見出し画像

妊娠5ヶ月、おなか貸し主として思うこと。

妊娠5ヶ月に入って、だんだんお腹が膨らんできた。
明らかにこれは自分が栄養を蓄えたものではない「ナニカ」が下腹のあたり、ちょうどおへその下くらいに主張しているのを感じる。
でもこれといった体調の変化はなく、胎動もあるんだかないんだかよくわからない。
時々、本当に妊娠しているのか不安になる。
そりゃ生理が来てないんだからナニカが居るんだろうけど。
生きてるかな。元気なのかな。
妊婦健診に行ってエコーの画像を見させてもらうと、確かにお子らしき白い影が動いているのが見えるし、心拍も聴かせてもらえる。
その時は安心するけど、実際の生活ではよくわからないのだ。

時々、仕事中にこんなことを言う。
「私はお腹貸してるだけだからね。」
妊娠したことを伝えて健康に気づかってもらえるのは本当にありがたく、余計な心配をかけまいという思いから良く言う。
なんとなく、でも本心からそう思っているから。
『えぇー、強いですね』
『ドライですねぇ』
たまに言われることがある。
私は、そうですかねぇ?と笑いながら言う。
強い、かなぁ。
ドライ、なのかなぁ。
なぜか否定しなきゃいけない気がするのだけれど、何も答えが出てこない。
いつも、このちょっとの違和感を何となく笑い話に変えて、次の話題に移る。


実は先日、この違和感の正体に気がついた。

私は、別れを極端に恐れていたのだ。

今から10年以上前のことだ。
母が私を産む前に1人、流産していたことを話してくれた。
もうそのことについて母は自身の中で決着がついているらしく、何かの会話の流れでサクッと出てきたものだった。
何となく、その時のことをずっと覚えていた。

もちろん、自然流産は全妊娠の10〜15%で起こるとされていて、そのうちの約80%が妊娠12週未満で起こることは知っている。
そしてその自然流産の原因は、母体に問題がなければ、ほとんどが胎児の遺伝子異常によるものが多いことも。
つまり、母親が何らかの疾患をもっていない限りは、どうすることもできないってことなのだ。

妊娠5ヶ月ということは、週数にしたら17週を超えたことになる(妊娠中は4週で1ヶ月計算になるため)。
だから、原因もわからずいつの間にかお子とさよならしてしまう可能性は、もうかなり低くなっているはずなのだ。
それでも、さよならの可能性はゼロじゃない。
そんなことを言い始めたら、明日自分が生きている確率だって100%だとは限らないのに、なんだか私の中ではちょっと別問題なのだ。
不思議なものだ。これが母になるってことなのかな。

「私はお腹貸してるだけだからね。」

これは限りなく自分勝手な私の言い訳だ。
ドライなわけでもなく、強いわけでもない。
せっかく私のところに来てくれた命だけど。

もし、もしも突然お空に帰りたくなったら、それでも私は大丈夫だからね。
あと私に何かの事故や病気が降りかかって、突然さよならしなくちゃいけなくなった時はごめんね。貸し主的にも無理なものは無理ってことがあるからさ。
今はお腹にいるんだかいないんだかよくわかってないんだけど、とりあえず住環境としては悪くないのかな。だったら嬉しいです。
とりあえずきみが外の世界に来ようと思うその日まで、私は健康でいることを心がけるから。
もしよかったらきみのお誕生日まで、私のお腹でゆっくりしていってね。
どうぞよろしく。


(2023年7月20日のメモから)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?