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藤井風のライブに外れたけど執着が手放せないと悲しむあなたへ

チケットが当たらなくて悲しいのに、「手放さないと」というXの投稿を見かけるたびに、そりゃむずかしいもの、無理はないよと思ったので、少しでも辛いきもちのお助けになればと思って書いてみます。

手放しは生き方

まずはじめに、手放せない自分を責めないでください。そもそもとてもむずかしいものですから。

手放すということは、自分より大いなる存在に委ねて生きるという生き方そのもの。「手放す」という行為のみ切り取っていきなりできるものではありません。

自分はエゴ(自我)ではないことを理解することからはじまり、エゴと自分の間にすきまをつくっていく長い長い作業の先にあります。

いま感じている気持ちをたいせつにする

ですが、いま最優先でできることがあります。

大好きな大好きな推しのライブ、どれだけ楽しみにしていたことか。どれだけ当たりたかったことか。まわりがなんと言おうとその気持ちは、あなただけのたいせつなもの。

まずは、その感情をぜんぶ感じてください。

もしできるなら、感情に飲み込まれないように、スクリーンのなかの映画の主人公(自分)が悔しがったり悲しんでいるのを見るかのように、そのひと(スクリーンのなかの自分)が感じてるままに観察してください。

本来、感情を感じてる自分は、自分ではないので。

なぜ、その視点が必要かというと、怒りや悔しさなど強い感情をそのまま感じると感情は激しく暴れるので、飲み込まれてしまって出口が見えなくなってしまうからです。

紙に書いてもいいかもしれません。どんなに汚い気持ちでも、だれにも言う必要がないので、すべてはき出しましょう。

「わたしのほうが好きなのに、あのひとが行けて許せない」そんな気持ちだって出てくるかもしれません。感じてはいけないことなどありませんから、全部出してあげましょう。

じつは、このステップなしにおこなう手放しは、ただの感情を見捨てる体験でしかありません

感じた感情は、どこかへ押しやったり、一時的に無視することはできても、自分の奥底にかならず蓄積されます。あるとき、なにかをきっかけに爆発しかねないので、感情は、日ごろから見つけたら俯瞰の視点で感じてあげるのが本当にたいせつです。

ただし、現代人は、感情を感じないように生きていて、ふたをするのが上手になってしまったので、感情を感じろといわれてもむずかしいのは、わかります。

わたしも日々練習しています。飲み込まれるときもあります。飲み込まれたら、気づく。

「感情は、わたしではない」と。

手放しは、日々のプラクティスの先にある

ちまたには、いろんなワークがあふれているかもしれませんが、本来エゴや執着を手放すという小手先のテクニックはないのです。

今回、チケットの一連で、執着を手放せないと苦しんでるみなさん、それは日々トレーニングをしていないのに、エベレストに登れなかったと自分を責めているようなものです。

本来、手放すとは、日々のプラクティスなしにはできないむずかしいことなので、できないのが普通です。

ぜんぜん問題ありません!

まずは、自分の感情のおともだちになって、「それは、悲しかったね」「それは辛かったんだね」「そう感じたんだね」って、全部耳を傾けてみるところからはじめてみてください。

愛とは、負の感情を一切感じないことではありません。自分のなかにある、あらゆる側面を受け入れることが、愛です。自分のなかに受け入れられない側面があるのに、目の前のひとを無条件に愛することなどできません。

感情を見てみると、自分は思ったよりも汚かったり、かっこ悪かったりするかもしれませんが、そんな一面誰にでもあります。それをすべて味わえるのが人間としての体験で、それらすべてを含めてあなたなのです。

おまけ

手放しでおすすめは、Tosha Silverさんです。日本語に翻訳された本が何冊か出ています。読むだけでなく、3ヶ月、半年、1年と同じ本を何度も何度も読んで、実践して自分のものにしてみてください。

英語がわかる方は、YouTubeで検索すれば彼女の教えが無料でたくさん見れます。(タイトルやなんやらは、自分で検索して選んでね)

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