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誰も小さく死ななくてよいと思う話

私は一度死んだが、今日生まれ変わろうと思う。

私は16歳で先天性のとある脳機能障害を抱えているという診断が降りた。
私はベッドに横たわり、食べることも、起きることも億劫になった。
奇妙な夢ばかりが続き、私が「普通」に生きることを世界中に拒まれたと思った。
「人間は社会的な生き物だ」と教わってきた。
精神世界の夢物語を生きる当時の私は、人間ではない、別の何かになったのだと思った。
私は心の中で、意識に於いて、小さく死んでしまった。

2年後、もう一度起き上がれるようになった時
「これは神さまから預かっている命。私のものではない。
 私は人間らしく社会的に生きなければ行けないし、起き上がれるようになったり
 社会に復帰できたことへの感謝を込めて、何者かにならなければならない。」
という大きな心構えを背負っていた。
今思えば非常に馬鹿馬鹿しいほどの気持ちで成功者を目指した。
十ヶ年計画を立て、人生を立ち行かせることに全力で投資した。

そんな亡者が生まれ変わろうというのは不思議な言い回しかもしれない。
でも、どこかで「生きたい」という希望はあえかに瞬いていたのだろうと思う。
生きるべきだと教えてくれたのは、グレタ・トゥーンベリさん。私と同じ病と知った。
彼女の活動は非常に素晴らしいが、より私の興味を引いたのはそのスタイルだ。
私が社会復帰をするにあたって、適応障害は一番の壁となった。
今だって背中にストレス性のただれたアトピーがじんじんと痛む。
彼女の、目的を成し遂げるためのスタイルは混乱を呼んでいるようだが
非常にシンプルなやり方で、正しい。
私やグレタさんのような人は正しさと社会との折り合いをつけることが難しい。
正しいか正しくないかの白黒の世界、グレーゾーンなどないのだ。
適応障害というのはグレーゾーンをどう上手く受け止めていくかに限る。

私はもう正しくないことをグレーに覆い隠すのはやめようと思う。
これが生まれ変わろうという意志だ。
彼女のことを知って私の意識は大きく変化した。
私は病の元に死に、病の名前でここまで生きた。
意識のリストには私自身の名前はなかった。
正しさだけでは立ち行かないことをたくさん経験してきた大人の私の中には
彼女ほど直接的ではないが、グレーに隠さず巧くレールを敷く方法論があるはず。
私は、もう一度私に私の名前を呼びかけたい。
そして適応する必要のないグレーゾーンはたおやかに迎え撃ちたい。

自分の名前を自分で呼べる。それは何にもまして幸福なことだ。
許容できず、ただ「預かり物」を生きている、それは私の知る最も正しくないことだ。

もし誰かが生きることを苦しいと思い、小さく横たわっているのなら
私はあなたに手を差し伸べることができるかもしれない。
また、横たわっている人の隣で希望を求める人にも応援ができるはずだ。
力になれそうなら声をかけてほしい。

もう私の知る限り、人は自分の生命を生きることを諦めなくていいと思う。

ずっと隣で私の名前を呼び続けてくれた主人と
ずっと生きていいのだと理解を求め続けてくれた家族に感謝する。

私は私の名前を呼ぶ。最後まで読んでくれてありがとう。

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