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伊藤くん A to E を観て、ナルシズムについて考えさせられた話 II

この話は[伊藤くん A to E を観て、ナルシズムについて考えさせられた話 I ]の続きです。


伊藤くんは色んな人間の嫌な部分を体現し、自己愛の塊であることを惜しげもなく語れる貴重な存在だと思われます。

だからこそ伊藤くんは脚本家を目指しながらもどこにも投稿せず、だから批判もされず、でも自分は各局のドラマの酷評ブログを書いている、という。そういえばこの行為も自分は何も特にしていない人間がちょっと有名だったり秀でた人を簡単にネット上で批判する行為と同じ。ということは、自分を棚に上げて批判する、という行為自体も自分を守るために自己愛の表れということになるのではないかと(自分で言ってて耳が痛い)。


で取り巻く女子達に関しては…あんまり等身大には思えなかった。まずみんな年齢設定が若い…若すぎて共感できない…かといって本当の20代前半の人達もあれに共感できるのか?というと、あんまりいない気がします。どの人も魅力的ではないし、共感する部分がなかったです。

強いて言うなら、夏帆と同じような目にあった知人がいて(歳を重ねると色んな人間や色んな経験をした人間がいるなと思う) 友達に男関係で裏切られる要素のある人ってなんで友達を許しちゃうんだろう、という疑問が湧きました。多分そうやって許しちゃうようなところが見透かされてるから、舐められるんじゃないのかね?と。まさに知人にも思いましたね…懐かしい。一概に許すな!と言いたいわけじゃないんですが、そんな浅ましいことをして一瞬の優越感に浸りたいような人間って、そもそも魅力を感じなくないか?と言いたいところはある。池田イライザさん、いい味を出しておりました。


木村文乃さんは俳優として好きな方ではありましたが、映画向きな華やかさはないなと思いました。スクリーン向けじゃない…なおかつあんな勝ち組なできる女風な役も似合わない…必死で脚本を書いている時のすっぴん風な感じの華のなさがやばかった…マザーゲームとかサイレーンの時のような一生懸命、ひたむき、青くさい役が合ってると思いました。とにかくドラマ向きかなって…好きなんですけど、どうも映画館で観るには違和感を感じてしまいました。


ラスト、木村文乃さんと岡田将生さんの言い合いのシーン。この映画良くも悪くも抑揚がないんです。かといって単館映画のような良いムードとかがあるわけでも勿論なく、あの言い合いのシーンがクライマックス。これかー…というがっかり感。しかも全く相容れないから、とにかくとにかくただの言い合い。

木村文乃さんは負けても挑戦したい、どんなに惨めでも達成の喜びを味わいたい、努力したい。

岡田将生さんは負けたくないから土俵には登らない、批判されたくないから努力はしない、傷付けられたくないから恋愛もしない。


結局人の生き方は人それぞれで、何を大事にして行くかも人それぞれということなんだろうけれども。


どちらも極端な人間の形をした妖精のようで、現実味はない…けど、やっぱり誰かしらの心に住みついてる気持ちをそれぞれ体現しているんだろうなぁ。とは言えぱっと見で伊藤くんに共感する人はまずいないのではないだろうか。


私は、人のものも自分のものも、ナルシズムな部分を愛していきたいかも、と思わされた映画でした。この映画をキッカケに先に挙げたナルシズム代表の中の一人の知人に数年ぶりに会ってみようと思い立ち、連絡をしてみることにします。


こんなに考えさせられたけど、
全くオススメの映画ではありません笑。

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