言葉は元来魔法であった

システム療法家スティーブ・ド・シェイザーの代表作。副題の「言葉はもともと魔法だった」が原題である。この言葉はフロイトに由来する。フロイト『心的治療について』は彼が催眠療法から精神分析に移行する過渡期の小論文だが、その始まりの言葉が「言葉は元来魔法であった」である。

この「心的治療」という訳はおかしい。英語にすれば「psychic therapy」である。「魂の治療」も的外れ。psycheは「プシュケー」つまり「息」のことである。ほら、息を吐くとき「プシュー」って音がするでしょ。古代ギリシア人はこれが「生命の根源」だと信じた。息が止まれば死んでしまう。それほど大事なもの。なので彼らは「生き物」をenpsychonと呼んだ。プシュケーのあるもの。植物もenpsychonに分類しているので、彼らの観察力は大したモノである。

人間はこの「息」を操ることができる。それが「言葉」。他の動物には難しい。息のコントロールができるのは小鳥とクジラくらいだ。「魔法」とはこのこと。人は「言葉」を使うことで、その場の「気」を変化させることができる。意図的でなくとも常に介入している。日本では「言霊」と呼ばれる。言葉を「言う」ことで「祝い」を生み出し、言葉を「宣る」ことで「呪い」を呼び起こす。言葉は鬼神をも揺り動かす。だから迂闊なことを口にしてはいけない。

フロイトが重視したのは、言葉の持つ「未来を作り出す力」である。言葉を使って「未来」をイメージしてもらう。患者さんが「そうなるといいなあ」と思えば症状は消える。それが心理療法の基本原理だとフロイトは考えた。症状は、現状に対する不全感である。今ここへの疎外感が気分や身体に表現されている。不安は自分の未来への「呪い」、自己暗示。そうした症状が消えるのは、望ましい未来への見通しが得られたときだ。肩から力が抜け、気が楽になる。

ド・シェイザーも同じ立場である。「もし奇跡が起こったらどんな未来になりますか」。未来を詳細に思い浮かべ、それを深く体験していく。それは「目標を立てること」ではない。目標もまた「呪い」に過ぎない。「あなたは理想から程遠い」という宣告である。今ある自己を否定している。そうではなく「未来」に深く身体を浸すこと。イメージするとき「未来」は今ここになる。それが彼の「奇跡の質問」の狙いである。

なので「未来」は否定文では表現できない。イメージできるのは肯定文だけである。「廊下を走らないように」と言われイメージできるのは「廊下を走る場面」である。ダメなことを先にイメージして「それはダメ」と否定する。そういう二重構造をしている。この場合、実際にイメージしているのは「廊下を走ること」なので、子どもたちは廊下を走ってしまう。そして先生から叱られる。学校というのは、そうしたマッチポンプな「呪い」が張り巡らされた地雷原なのだ。

同じ理由で「症状がなくなればいい」は実現しない。それが「症状があること」をイメージしてからの否定だからである。ド・シェイザーの「奇跡の質問」では「症状が消えたときに起こること」をイメージしてもらう。「妻が笑顔になる」「外に出るのが楽しい」「図書館に本を探しに行く」。肯定文で「未来」が描かれるとき「症状」はもう忘れている。この「魔法」は催眠療法の時代から使われていて、システム療法はそれをスマートに継承していると思う。

ちなみに行動療法でも「廊下を走るな」は「死体になれ」という命令と見なされる。死体なら廊下を走らないからだ。そうした否定文の強化は行動療法で使ってはいけない。「廊下は歩いていこう」。強化には肯定文を使うのが原則である。

フロイトはこの「魔法」をWunschと呼んだ。「星に願いを」の「願い」に当たるドイツ語である。ラカンはそれをdesirと訳した。そこまではいい。ところが日本語では「欲望」と訳されている。これは違うんじゃないかなあ。日本語訳は、著者の思考全体が見える前に訳さざるをえないから、ズレが生じやすい。

アリストテレスが「欲求が思案されることで願いになる」と言い、ラカンはそれに沿ってbesoinとdesirを区別した。このdesirは「祈り」に近いものだと思う。自分の力で実現できるモノではない。むしろ自分のはからいを捨て「そうなるといいなあ」と願うもの。人為では成せない中動態にある「祈り」のことだろう。

その「祈り」が心理療法の要石だと思う。「某国が攻めてくるかも知れない」と防衛費を増強すれば、費やしたコストが見合うのは「某国が攻めてきたとき」である。なので無意識的に「某国が攻めてくる状況」をお膳立てしてしまう。これを「自己予言成就」という。言葉が先立つことで、その言葉に合う状況を引き寄せてしまう。今の日本はそんな「呪い」に罹っている。

だから「祈り」を捧げよう。今年が平和な一年でありますように。

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