アゲハチョウの話。

咀嚼音を聞いていると、生きていることが耳に届きこそばゆい。今年は、庭の金柑にアゲハチョウの卵をたくさん見つけた。

子供の頃、実家の庭には山椒の木が植わっていた。高さ1メートルに満たないこぢんまりとした木だった。その山椒に、毎年、アゲハチョウが飛んできて卵を生んでいく。いつの間にか孵化した大量の幼虫に、木は丸裸にされてしまう。どうにか山椒を守りながら、チョウになるのを見届けたい私たちは、効率よく葉を食べてもらおうと、幼虫を皆捕らえて、飼育ケースで飼うことにした。ひと枝ずつ切って与え、葉が全てなくなるまでその枝でしのいでもらう作戦だ。少々小ぶりの幼虫たちは、元気よく食べいつの間にか蛹になり、美しいアゲハチョウとなって飛んでいった。

今、我が家の庭には金柑の木が1本ある。記念樹としてオリーブの木を植えてもらった際、植木屋さんの趣味、基、ご厚意で植えられた木だ。そのときは、予定外の場所に予定外の木が勢いよく植えられる状況に面食らったが、オリーブが枯れてしまった今となっては、金柑だけでも育ってくれてよかったような気がしなくもない。その少々邪魔者だった木に、アゲハチョウが産卵していると気がついてからは、愛着すら感じるようになった。(ちなみに、ご近所でもオリーブはよく枯れているので、もしかしたら植木屋さんは、枯れることを見越して金柑を置いていってくれたのかもしれない、と最近思い至る。)

昨年初めて、金柑の木に幼虫を発見した。羽化を見たいと思い飼育ケースに入れて観察をした。脱皮を繰り返し、少しずつ大きくなる幼虫。子供の頃に見た幼虫とは模様が違うと気がついた。インターネットで検索すると、アゲハチョウにも種類がいろいろあり、その種によって幼虫の姿形も違うとわかった。なんということだ。言われてみれば当たり前のようであるが、てっきり、黒い鳥の糞形状の幼虫で緑のぷりぷり幼虫へ変身するやつは皆、あのアゲハになると思っていたのだ。そのアゲハだって、ナミアゲハという名前があるらしい。この2匹はいったい何アゲハなのか、期待が膨らんだ。

大きな幼虫は蛹になり、ある日の早朝、ついに羽化した。大きく立派なチョウだった。羽を広げると、大人の手のひらほどもある。ナガサキアゲハのようだった。庭の金柑の木が、まるで世界に開かれた窓のように思われた。

そして、今年。昨年は偶然見つけた幼虫であるが、今回は違う。目を皿のようにして毎日金柑を観察した。5月の末には卵をたくさん発見し、幼虫も1匹見つかった。ウハウハである。この辺とこの辺とここにも…と卵の数を数え、いつ孵化するかと指折り数えた。一足早く羽化していたその幼虫の成長も外に出るたび確認する。しかし、なかなか卵は孵らない。そして幼虫は忽然と姿を消した。

他には木のない我が家の庭である。見通しが良すぎて鳥に食べられるのだろうか。心配になった。できるだけ、自然の状態で観察できたらそれが一番良いだろうと考えていたが、このままでは全滅してしまうのではないか。そこで、とりあえず、ひと枝切ってみることにした。7つの卵がついていた。

黄色い卵と黒くなった卵がある。黒い卵は孵化直前であるとインターネットは言っている。しかし待てど暮らせど孵らない。黄色い玉子がいつしか飴色になり、そちらの3匹がやっと生まれた。黒い玉子はそのままカラカラと乾いてしまった。無事に羽化する確率は1%に満たない、これも今回知ったことだ。あの頃、みんな憎らしいほど元気いっぱい羽化していった気がしたのに。

ちびすけの間は静かにひっそり葉をかじる幼虫だが、緑のぷりぷり幼虫(終齢幼虫)になると遠慮なく葉を食べて、その量も勢いも驚くほどだ。金柑の葉はかたい。したがって、齧り取って食べていく音が静かな部屋に響くことになる。夜間の頻回授乳に疲れながら座り込む早朝のリビング、気が付くとその音が耳に届く。ああ、生きているなあ、私もあなたも。そう思うのである。

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