牛乳配達員は牝牛を配る

夕焼けは 銭湯の煙突の煙を言い当て蝉の15時 夏風邪の木漏れ日を掻き分け こぎ急ぐ自転車へ追いつこうとする 頬は夏の花に染まり 迷子の牛を数えた
ほんとうは家出したんだ 心がわりしたらしい しとやかさは職業ではない 人から聞いた話だけど クビになったらしい とうぶんは失業保険でやっていくそうだ お母さんが酷い目に遭わされたのかい? いや 牛のはなしだ
見知らぬ時間に出逢えればよかった なんどかタクシーを拾おうとしていたね あなたの中に あなた自身が存在するように 彼女だって彼女の中に 抑えきれない彼女自身を持っている ただ あわてていて あなたは迷っていたんだ 歩き疲れているのに留まろうとしない 葬儀のために用意された鐘が 転がり落ちてゆくのだから
物語は手作りするのが趣味だった ようやくね 人のいないところに来たんだ 優しい過去を 憂うためのはなしは 寿命が尽きてからが面白い もういない牛の背中を 撫でるような仕草をすると あの世でも 尻尾の付け根みたいに だれかの眉間に しわがよるんだ
聖母なんかいらない 正直者は 愛する人のために嘘を吐かない 中身のない空っぽな人間だ 天使の真綿をまもってしまう母に恵まれなかったからだ 罪のむしろで包めた 仄かに熱い 子守唄に揺られて眠ったことがないからだ
くすり箱は痛みに飢えていた 友人の母に 母乳を吸わせてほしいと頼んでみたけれど 願いを叶えてもらえたことは いちどもなかった マキロンに洗い流された太陽は化膿した 蝿になって這い出てしまう
「免疫力が備わりますよ ヘイ ジャパニーズは消毒されすぎたね 今朝から ミルクの代わりに 黒毛牝牛を配ることにしましょう」
「まいどおはようございます 佐藤のお兄さん たくさん搾って ゴクゴクやっちまってください 空ビンじゃなくて空ウシは 表に繋いで出しといてください 翌朝 てきとうに連れて帰りますから」
連れて帰ったら餌をあげよう そして 餌をあげたら 餌をあげたら ダメだ 餌をあげて それから牝牛に何をしてあげればよいのかわからない 花子よ よしよし もうおまえを誰にも渡さない 俺とおまえはいつまでも一緒 なんて嘘だ 花子 おまえ すでにお乳がぱんぱんではないか 鍵盤 波うてば 青信号は旅立ちの 風のあいだを滑空する 伸びやかな旋律が渦まく潮さい 波止場ヘ ふき溜まる母さん たたずむ四隅の空よ 母さんは月の引力を浴び膨張する 母さんは防波堤に押しよせる永遠 母さんに砕ける波 母さんへ飛び散るしぶきを鳴けカモメ 母さんがあふれる景色を なけなけカモメ 母さん泣きながら忘れた自由の空に 母さん羽ばたく白い悲しみは色あせ 母さん 母さんは静まりながら蒼ざめてゆくよ 母さんは歯のように抜け落ちてゆく

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