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母乳育児に挑戦した話2

産後5週目、うちに戻ってきた。じゃんじゃん生産される乳をぐびぐび飲んで、赤ん坊は順調に大きくなる。母乳しか飲ませないのだから良いものを生産しなくてはならないという気負いがあり、食事にはずっと気を付けていた。塩分を取りすぎるといけないから外食はしない、市販のお惣菜やお弁当は控える、甘いものは食べない。ケーキやドーナツは名指しで要注意とされていたことを、退院後に知り、あの日の看護師さんの発言と表情を思い出した。そして、パンの種類にも気を遣うようになる。

そんなある日、何となく乳房が重いことに気が付く。赤ん坊を抱くと、右胸が痛む。怪しい。妹にメールすると乳腺炎ではないか、とのことである。病院に行かなくては!と焦った私は、パソコンを開く。里帰り出産は、こういうときに不便だ。相談に乗ってくれるはずの病院が遠過ぎる。

検索の結果、市内に産婦人科のクリニックが2件、総合病院が2件、助産院が1件ヒットした。母乳外来の看板を掲げるのは、クリニック1件だった。どこも結局は「当院で出産した方に限る」のである。絶望だ。

ええいままよ、と恐る恐るそのクリニックに電話してみる。私の絶望が伝わったのか、診てもらえるところが見つからなければ、いらしてください、と言ってもらう。それだけで、救われる気持ちになる。どこもだめなら、ここがある、そう思えるだけでほっとした。

次に、サイトによると予約がいっぱいだった助産院に問い合わせる。緊急なら枠外で診ますよ、と言ってもらう。助かった、と思った。この助産院は、桶谷式のおっぱいマッサージを実践している助産師さんが、母乳相談をメインにして開業しているようだった。まさに駆け込み寺である。翌日伺う旨約束をして電話を切る。

例のごとく、まだふにゃふにゃの赤ん坊をうまく抱くことができない私は、車で10分の助産院にどうたどり着けばよいのか考えあぐねていた。チャイルドシートに乗せて自分で運転することが怖い。200メートル先のバス停からバスに乗ることも可能だが、荷物を持って赤ん坊を抱いてバスに乗って料金を支払う、そしてまた歩く…という一連の流れを想像すると、気持ちが萎える。そもそも、縦抱きで抱くことができない。すなわち、両手が赤ん坊でふさがれるのだ。

悩んだ末、タクシーに来てもらうことにした。まず、玄関を出て施錠することに躓いた。大きなカバンを斜め掛けにし、両腕で赤ん坊を抱いたまま、ぎこちない妙な姿勢で鍵をかける私を、運転手さんが不安そうに見守った。

6月の晴れた、暑い日だった。運転手さんは、年配の男性だった。私のそわそわと同じくらいそわそわしながら、小さいですね、大変ですね、大丈夫ですか、と声をかけてくれる。少しほっとしてシートにもたれ、つかの間の休憩だ。助産院の看板が見えたところで、おろしてもらう。タクシーを使うだなんて贅沢しちゃったという気持ちが、少々焦りとなって表れた。そう、看板からまだ数10メートル歩かなくてはならなかったのだ。と、降りた後で気が付いた。

大きなカバンに引っ張られながら両腕に赤ん坊を抱えて、よたよた歩く私に、先ほどのタクシーが追い付いた。窓を開けて運転手さんが、もうちょっと乗っていきますか、と声をかけてくれる。ドアが開く。半分泣きそうな声で、スミマセンとありがとうございますを繰り返し、乗せてもらった。ケチケチとした自分の小ささが情けなく、また運転手さんの温かい親切な心がありがたかった。

そうこうして、やっと到着した助産院は、天井の高い明るいログハウスのような作りの建物だった。屈託ない笑顔の助産師さんが出迎えてくれる。やっと赤ん坊をマットに寝かせて、カバンからも解放された。予診票に記載しながら順番を待つ。

乳腺炎だった。自覚はなかったの?と驚かれるほどしっかり炎症を起こしていた。マッサージは全く痛くない。溜まっていた母乳が噴水のようにびゅーびゅーと吹き上がる。魔法の手だと思った。お芋のシップとやらを当ててもらい、次の施術日を相談する。赤ん坊はおとなしく転がっていたが、よくよく見ると短肌着姿だった。移動のことで頭がいっぱいだった私は、外出着を着せなくてはならないなどということに考えが及ばなかったのだ。自分の恰好だって、ひどいものだった。余裕のなさが助産師さんにはお見通しだったのだろうと思う。初めての育児を労い、生産し過ぎの、がんばるおっぱいを褒めてもらった。生産過多からくる乳腺炎だから、需要と供給のバランスが取れれば落ち着いてくるだろう、とのことだった。

しかし、その翌月にはまた、乳房にしこりができ、がちがちに硬くなる。もうずっと食事には気を付けている。赤ん坊はじゃんじゃん飲んでくれるのになぜ。

乳首に詰まりがあるようで、早く解消しなくてはまた乳腺炎だ。そう思うと泣きそうになる。早くどうにか…と焦るが、助産院は営業時間外の夕方だった。仕方がないので、総合病院の産婦人科に電話をかけた。どうにか、救急対応で診てくれることになる。

私は元来大げさだと笑われるほど、体の変調に敏感である。そして、生真面目な性格だった。子の命を守らなくてはならないという重圧が加わり、半ばノイローゼ状態だった。いくら気を付けても、どうにもならないことがあり、どんなに準備しても、思う通りに進まないことがある。これまでの人生で、味わったことのないままならなさに、疲れ切っていた。

総合病院でのマッサージは、力づくで詰まりを取り、しこりを解消するものだった。それでも、故郷の話をしたり、助産師さんの経験談を聞かせてもらったり、何より病院で処置してもらえる安心感があり、心が安らいだ。

しかし、繰り返すのだ。ついには発熱を伴う乳腺炎になり、もうお手上げだった。油を摂ることが怖くなり、甘いものどころか肉全般を避けるようになった私の肌はカサカサと乾き、手足は棒のように細った。それなのに乳が詰まる。

最終的に看護師さんに、野菜炒めにお肉を入れるくらいのことは何でもないんだよ、油分が足りないよ、食べなさい!と叱られた。悩み、考えすぎることがよくないのだと励まされた。その頃から、だんだんと、しこりができたらどこが詰まっているのか自分で予想が立つようになり、詰まったら圧をかけてしごくことで開通させることができるようになった。そして、乳腺炎になるほどには悪化することもなくなったのだった。

つづく…かもしれない…。


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