しんやの餃子世界紀行 Vol.66
「メンヘラな人、そうでない人」
あなたはメンヘラですか?
それとも違いますか?
人によって定義分かれるメンヘラについて。
メンヘラといえば近年まで女性に多く使われる言葉であった。
「メンヘラな女を捕まえたらやばいぞお」
なんてよく言われたものである。
しかし近年に於いて、メンヘラという言葉は女性以外にも使われるのではないかと考えている。
1つにメンヘラという言葉からは「痛み」の成分を伴った。
執念深さ、ストーキング、リストカット。
タトゥーもヴィジュアル系、睡眠薬。
「メンヘラ」といえばなんか「痛い」ものであった。
しかし、月日が流れる内、メンヘラ層の高齢化が進んでいく。
普通に社会人にならないといけないし結婚もしていく。
そうした中でメンヘラはここ数年で2回ほどその皮を破ったのだ。
そういう先輩メンヘラの行動・言動を見て育つ累代のメンヘラたちが新たなメンヘラ像を作り出していく。
例えば、「大森靖子やあいみょんの歌を聴く」ことはメンヘラ界においてステータスになったし、ヴィジュアル系のバンドを追っかけていた子達は男性アイドルユニットを追っかけるようになる。
こうしてメンヘラはアンダーグランドからメジャーに昇格していった。
この流れは「サブカルチャー」がすでに「メインカルチャー」なのと似ている。
サブカルチャーというカルチャーは元より、
・ニッチなカルチャー
・大衆向けしないカルチャー
な総称であったが、昨今でいえば「サブカルチャー」という文化は常に大衆の側にある。
いつからかと言えば、上戸彩が主演した下北サンデーズ(テレビ朝日)や電車男が映画化されたあたりであるから2005-2006年頃ということになる。
この後にモテキ!(2011年)が映画化され、サブカルチャーは爆発的速度でメインカルチャーの仲間入りを果たす。
モテキ!に出てくる長澤まさみが演じたみゆきはよくよく思い返せば、相当のメンヘラ女である。
この頃から「メンヘラ」という言葉も共にメインカルチャーとして昇華されていく。
こうなるとさあ、何が起こるか。
男のメンヘラが増え出したのである。
メンヘラ=女性のもの
という概念はこの頃から徐々に薄れていき、近年流行りの言葉であるLGBTが完全に認知を確固たるものにしていく。
決してLGBTがメンヘラだという話ではなく、「多様な人間性の許容」が全ての性の人間に許されていったということである。
よく考えればオネエという言葉が流行り出したのは2000年代始めであり、マツコデラックスが出てきた2010年代に一気に認知される流れは、サブカルチャーとメンヘラと同じ共通点を持っている。
こうして日本中にメンヘラが蔓延していった。
メンヘラ特有の「痛み」は「弱さ」という言葉に置き換えられてどんどんハードルを下げていく。
今更ながらメンヘラとは「メンタルヘルスメント」の訳であり直訳すると「精神衛生上不健康である」となる。
よくよく考えれば人生のなんて、そんなことの連続なのである。
メンヘラもサブカルチャーもLGBTも。
「個の主張は隠す必要がない」という時世の変化が抑圧されてきた今までの概念をぶち壊して生まれた産物なのだ。
「良くない」ものが人それぞれになりました。という時代の流れである。
そもそも感覚的なものである。
法律なども存在しない。
メンヘラであろうがそうでなかろうが。
サイコパスだろうがなんだろうが、人を殺せば罪になる。
物を盗めば罪になる。
「メンヘラなんで」
「サイコパスなんで」
は罪を軽減させるものではないし、やって良い事と悪い事の境目は昔から何も変わっていない。
ただ、この変化を感じずにメンヘラを語るのは大変に危険だ。
「あの人ならやりかねない」
のハードルもまた下がっているからだ。
全人類にメンヘラになる権限が与えられた今、自由意地で自己をぶつける事の整合性を考えねばならない。
もう自分勝手なメンヘラは許されないのだ。
「実際に人を殺すシーンを映画にしました!これはサブカルチャーです!」
とはならないのと同義である。
多様性を許すという事は協調性を持つという行為なのだ。
「そんなこと言ったってわたしゃ、もっともっと昔からメンヘラやってんだから変わりゃしないよ」
という理屈も通らない。
消費税が10%になったら5%だった頃のことは過去になるのと同じだ。
「生きやすくなる」というのは「生きにくくなる」ことなのである。
さて
フェミニズムという言葉が流行っている。
ビーガンという言葉も流行っている。
はっきり言ってこの言葉のイメージを悪くしてるのは理解のない拗らせメンヘラ達なのだ。
元は良い思想なのかもしれない。
しかし、そういう思想をぶち壊すのはいつも拗らせなのである。
古きを知らず新しきのみ知る愚か者の戯言なのである。
何が言いたいかと言えば、物事には変遷がある。
変わることを恐れてはいけないし、変わらない事は悪ではない。
全てはバランスなのだ。
そして、このバランスを保つ事こそ現代のメンヘラ達の課題なのである。
メンヘラの扉が平等に開かれた以上、メンヘラとして生きる性分をしっかり弁えていただきたい。
はっき言うけど、もうほとんどの人がメンヘラに毒されてるよ。
・・・実は今回書こうと思っていた話はこんな話ではない。
「リア充と非リアの違い」
についてであった。
しかし、この二つを書くには前提として上記の事に触れないわけにはいかなかったのだ。
リア充と非リア充を解く鍵は
先天性メンヘラと後天性メンヘラ。
かく言う私は先天性のメンヘラである。
しかし、ほとんど全ての人が後天性のメンヘラだ。
後天性のメンヘラは日本に非常に多い。
さて、明日の投稿はメンヘラとリア充の共存の話である。
興味があったら明日のブログもお楽しみに。
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