集中して勉強が出来た。
    コロン、と音がしたので見てみてみると、隣りの女子が消しゴムを落としていた。僕の足許に転がってきたので、それを拾ってあげる。と、消しゴムをつまみ上げて、その女子の顔を見ると、彼女は明らかに不快そうな表情を浮かべていた。受け取ると礼も言わずに、その消しゴムを必死で擦り始めた。まるで、僕、いや、カワムラの触ったところをこそぎ落としているかのように。
   ところで僕(の肉体)はどうしたのだろう? もし僕とカワムラが入れ替わったのなら、僕の肉体には今、カワムラの意識が入っているはずだ。
    ふと、窓の外から校庭を見た。
    すると、校門の向こうから、数人の女の子を周りにはべらせて、僕の肉体が入ってくるのが見えた。肩を抱いたり、お尻を触ったりしている。すこしムカッとした。なんだか、自分のものを盗られたような気分。
    不思議だ。
    今までに、こんな感情はなかったのに。それをマジマジと見ていた僕に、例の女性教師がヒステリックな声で「カワムラぁ! なに窓の外見てんだァ!」と怒声を上げた。遅れて教室に入ってきた僕(の肉体)には、「どうしたの? タカギくん。体調でも崩したの?」と優しく訊いたけれど・・。

    それからも僕(=カワムラの肉体)は悲惨だった。階段の下に立つと、女の子たちはスカートをサッと押さえる。僕が転んで鼻血を出しても(カラムラの足の短さに馴れていないからだ)、誰も心配してくれないばかりか、「床が汚れたから掃除しておきなさいよ」と云われる。昼食のときは、食欲がなくなるから壁に机向けて食べてよと言われる(僕の肉体は、女子たちの人垣に隠れて姿が見えないほどだった)。なんとか、僕の体に入り込んだカワムラとアクセスをとりたいのだが、それも取り巻きの女どもに阻止された。
    学校が終わってからも悲惨で、電車に乗ると、女の子たちが僕のほうを見てクスクス笑っていたり、ヒソヒソ話していたり、そちらをチラッと見ると、世にも不快な顔をされる。コンビニでも、店員の態度がどこか冷たい。お金を支払うとき、僕の手が相手の手に触れたとき、「ギャッ」と云う声を上げられた。そういえば、カワムラの家の帰り道がわからないので、近くの女性(かなり中年に近かったのだが)に声をかけたら、「キャーッ」と叫ばれて、一目散に逃げ出されてしまった。
   そうした、カワムラとしての一日を送り、僕はすっかり参ってしまった。     その夜、僕は泣きながらカワムラにひどいことを言ってしまったことを悔やんだ。
   そうか、カワムラはこんな思いをしながら生きていたのか。それを僕は、僕は・・。
    何も知らず、なんて彼を傷つけていたのだろう。
    悔やんでも悔やみきれない。そして、これから一生カワムラとして生きるのかと思い、深い絶望を抱きながら、僕はいつしか眠りに就いた。

    次の日、僕は目覚めると、また、いつもの僕の肉体に戻っていた。僕は安堵し、歓喜し、そして神に感謝し涙を流した。そして、一刻も早くカワムラに謝らなくては、と学校へと急いだ。彼の人生を、一日とはいえ体験したことにより、僕は、彼との真の友情を得たような気がするのだ。

    そして。

    学校に着いた僕は、カワムラが今朝自殺をしたという報せを聞く。

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