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Smells Like Fifty Spirit

2021年8月17日火曜日、午前6時。


待ってましたとばかりに鳴り響くスマホのアラームを止めて、絶対に二度寝しないよう飛び起きた。

何せ今日は忙しい。
朝一でご予約を受けてしまったから、その後すぐに新幹線に乗らなければ間に合わない。

いくら東京高崎間が新幹線で50分であれ、今日は行ったことのないライブハウスへ行くのだから。

渋谷クラブロッソ。

今日ここで行われるイベントの名前は
『Smells Like Fifty Spirit』

自分が50歳を迎える誕生日の前日に、こんなカッコいい名前のトークショーをする人を知っているだろうか。

私はそんな憎らしいほどカッコよくてクレイジーな人を、たぶん1人しか知らない。



……さて、こんな事を言っておきながら、私は12時スタートのギリギリに到着しました。本当にすみません。(すみません実はちょっと迷いました鈴木くんが入り口で呼んでくれなかったらもっと遅れてましたありがとう!ホントにごめんなさい!)

入り口で検温とアルコール消毒をして支払いを済ませ、ほぼ満員の客席にビビりながら空いている席をひとつもらった。
座って辺りを見ると、次々と見知った人たちの顔が見えて少し安心する。
それでも心臓はバクバク言ったままで、これは多分駅から走って来たからだけじゃなかった。

鬼が出るか。蛇が出るか。

山下さんが事前説明をしてくれた後で暗転したステージに、否が応でも期待が高まっていく。

流れ出すオープニングムービー。

数々の写真。言葉。
『古藤格啓』という人の歩んだ軌跡のカケラが、音楽とともに目まぐるしく展開されていく。

そしてムービーが終わるとヨシナリさんが出てきた。

と思ったらギターを持っていて、いきなり君が代が流れ出した。

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おいおい、こんなカッコいい国歌聴いたことないぞ。


悔しいけど真剣な顔でギター弾いてるヨシナリさんはカッコいい。悔しいけど。

やられたー、と思っていたら、古藤先生が有刺鉄線の浴衣姿でステージに登場した。

エレキギターの君が代。
バックに日の丸。
和服の主役。


東京事変かよ!!!!!!!


全私がツッコミを入れる。
いや本当に失礼だと思う。ホント申し訳ない。
でもカッコいいんだもん。何から何まで。もう。

古藤先生が話し出す前から心を掴まれてしまった。
私が自分の師匠のことを褒めるのはやっぱり変かなぁとも思うのだけど、でもいつだって敵わないと思う。

もうここに来た時点で、私たちは古藤格啓という人の掌の上で転がされるしかないのだ。
その場にいる全員の心を掴んで離さず、一瞬のうちに自分のペースに巻き込んで終わりまで引き摺っていく。

ある時は頭がもげるほど頷きながら。

ある時はしみじみとため息を吐いて。

またある時は頭に銃を突き付けられながら。

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ひとつひとつの言葉に、エピソードに、翻弄されていく。


コトー先生とエジー先生、2人のトークの時も出てくる写真がいちいちカッコいいのよ。

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いいなぁ。こんな、お互いに戦友と呼べる人がいる人生って。

羨ましくって嫉妬すら感じてしまう。




私はそんな生き方をしてきただろうか。


全力で突き進んでいったその先に出逢った人と、こんなふうに笑って過ごせる未来は来るだろうか。
その為には、まず全力で突き進む覚悟を決めていなければならない。
自分の人生を思いっ切り楽しむために、もっともっと欲張りにならなくちゃ。

