しんやの餃子世界紀行 Vol.70
「ごく稀に世に生み落ちる、美しいあなたへ」
美しいやかわいいという属性は生まれた時のガチャに成功しないといけない。
そもそも両親にその要素が皆無であればそのガチャを引くことも許されない。
その不平等が尊い。
その不公平が貴い。
別にかわいくなくても美しくなくても生きていける。
劣等劣種は見てくれの良し悪しで決まったりはしない。
ただ間違いなく得は多い。
その得の数ほど生きにくい生きやすいは出てくるかもしれない。
でもそんなの若いうちだけである。
鍍金というものは剥がれるものなのだ。
剥がれた後の鍍金はもうその顔のつぎはぎを綺麗に纏めたりはしない。
鍍金が剥がれること自体にも顔の良し悪しは関係ないが、得の多い人間の方が剥がれた鍍金を目の前に絶望することが多い気がする。
でも僕は違うと思う。
誰でも必ずうまくいがない時は来るのだ。
言えば鍍金は必ず剥がした方が楽になる。
そしてあえて言おう。
鍍金が剥がれたからブスになることはないのである。
あの頃のような得は減るかもしれないが、それなりの得の中で新たなチャンスと出会える事だろう。
それがガチャを引き当てたあなたに与えられた特権なのである。
人生なんて忍耐なのだ。
人によって差はあるが、差では無い。
それぞれがそれぞれのキャパに合わせた忍耐を背負って生きている。
忍耐は得を徳に変えることがある。
僕の近くに最近、時間が開けば餃子世界東京に酒を浴びに来る女がいる。
そうだなあ、どうしよう。
仮にカマクラさんとしておこう。
この女は忍耐をうまく使い、我慢と絶望を武器に変えた、それはそれは面白い女である。
不得手があれば守屋ですら頭をポカっといかれる。
しんやなんかほぼ毎回ポカポカである。
恐らくあいつは、あいつの人生の中で
「男勝り」
という一言で表現されることが多いだろう。
確かに約束は守る、義理に熱い。そして酒を喰らう様は男そのものである。
しかしこんな概念にすら男女の壁がない時代だ。
あいつは決して男勝りではない。
女性として美しいのだ。
誰が見ても同じ感想を抱くだろう。
そして知性と品が溢れている。
彼女はずっとずっと「女であろう」とする自分を疑うことがない。
むしろひと昔前にぶっ刺さる女だ。
カマクラチサはカマクラチサの地をひたすら進む。
その地は美しありたいと思う。
そのままの道を進むのである。
その様は確かに武士のようであるが、それは勝手に日本が武士を忘れただけの話なのである。
そんなカマクラさんはきっと早い段階で鍍金を何処かに剥がして置いてきてある。
頭の良い女だ。
何処に置いてきたのかもハッキリ覚えている事だろう。
しかも生まれてきた時のガチャも特賞を引いたわけでない。
割とリスクのあるガチャだ。
でもだから邪念がない。
発言にもフットワークにも容姿にも重さがない。
生き方が清々しい。
その清々しい中にもたくさんの嫌味や妬みを背負ってなお、あいつは清々しい。
恐らく男はカマクラさんのような女が好きだろう。
そんなカマクラさんを見てよく思わない人もたくさん居たと思う。
勘違いもされてきた人生だろう。
でも、その勘違いがマジで勘違いだった杞憂な例だ。
媚や諂いのような柔いものではないのだ、あいつは覚悟を持って人と対峙する。
本当の意味であの女を幸せにする男なんてこの世にいなければ、あいつに勝てる女は貴女じゃない。
その生き方があの女を美しくする所以だと感じている。
酒を飲ませてもなかなか酔わないし、酔えば酔うほどクダを巻く。
巻いて巻いて締まった首は喉を潰し、何も言い返せない毎日である。
本当、大変な女なのだ。
それでもチサは美しい。
そして憧れの人なのだ。
別の人生を歩むであろう、真の陽キャと隠キャが出会ってしまう餃子世界東京。
良い迷惑だ。
どうせ
「お前ごときが私の人生を語るんじゃねー!!」
とか騒ぐんやろ。
望むところだ、上等。
かかってこい。
これからも仲良くしよう。
いつまでも全人類が尊敬できる生き方してほしい。
そして、しんやがいない餃子世界東京を。
よろしくお願いします。
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