見出し画像

雑記:ほんとうに、とるにたらない

こういうときに読みたい文章ってなんだろな、なんて考える。

ずーっとざわざわとしている。世間の情勢もそうだし、家庭内でも別の心配ごとがあったりして、本当のところはもうずっとざわざわとしている。

そういうときに読みたい文章について考える。

マガジン『とるにたらない話をしよう』ではなるべくその名のとおり、この3月もとるにたらない小さな日常の話をしゅくしゅくと書いてきた。

クリームコロッケを眺めてどう思うかとか、子どものころ耳鼻科で金属棒をつっこまれるのが怖かったとか、レーズンチョコを食べて締切前を乗り切るとか、そういう他のだれかにとって極力どうでもいい話を、真剣に。

それはそれで、まちがっていないような気もしている。

だれかを感動させようとか、こんなときだから癒しをあたえたいとか、少なくともこのマガジンはそういうところからなるべく遠くありたかったし、今でもわりとそう思っている。

でも実際はずうっと、ざわざわはしているのだ。そりゃあもうずうっと。

ときには、ざわざわを抱えながらもあえてそれには触れず、日常の小さな話を書くことにエネルギーを注ぎ込んでいる自分にどうなんだ、という気持ちをいだくこともある。

反面、そうやってとるにたらないトピックを書きつづけようとすることで、自分自身の気持ちをなんとか平常にリセットできているところもある。それに救われているところもたしかにあって、なかなかにむずかしい。

おととい、3歳の娘はめずらしく膝枕で寝ると頑固だった。

いつもはわたしの布団にもぐりこんできていっしょに寝る。だがおとといは、座るわたしの太ももに頭をのせたまま「ここで寝る」と頑なであった。

何度「いっしょのお布団でママもごろんしていい?」と聞いても、「ダメ」と首をふる。わたしの太ももの上で、ふるふるふると。

しかたがないのでいっしょに寝るのはあきらめて、暗闇の中、娘の髪の毛をずうっとなでていた。

毛並みにそって、ずっと。

頭のてっぺんから、頭の丸みをなぞるようにすうっとなでる。

またてっぺんにもどって、すうっとなでる。

またもどって、なでる。

なでる。

ずうっとなでていると、お互いの体温と摩擦であたたまって、髪の毛がほんのりとしっとり、すべすべになってきて。気持ちがいい。

そうしているうちに、ああそうか、と気づいた。

膝枕をしていると、ずっと彼女を見守っていることになるんだな、と。

いつもはいっしょに布団に入るから、体のぬくもりは伝わるけれど、じいっと彼女のことを見守りつづけているわけではない。なんなら寝るのが大好きな母は、いつのまにか先に眠ってしまうときだってある。たぶんよくある。

でも膝枕だと、わたしは座ったままの状態で、しかも太ももの上には娘の頭があって身動きがとれない。だから必然的に、目の前にいる彼女のことをずうっと意識して、見守りつづけることになる。

思った以上にさみしい思いをさせていたのかもしれないなあ。むつかしいことに頭を悩ませすぎて、ぴんぴんに気を張ってさ。

”もっとわたしのことを見ててよ”

その日、頑として膝枕で寝ることをゆずらなかった娘に、なんだかそう言われているみたいで。

ずっとずっと、髪の毛をなでていた。

だんだん、指先と髪の境界が溶けてくみたい。

やさしい手ざわり。

娘はずっとずっと見守られたまま、いつのまにかくうくうと寝息をたてていた。

わたしは暗がりの中で、世界はしずかだな、と思った。

読みたい文章のことを考えながら指先にまかせてつらつらと書きはじめて、出てきたのはやっぱりそんな小さな小さなシーンだった。

結局のところ、わたしには日々のささいなことしか書けないんだと思う。

それでも週に二度をベースに「とるにたらない」話を更新しつづけるのはこの情勢のなか、意外と根性がいるのだ(笑)。ときどき、自分はいったい何とたたかってるんだろう、とあきれたりする。

あきれながらもやっぱりわたしは、「他のひとにとってどうでもいいようなこと」を、書きつづけるんだろうな。

そんなもの読みたい気分じゃないときは、全然読まなくていいものを。

ただ、だれかのささいな日常にどっかり浸りたい気分のときには、こっそりとそれをかなえられるような場所を。熱くも冷たくもなくて、声高な主張もない、常温の話の数々を。

変わらずしゅくしゅくと、つくってゆきたいなと思ったりしている。ほんと、何とたたかってるんだろう。

ここから先は

0字
どうでもいいことをすごくしんけんに書いています。

<※2020年7月末で廃刊予定です。月末までは更新継続中!>熱くも冷たくもない常温の日常エッセイを書いています。気持ちが疲れているときにも…

自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。