何度か挟まれる小休憩の度に軽くノックアウトされた気分で、心地よい浮遊感の中、時間は過ぎて行った。


✳︎ ✳︎ ✳︎


古藤先生のセミナーに参加していると、時々、いやほぼ毎シーズン、心臓が口から出そうになるほどビビるイベントが起こる。


……こう書くと、いかにも先生が気難しくて厳しくて怒りっぽい人のように思われてしまうかもしれないのだけれど、もう誤解を承知で言わせて欲しい。


セミナー生がクビになるのだ。


私はおよそ3年前から、期間が1年程の長期セミナーを3回受講している。

その中で、最初から最後までセミナー生が全員揃っていた事はおそらくない。

1番最初に受けたセミナーは、受講2回目にして1人が公開処刑され出禁になった。
その現場を初めて目の当たりにしてしまった私は、実はちょっと泣いて震えが止まらなかった。

でもそれは怖かったからじゃない。

コトー先生の愛情の深さがわかってしまったからだ。


常識的にというか世間一般的に考えれば、セミナー生は生徒だが『お客さん』でもある。
変な話、毎回技術を最もらしく説明し、テキトーに気持ちよくさせて、毎回お金を払って貰えばそれで済む。

でも、コトー先生は一度だってそんなこと絶対にしなかった。

ダメなことはNOと言い、何故ダメなのか何処がダメなのか、1から10まで全部説明する。
みんなの前で。


これを『ヒドイ』とか『スパルタ』だとか言う人は、今すぐこの文章を読むのをやめて今まで読んできた内容も綺麗サッパリ忘れて眠ってしまった方がいい。

人間は、必ず間違いを犯す。
そして私たちは、時々その間違いに気付かないまま過ごしている。
でも子供から大人になると、その間違いを真っ向から指摘してくれる人は少なくなってしまう。

何故なら、みんな嫌われるのが怖いから。

私たちは大人になると立場やプライド、色んなものを背負って、本音を建前で守って生きている。
誰だって好き好んで嫌われたくないし、自分の心は多少嘘を吐いたって守りたい。

それを、古藤先生は相手との関係や縁が切れるリスクを負って、相手を傷付けると知っていて、だから同じく自分の心も等しく傷付けながら「間違ってるよ」と全身全霊をかけて伝えてくれる。

古藤先生が誰かを叱るとき、私には先生の心から真っ赤な血が噴き出すのを見るような気がする。

こんな真っ直ぐで、ひたむきな、狂気とも思えるような姿勢。

これを愛情と呼ばずに何と呼ぶのだろう。


人間は、必ず間違いを犯す。
でも間違ったのは、行動したからでもある。

今回指摘された人たちより自分の方が優れていると思ったのなら、ちょっと考えを改めた方がいいのかもしれない。

今まで、私は前に進むための行動が何も出来ていなかった。
ただ現実を受け入れて、やるべき事をこなし、自分の周りの世界が変わらないことを嘆くだけだった。


古藤先生に言われて、今でも刺さって抜けない棘のような言葉がある。


『いい人』は『どうでもいい人』なんだよ。


いつまでも失敗ばかり恐れて自分の箱庭に籠もっている場合じゃない。

自分の知っている人が血祭りに挙げられるのを目の前にしながら、私は自分の首にも冷たいナイフの刃が当たっているのを感じていた。



人間は、時に間違いを犯す。
でも人間は、それを認め正していくこともできる。

私がもし、あの人の立場だったらどうするだろうか。

落ち込むだろうな。

すぐには受け入れられないかもしれない。

独りのときは、ずーっと泣いているかもな。


でも私の目は、あの時の先生の表情を覚えている。

私の耳は、先生の言葉を覚えている。

先生の声がちょっと掠れていたことも。


覚えているのだ。今まで教わったことの全てを。


忘れてしまったこともあるかもしれない。

でも、私の手は覚えている。

先生から教わった手技を。

毎日毎日毎日手垢が着くほど繰り返し使っているのだから。



だからきっと

どん底まで落ちたとしても、「そんなことあったよね」っていつか笑えるようになると思うのだ。

そうであって欲しい。


ねぇねぇ、また一緒に先生に叱られようよ。
今度は誰が叱られるかわかんないけど。
何で叱られるかもわかんないけど。

出来れば「もっと遊べ!!仕事ばっかしてないで!!」
って叱られたくない?


待ってるよ。


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