音楽とわたし

気がつけば、5月も最終日…。
わたしの仕事柄、毎月月末は激務ウイークが待ち構えていて…。
本日やっと…何とか…それを終えました…。
頑張った、自分!
お疲れさま、自分!


さて、note。
何を書こうか?と考えていたのですが。
やはりこれとは切り離せないだろう、ということで。
「音楽とわたし」について。


●歌うこととわたし


わたしの実家は、父、母、弟、祖母とわたしの5人家族でした。
代々続く、小規模の専業農家。
年中様々な野菜を育てていましたが、育成→収穫→出荷を家族全員でやっていました。
必然的に若い父母が体力的にも大変な仕事をしていて、祖母は主に出荷作業を担当。
そうすると、子どもの相手は祖母が見ることに。
作業中のBGMはラジオから流れる演歌やら歌謡曲やら…。
祖母はそれに合わせてよく口ずさんでいました。
昼寝の子守唄もよく歌っていたなぁ。
中山晋平の曲とかもよく歌っていた気がします。

祖母がそんな風に歌っていたので、孫のわたしも同じように歌うことが普通だったのでしょう。
保育園に入るか入らないか位の時、こたつをステージにしていとことピンクレディーの曲を歌っていたのを記憶しています。

そして、徒歩数分で行ける母方の祖母の家にカラオケができる機械※リンク先参照 がやってきました。

オケのみが入っているカセットテープに合わせてマイクを持って歌うのが楽しくて楽しくて。
(因みに…母方の祖母はハイテクおばあちゃん。後にレーザーディスクカラオケも購入していました。)

文字も読めない子どもが「さざんかの宿」や「北酒場」なんかを熱唱すると周りの大人たちは褒める褒める!
褒められたことでますます歌うことが楽しくなっていきました。


●ピアノとわたし


歌うことが楽しくなってきた頃、ある保育園の先生と出会います。
その先生はクラス担任だったのですが、オルガンの演奏がとても上手で、いつも近くでその姿を見ていました。
そして情報通(おしゃべり大好きともいう)な母が仕入れてきた情報によると、どうやらその先生のご実家はピアノ教室らしい、そんなに興味があるなら習いに行ってみるかい?と。
トントン拍子にピアノを習いに行くことになり、結局中学で部活動に入る位までの約8年位お世話になりました。


●様々なジャンルとの出会い


小学校に入ってからも音楽が好きというのは変わらず、4年生になると希望者が参加できる「合唱団」に入団したり、学校の授業で4年生から6年生の縦割りで活動するクラブ活動というものがあったのですが、そこでも「リコーダー部」に入ったり…子どもながらに音楽を楽しんでいました。

そして、小学6年生の時のクラス担任が図工の絵を描く授業中に何故か音楽をかける、という人で…。
そこでT−SQUAREやMALTAなど「インストゥルメンタル」というジャンルに出会い、ハマっていきます。

中学はもちろん吹奏楽部。
先輩に「なんの楽器が良い?」と聞かれ、「なんでも良いです!」と答えた結果…Euphoniumという楽器に出会います。
Euphonium…結局、中学→高校→マーチングの一般団体と…約10年位吹いてました。
多分、今でもハモリパートや対旋律パートが好きなのはEuphoniumでその楽しさを知ったからだと思っています。

中学時代に浜田省吾にハマったり、高校時代はほぼ吹奏楽曲しか聞かないとか、面白い偏り方をしていましたが…。

中学・高校時代にテレビで観ていたゴスペラーズにハマるのは社会人になってから…というのも面白いなぁ…と思っています。
ゴスペラーズについてはまたゆっくり書こうかと思っています。

振り返っても、そんなたいした話じゃないですけど…。
でも、なんだかんだずーっと近くに音楽があって。
歌うことだったり、演奏することだったり、それを見る側だったり…。
いろいろな楽しみ方を知ることができたのも幼少期の祖母たちの影響も大きいかな、と思っています。

まぁ…実家の祖母にはいろいろと大変な目に合わされましたけど(飴玉喉に詰まらされたり…)。
わたしの今の根底に流れてる部分を作っているのは間違いなく祖母たちのおかげですね。

ばーちゃん、ありがとう。

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